K
Kの訃報が届いたのは、彼が死んでから9日後のことだった。
軽自動車専門の中古車販売店の副店長をしていたNは、その報せを仕事の休憩時間に受け取った。
7月の海の日の連休の中日、うだるような暑い日の夕刻だった。
その1週間後の日曜、NやKの大学のサークルの同期たちは久しぶりに連絡を取り合い、彼らが過ごした大学のある町の、思い出の飲み屋で集まることになった。
同期とはいえKとそこまで親しくもなかったNだが、なぜだか行かなくては気持ち悪い気がしたのと、普段から休む理由もないので働き続けてしまう自分を裏切りたくなって、その日は午前だけ出勤して半休を取り、行くことにした。
その日集まったのは7人だった。
とある芸術系の大学の軽音サークルの、「ゼロイチ」と呼ばれた2001年度入部の同期は16人いた。
だが卒業してから早18年、仕事や家庭や子育てやらでそれぞれ全く違う人生を生きていて、連絡がつかなくなった者や、もう東京にいない者も多かった。
そんなだから呼びかけが急だったのに7人も集まるというのは、みんなよく都合がついたと言った方がいいのかもしれない。
集合の18時に来れたのは5人で、あと2人は遅れての参加だった。
最初に集まったのはNと部長のT、会計のF、飲み会などの幹事をやっていたMと、盛り上げ役だったO。
店は台湾系の大衆中華料理屋で、彼らが学生時代から世話になった思い出の店だった。
店に入るや否やOが言った。
「うっわ、ちょっとリノベーションしてるやん!」
Oは関西出身で、典型的な関西人という感じの、何にでも大袈裟に驚く男だった。
その必要以上に大きな声で話す癖は何も変わっていないなと、他の4人は思った。
「確かに変わったね〜、名前変わってないけど別の店みたいだな」
と普通のこと言ったのは部長のT。
すると幹事のMは嬉しそうに
「でも食べ飲み放題2500円で3時間とか、馬鹿みたいに安いとこは変わってないのがすごいよ。物価も上がって来たのによくやれるよね」
「あたしたちも変わってないでしょ中身は。外見はほら、しっかり歳取っちゃったけど。さ、いくよ」
会計のFは女にしては低いその声で、あの頃と同じように男たちの尻を叩いた。
彼らは予約席の、昔はなかった半個室の8人席に通された。
とりあえず一杯目を頼み、料理はコースだったので頼む必要はないのだが、メニューを開いて昔との違いなどをあーだこーだ。
一杯目が驚くほど早く来るのがこの店のセオリーだったが、昔よりずいぶん落ち着いた店内にふさわしく、お通しと共に穏やかなスピードで運ばれて来た。
Nはそのちょっとした変化に、この店も自分達も大人になったんだなと思った。
「お、きたきた」
「昔はさ、頼む時にもう持って来てたもんね」
「そりゃ毎週来てたし、だいたい頼むものなんて同じだったから」
「たまに違うの頼んだら嫌な顔されたよな女将さんに」
「そうそう、カタコトの日本語でソレサキニイウコトヨ〜って」
「そういやあの女将さん、今日おらへんな」
「あとで聞いてみようか、女将さんどうしてるかって」
「ま、女将さんも気になるけども、今日はとにかく、Kに……献杯」
部長の音頭で5人は黙って杯を掲げた。
NはKを想うよりも、久しぶりに掲げた中ジョッキの重さの方を強く感じて、妙な罪悪感を覚えた。
それを隠すように一気にビールを流し込む。
喉を通る黄金の水の冷たさがまるで初めて飲んだ時みたいに新鮮に感じた。
ゴクゴクと唸る喉の音は心臓の音よりも生きている証のようで、それだけでなんだか来てよかったなと、Nは思った。
「ふぅ…」
献杯のあと誰かのため息が漏れた。
さっきまでの明るいテンションはどこへやら、5人にすぅっと影が差したようだった。
図らずも葬式で荼毘を待つ時間のような気だるい沈黙に、Nは手にした中ジョッキの水滴を指で擦り上げた。
「な、こういう時はくぅ〜!うめぇ〜!みたいなのはやらん方がええかな?いや、逆に?逆にやっとく?」
Oはいつも、しんみりするとそれをかき消そうとするウザったさがある。
「てかお前、烏龍茶だろ。ビールみたいなリアクションやめろ」
すかさずツッコミを入れるM。
「アホか、俺以上に飲みっぷりがええやつおらへんわ」
「ビール2杯で過呼吸になったやつがよくいうぜ」
2人は同じバンドを組んでいて、相変わらずの掛け合いだった。
一気に昔の空気が蘇ったみたいで、みんな笑った。
そこからは2人を中心に昔話に花が咲き、Kの話にもならず、ただの同窓会のような感じになった。
みんなひととおり近況を報告し合いながら30分くらいしてやっと、Nの番が来た。
こういう時に最後になるのがNの星回りと言えた。
大して目立ちもしないし、おもしろくもないが、そこまでつまらなくもないし、割と話は筋立っていた男だったので、いつも場が落ち着いた頃に出番が回ってくる。
幹事のMが聞く。
「Nはさ、離婚してからどうしてんの?いい人いないの?」
