「自分に酔ってる」をどう考えるか?
それにしても「自分に酔う」ってのが難しい時代になったと思う。
この国は人生の序盤に「学校」という閉塞空間に押し込められてチキンレースをさせられるもんで、どうしても「変に目立つやつ」は生きづらい事になる。
「あいつ自分がイケてると思ってない?」だの「あの娘自分が可愛いと思ってるよね」だの、少しでも目立とうものなら「出る杭叩き」が待っている。
そんな空気の中「俺って最高」ってやるのは大変だ。
むしろ「痛いやつ」を装って確信犯的な「変人」を演じるしかないのかもしれない。
自分が「パワフルな陽キャ」ならそれも可能かもしれないが「元気のない陰キャ」だとそんなのは無理だろう。
そんなわけで若者は「コスプレ会場」など比較的安全な「自己陶酔の祭り」に向かうのかもしれない。
そこでは「既存のキャラクターになる」というマナーがあるので「本当の自分」なんか見せないでもいい。
「大好きなキャラクター」になりきった自分に存分に酔えるわけだ。
それもいいけど本当に気持ちいい「自己陶酔」は「これが私!」とばかりに「本当の自分」を見せる行為だろう。
そして表現行為というものの本質は「ここ」にある。
そこで表現される「自分」はあくまで「本当の自分」なので「世の中の常識」とは違う「変」なのものだったりするのだけど、観客は「そういうやつ」が大好きだったりする。
クィーンのフレディ・マーキュリーが胸毛をさらけ出してケツを振りながらキレキレのダンスを踊る時、それは明らかに「世間的には変な人」なのだけど、フレディにとっては「これが私!」なわけで観客はそこに「最高のカッコよさ」を見るのだ。
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