声は人を連れているのか
寒いです。
ああ。あと5か月くらい寒いのか。
ほんとやだ。タイにでもいこうかな。
今週は久世のターン。
平家物語の話をします。
お題は
【声は人を連れているのか】
実は私、7、8年前からご縁あって、
漫画家の方のニコ生とYouTubeの放送に出ておりまして。
これを読んでいる方はご存じないかもしれませんが、
山田玲司のヤングサンデーという番組なんです。
その番組はアニメや漫画のサブカルからアートや世代論、社会問題まで
幅広く話していくというスタイルの番組でして…
…すみません。もうちょっとふざけようと思ったのですが、
なんか恥ずかしくなったので、茶番はこの辺にして、
このヤンサンで去年神戸でイベントした時に出会った
ゴルパンにも入ってらっしゃる琵琶をされている方にお誘いいただき、
琵琶と朗読と語りのイベントを京都のお寺で行いました。
昨日のことです。
そのゴルパンの琵琶の方の師匠に当たる方もメインで出演されたのですが、
その方は昨年放送されていたテレビアニメの平家物語や、映画犬王の
琵琶の音の監修だったり演奏をやられている方で。
そんな方々と現代詩の僕が「平家物語」を通して何が出来るのかとても楽しみにしていました。
なんかこの話がある前から昨年からたまたま平家物語と源氏物語について調べていたんです。
日本の美をテーマに色々考えてて。川端康成をやったこともあるし。
それで芸術祭に企画を応募したりしてました。不思議なものですわ。
今回ご一緒する方が全員はじめましての方ということ、
特に対面での打ち合わせや当日までリハーサルが出来ないことなどもあり、
現代風にYouTubeにUPされている動画を見たりアニメを見たりしつつ、
平家物語をちゃんと読んだことがなかったので数冊の本を読みつつ、
勉強していたのですが、
(共演者の方々には申し訳ないくらい知識が足りなくて恥ずかしいです)
面白いなぁ。まず登場人物に〇盛、多すぎ。
どんだけ盛んねん。
ぱっとあげられるだけでも、
清盛(きよもり)、家盛(いえもり)、経盛(つねもり)、
教盛(のりもり)、敦盛(あつもり)、頼盛(よりもり)、通盛(みちもり)、
業盛(なりもり)、重盛(しげもり)、維盛(これもり)、
有盛(ありもり)、宗盛(むねもり)、師盛(もろもり)、資盛(すけもり)、
…。大盛りや!!(書かないだけでまだいます)
そんな平家物語を題材にした詩を描きおろしてライブで語っていくわけですけど。
ほんと面白いです。
何がってやっぱり「口伝」なのかは分かりませんが、
定本はあれど声と節(歌)で語り継がれてきた物語というのが
とても僕には興味深いのです。
定本が先なのかそれとも語り継いできたのを本として残すに至ったのか、
ほんとのところはわかっていないそうですが。
昔は今のように情報を伝達させることがとても難しい時代。
その時代に、盲目の琵琶法師たちが、様々な場所で、琵琶を鳴らしながら、
その土地土地に合わせた、カスタマイズされた平家物語を語っていく。
実際に、平家側の地域では平家の活躍の部分を手厚く語ったり、その場その場に合わせて
様々なカスタマイズをしていたそうです。(久世調べ)
その中で、当然、今まで知らなかったような現地でしか入手できない過去の情報も入手できるでしょうし、
そうしたら、それを自分の琵琶の語りに組み込むでしょうし。
どこかでほかの琵琶法師と会えば情報交換もするでしょう。
語り物のいいところは形があるようでないのがとてもいいんです。
儚い。残らない。
その人にしか語れない平家の物語は昔あった。
しかし明治時代、徳川幕府も滅びて、琵琶は急速に衰退し、昔からの形で平家物語を全編通して語れる人はいなくなったと聞いています。でも、まだ、語り継がれているものもある。すごいことだ。
僕らがよく知っている平家物語の祇園精舎のあれは、
「覚一(かくいち)本」と呼ばれているもので、数あるバリエーションの一つみたいです。
(間違っていたらすみません)
色々と調べたり、文献をあたっていくうちに思ったのは
平家物語の本質は「出会わなければいけない」ということでした。
これはあくまで僕の感想ですが、文学として、作品として色々な形態がある平家物語ですが、
僕の中で本質は「語ること」であって
文で読んだって仕方ないんですよね。
あと語っている場にいないと意味がないので、
(その現場にはあとからの映像では記録できない異常な量の情報が存在している)
本当に、その場に居合わさなければいけないし、その場に出会わないといけない。
田中泯さんの場踊りとかに近いものを感じます。
コロナ禍になってから、あの閉塞的な状況の中で、何が救いだったのか。
僕は「声」でした。
外出もできない状況の中で、唯一自由に「人」を感じられるのは
ラジオやポッドキャストなどの声だったからです。
僕にとって、声は場を連れてきてくれました。声が人を連れてきてくれました。
それが、大きな救いの一つでした。
僕は歴史的な何かを語ることはほとんどないんですけど。
声は人を連れてくる。
800年程前に滅びた平家の一門が琵琶法師に語られるたびにその瞬間を生きていく。
それは現場でみないと。
その「声」によって「死んだ人」が「今」「生きる様」をみないと分からないものだと思うんです。
実際に、本当にその場が800年前のその場になるんですよね。
しかも、過去を見ているのではなく「今」を見ている感覚に。
そういう意味で、絹糸が弦なので、簡単に伸びたりして調律がすぐにぶれたりする琵琶の安定しない音は、
この世とあの世をうまくつないでくれている感じがしました。
皆様も機会があれば、ぜひ、琵琶の調べに直接触れてみてください。
僕の声もこれからまだ何年も何かを読み伝えるごとに何かを連れてこれますように。
目の前の現実にはないものを。
さて最後に、昨日上演したライブの僕のパートの一部をここに載せておきます。
掲載する演目は壇ノ浦の戦いも終わって、平家も滅亡したあとに起った
歴史的な記述としても残っている「大地震」
(文治地震)についての演目を上演するときに読んだものです。
今回の公演はこのすべてが終わった後に起きた「大地震」から始めるという演出の公演だったので一番最初の演目になります。
僕はこの場面では平家物語に詳しくない方も当日は多いだろうと思い
「ある程度の全体の導入」になるような詩を描きました。
この最初に読むものを、今回最後の演目である「壇ノ浦」を上演する際にも一部引用して読んで、
最初と最後に儚さを強調するような小粋な構成で描きました。自画自賛です。
楽しかったです。
ではまた!寒い日が続きますがお元気で!
【大地震】
この全文の意図を少し書いておきます
その方が読んだとき面白いと思うので。
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