主張

安倍首相国連演説

「積極的平和主義」危険な内実

 安倍晋三首相が国連総会で演説し、日本の国際貢献について「新たに積極的平和主義の旗を掲げる」とのべました。いったい「積極的平和主義」とは何なのか。この言葉は、首相が「国家安全保障戦略」を検討するとして12日に開いた「安全保障と防衛力に関する懇談会」でのあいさつで持ち出して以来繰り返しているものですが、その中身が確立しているわけでも十分説明されているわけでもありません。「積極的」という言葉だけであたかも国際公約のように独り歩きさせるのは危険です。

「戦争する国」になる

 安倍首相がわざわざ「平和主義」に「積極的」とつけるのはこれまでの日本のあり方を否定したいためなのは明らかですが、それなら何をもって「積極的」と考えているのかが問われます。首相には国連演説で国際公約する前に、国民に「積極的平和主義」なるものの内実を説明する義務があります。

 安倍首相が国連演説で説明したのは「国際平和維持活動(PKO)をはじめ国連の集団安全保障措置によりいっそう積極的な参加ができるよう図っていく」というだけです。国連の「集団安全保障措置」の中でも、武装した軍隊が派遣されるPKFには日本は参加していません。その内実を示さず、「積極的平和主義」の旗を掲げるというだけでは無責任です。

 首相の本音をより示しているとみられるのが国連演説の前日、首相がニューヨークのハドソン研究所で「私は愛する国を積極的平和主義の国にしようと決意している」と発言した演説です。このなかで首相は、「PKOの現場で他国の軍隊から助けを求められても、日本の部隊は助けることができない」ことや「日本近海の公海上で攻撃を受けた米海軍のイージス艦を助けることもできない」ことをあげ、「集団的自衛権の行使となり、違憲になってしまうからだ」と、憲法解釈を見直し、「集団的自衛権」の行使に向け、「真剣に検討している」と表明したのです。まさに首相の持論そのものです。

 「平和主義」といえば誰でも思い浮かべるのは憲法の平和主義なのに、その憲法を邪魔者扱いし、海外での武力行使を禁止した憲法を見直し、「集団的自衛権」の行使に道を開くために「積極的平和主義」などという言葉を持ち出す首相の手法は、国民をごまかし、だますものというほかありません。

 安倍首相がハドソン研究所での演説で、「私の国はアメリカが主導的役割を発揮している地域および世界の安全保障の枠組みでの弱い環であってはならない」とのべたことは見過ごせません。日米軍事同盟を堅持し、アメリカの世界戦略の一環を担う立場を強めるものです。「積極的」とは、アメリカと肩を並べて「海外での戦争」に乗り出すための口実です。

9条守り抜いてこそ

 日本は憲法で戦争を放棄し、戦力の不保持や交戦権否認を明記してきたからこそ、戦後一貫して戦争の犠牲者を出さず、国際的な信頼をも勝ち得てきました。日本の憲法が掲げる平和主義はいまや国際的な流れにもなっています。

 安倍首相がいう「積極的平和主義」は戦争に日本を引き込むもので、憲法の平和主義に反します。平和主義を守り生かすため、「憲法9条守れ」の声を広げ強めることがいよいよ重要です。