主張

普天間返還合意17年

「移設」条件付きの誤り断て

 沖縄県宜野湾市にある米海兵隊普天間基地の返還について、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が合意した、1996年4月12日から17年がたちます。日米両政府は、「移設」の条件をつけ、その実現を遅らせてきました。

 沖縄県民は普天間基地の即時閉鎖、無条件返還を求めています。「移設」条件付きでは事態が一歩も進まないことは、沖縄県民がこの17年間、名護市辺野古への新基地建設のための杭(くい)一本打たせなかった事実をみても明らかです。安倍晋三政権は17年の誤りを断ち、「移設」条件付きの企てをきっぱりやめるべきです。

少女暴行で“火に油”

 普天間基地を含め沖縄の米軍基地のほとんどは、アジア・太平洋戦争末期に沖縄を占領した米軍が県民から奪い取った土地につくったものです。普天間基地も占領下で住民が収容所に入れられている間に土地を奪い、拡張が重ねられてきました、県民が返還を求めていたのに米軍は、72年の沖縄の祖国復帰後も居座り続けました。

 市街地の真ん中にあり、「世界一危険」といわれた普天間基地では、住民は日常的に墜落の危険と爆音などの被害にさらされています。1980年代以降、歴代の県知事が訪米して返還を米側に“直訴”してきたのも住民の強い要求があったからです。不法に奪い取った土地は返すのが当然であり、「移設」を認めなければ返さない態度に一片の道理もありません。

 県民の怒りの火に油を注いだのが、95年9月4日発生した米海兵隊員らによる少女暴行事件です。買い物をしていた小学生を拉致し、近くの海岸で暴行したむごい事件です。米軍の蛮行に県民の怒りが爆発し、10月21日には8万5000人が参加して県民総決起大会を開くなど、「基地をなくせ」の声が大きく広がりました。

 橋本首相(故人)は最近出版された回顧録のなかで、県民感情が「一触即発のような雰囲気」のなかで、沖縄問題は最重要課題であり、クリントン米大統領やモンデール駐日大使との会談を経て、普天間返還に至った経過を語っています。長年にわたる県民の怒りが噴出する中で日米両政府は普天間の返還を合意する以外なかったのです。

 にもかかわらず日米両政府がもちだしたのは「移設」条件付きの返還です。沖縄に関する特別行動委員会(SACO)合意などで、基地を返還するとみせかけて新たな基地を得ようとした、ずる賢い策動です。新基地建設はただでさえ米軍基地が集中している沖縄に新たな負担を押し付けるものであり、無条件返還を求めている県民がそもそも受け入れることのできないものです。県民が新基地建設に反対し、県内「たらい回し」を許してこなかったのは当然です。

県民の願いに応えよ

 普天間基地返還合意から17年を迎え、安倍政権は新基地建設のための埋め立て申請を提出する一方で、いつになるかわからない計画を示すことで「移設」を加速させようとしています。しかし、17年間不可能だったことをまたやることに県民の反発は必至です。

 安倍政権は「移設」の企てが失敗した事実を正面から受け止め、普天間基地の返還を遅らせる企てをやめ、即時閉鎖・返還にこそ、本腰を入れて取り組むべきです。