水の下は地獄だけか?
今週のヤンサンは「ルパン三世 カリオストロの城」でした。
メインは宮崎作品の「水」について。
人はいつも何かについて騒いでいるけれど、いつも物事の表面しか見ていない。
「本当の事」はもっと深いところにあって、それを見なくてはいけない。
宮崎駿にとってのアニメとは、そんな「隠蔽された真実」を観客に見せて、何かを変えることなのだろう。
彼の作品は社会を暗示する「構造」があって、それが「城」などの建物だったり「国」などで現れる。
そのほとんどが「縦」の構造を重視していて、主人公は「上」にいる者たちや「下」に広がる世界を見せる。
特に機関室、腐海、ボイラー室、地下水路、遺跡など「下」の見せ方は凄まじい。
それらは「歴史」であり「犠牲者」であり「浄化をするものたち」だったりする。
出来上がった美しいアニメが「上の世界」(飛んでいるキャラクター達)だとすると、下の世界はそのために血と汗を流すアニメーターなのかもしれない。
宮崎作品はやたらと「水の中」に入る。
そこには「真実」が隠されている。
人はそこに飛び込むことで「水面の上の虚構の人生」から開放されるわけだ。
放送でも言っていたけど、彼の描く「水」とは「世の中の空気」みたいなもので、それは常に真実を見えづらくする。
僕も漫画で「隠蔽を剥ぐ」というテーマを描いていたけど、宮崎作品はそれを70年代から続けてきたわけで、本当に頭が下がる。
【見えている】
僕は午前中にBSのニュースをなんとなく見ることが多い。
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