連日、国会前で続く秘密保護法案反対のデモ活動を「テロ行為と本質において変わらない」とした自民党・石破茂幹事長の発言(11月29日の自身のブログ)は、「テロ防止」を名目に国民を監視する秘密保護法案の弾圧立法としての本質を示すものです。(池田晋)
法案では、テロを「政治上その他の主義主張に基づき、国家若(も)しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」(12条)と定義しています。
森雅子法案担当相は、「テロ」とみなされるのは殺傷や破壊を行った場合だけで、「国家・他人に主義主張を強要」しただけではテロに該当しないとの見解を示していますが(同15日、衆院特別委)、条文を素直に読めばそうはなりません。
主義主張だけで
「強要」は、「殺傷」「破壊」と並んで「又は」で区切られており、「主義主張の強要」だけでテロとみなされる構造です(別項)。
石破氏がブログに記した「絶叫戦術(によるデモ)はテロ行為と変わらない」との考えは、まさに後者(主義主張の強要)のテロ定義によってデモを解釈したものです。現に石破氏自身、2日の記者会見で、「大音量のデモはテロリズムと定義されるのか」と問われ、「強要されればそうでしょう」と述べ、政府答弁との食い違いを浮き彫りにしました。
現内閣でも事務方への指揮命令権限を持たない担当相答弁が、今後どの程度実効性を持つのか、全く不透明です。
判断は捜査当局
しかも、「強要」かどうか、「畏怖(いふ)を与え、平穏を妨げる」デモかどうかを判断するのは捜査当局です。石破氏が読みとったとおり、条文にそった解釈が成り立てば、「テロ防止」を名目に警察は堂々と市民活動を取り締まり、その監視実態を「秘密」にすることになります。
そのような社会が、「表現の自由」を保障した憲法と相いれないことは明らかです。
国会前に反対・批判の声が集まるのは、国民の基本的人権に関わる法案にもかかわらず政府・与党が世論を顧みることなく、残りわずか4日間の会期で強行成立させる姿勢を崩していないからです。
その声に耳を傾けるどころか、与党最高幹部が犯罪と同一視する―石破発言は与党の世論軽視の姿勢を象徴する、それ自体が「民主主義と相いれない」ものです。
国民の権利と民主主義に向けてたたきつけられた挑戦状を断じて許すことはできません。
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