これは僕の持論なんだけども、
格ゲーできる人はたいていのゲームを人並み以上の腕前でプレイする。

ゲーセンに毎日通っていた時代、つまり僕が浪人して予備校帰り(たまに直通)に
町田のタイトーステーションとかキャッツアイとかUFOとか行ってた時の話。

パズルや縦シューだけやってるやつは格ゲーできないけど、
格ゲーやってるやつはパズルも縦シューもできるという現象があった。

反射神経とか、勝つためのゲームメイクとか
その辺の能力が鍛えられて別ゲーにも対応できてるんじゃねーの!?
格ゲープレイヤー最強じゃん! ってね。

(まぁ僕のことなんだけどね。)


こんな話を今日ぐうぜん、実況者のせんとすさんと会った時に
小一時間ぺらぺらしゃべってたわけ。
そしたら彼曰く

「ぼく格闘ゲームしかできないんすよー」

ですって。

たぶんこれは、できる というレベルの定義から、
ゲームの技術的なしきい値の話を詰めないとダメなんだろうけど。
格ゲーをガチでプレイ、つまり技のフレームとかゲージ回収効率を数値で見るようになった人たちは
自分の実力にいつまでも納得していない、満足していない、
まだまだ改善できることは沢山ある!といった意識が強いんだと思うの。

つまりつまり何が言いたいかって、
せんとすさんの「ぼくゲームが下手なんです」ってのは
そのタイトルでランカーになれない、そのゲーセンで四天王になれない、
そういった意味合いの 下手なんです なんじゃないかって。

(ねむい)

そもそも、ゲームができる という僕の表現は
取説読まなくても大体のルールが分かって、操作にすぐ適応できるという意味で、
誰かと競争して圧倒的な勝利を得ることではない。

んでも、あるタイトルで有名になる人とか、
ストイックにゲームをやり続けて周りから一目置かれてる人ってのは
やはりゲームをただ遊ぶだけじゃなくて、その先にある競技制の部分を見てるんじゃないかなって。
競技ってのは誰かと戦うことに限らず自分のスコアを伸ばし続けるって意味あいね。

この 伸ばし続ける ってのが、ひじょおおおおおおおおおおおおおおおおおおに
体力、時間、精神力と信念とゲームへの愛が必要で、
せんとすさんと僕の決定的な違いは、その辺の向上心なんじゃないかなーって
今日お話して思いました。

(いまもう寝る前で、この文章はすげー勢いでタイピングしてるんだ。わかるだろうか)

つまり今日何が言いたいかって、めちゃくちゃ長く話せるんだけど
3点くらいに箇条書きにしておく

・せんとすさんとお話できて嬉しかった
・ゲームやりたい
・ねむい


今回もひでぇ記事になった