Nに離婚歴があったのは、みんな知っていた。
相手はサークルとは関係ない人で、結婚式も挙げなかったからそもそもみんなNが結婚したことも知らなかったのだが、前回飲んだ時にその話をしていた。
「そうそう、それ気になってた。前飲んだのって5年前?だっけ?あれからなんかなかったの?」
そういう話に目がないFが食い気味に乗ってくる。
「あー、ないね、あれから浮ついた話は」
「お前湘南BOYやろ?もっと遊べよ」
Oが茶化す。
「前から言ってるだろ、俺は湘南のインドア派なんだって」
「その割には日焼けしてんなぁ」
Tが笑う。
「いやこれ普通に仕事だよ。外出て案内する時も多いから」
「へー、いまどんな車売れてるの?」
車好きなMが乗ってくる。
「よく売れるのは軽のSUVかな、やっぱり。ハスラーとか、タフトとか」
「あー、ハスラーね、かわいいよね」
「ジムニー乗ってみたいねんな俺。昔からカッコええと思ってたねん。今いくらくらいなん相場?」
「待って、そもそもSUVって何?」
車話についていけないFが聞く。
「SUVってのはスポーツ・ユーティリティ・ビークルのことで、色んなとこ走れるように設計された車なんだけど、わかりやすく言うと昔でいう4WDのことだね」
「4WD?なんでそれが人気なの?」
「コロナでほら、キャンプ流行って来て、それでアウトドア車が人気なんだよ」
Nはお客のほぼ半数に聞かれることをここでも話している自分に笑いそうになった。
そこに、Sが来た。
「みんな久しぶり〜」
「S〜!待ってたよ〜。よく来れたね今日さ」
やっと同性が来たと、朗らかにFは迎えた。
「ご飯作ってチビたちは旦那に任せて来たから」
2人の子を産んだSは体型から服から何からすっかり変わっていて、あの頃ビジュアル系を追いかけていた細身で不健康でゴシックな彼女を知っている男たちは、女はここまで変るんだという事実を、どんな哲学書より深く学ばせてもらっていた。
「あれ?女、Fひとりだったの?Aは?」
「Aも遅れてくるって」
「まだ子供小さいもんねAは」
「だから最初からいるのは独身のあたしだけ」
「いいじゃん、自由でさ〜」
「何が自由よ、持て余して羊水腐っちゃったわ」
Fは葛飾区の下町育ちの毒舌が滑らかに口をつく女傑で、男たちは笑っていいのか気まずくなる時がよくあった。
「何引いてんのよあんたたち」
「いや、大丈夫や!俺の精子も少なくなってるから!」
「なんなのそのフォロー」
Sが合流したことで、話題は車の話から自然と子育ての話に移った。
離婚の話も車の話も中途半端になったが、Nはそういうのは慣れていて、いつも通り静かに聴き役に回った。
それからまた30分ほどして、Aが来た。
「やっと着いた〜」
Aには3歳になる息子がいて、27の時に一度流産してから不妊治療を続け10年、やっと授かった子供だった。
その苦労が年齢以上に肌や顔の皺に出てはいたが、それが返って魅力的に見えるような素敵な歳の取り方をしていた。
親の影響で流行りの音楽よりはオールディーズやソウルが好きな、若い時から大人っぽい趣味をした女性だった。
キャロル・キングやアレサ・フランクリンはもちろん、ドリー・パートンやスージー・クアトロまで愛していたセンスが、今とても説得力を持って彼女の魅力を支えている。
そんなAと、Nは昔、付き合っていた。
どこもそうだがサークル内恋愛は複雑なもので、Sは部長のTとも付き合っていたし、先輩のRとも大恋愛をしていた。
Fはだいぶ年上の男と付き合っていたが、不倫だったことがわかり自暴自棄になってた時、Mとも一瞬、そういう感じだったこともある。
だがFとMはあまり性格が合わなくてすぐに終わった。
Oはサークルでは女はつくらんと言って浮ついた話はなかったが、外ではかなり派手な恋をしていた。
反対にKは、地元の幼馴染と高校からずっと付き合っていた。
その純愛がどうなったのかは、誰も知らない。
そしてAは、高校時代から付き合っていた彼氏と大学入学してしばらくすると別れ、それからまた1年ほど経った大学2年の夏、Nと付き合いだした。
きっかけは月並みな事だった。
意外と音楽の趣味が合ったことや、横浜出身で藤沢出身のNとは共通の話題が多かったのもあった。
ある時Aがソフトロックをやりたいと言うのでバンドを組んで、それからなんとなく2人でいる時間が増え、告白らしい告白もなくいつの間にかくっついていた。
そうして長い春が過ぎ、卒業して3年経って別れた。
別れた理由も月並みな話で、お互い環境が変わって色々すれ違いが増えたというだけの、本当によくある理由。
それでもNにとってAは20代前半のほとんどを共に過ごした女だった。
別れてから15年。
最後に会ったのは5年前のTの結婚式でみんなが集まった時で、Aがまだ子供を産む前だったか。
自分はちょうど離婚して3年ほど経って、今の仕事を始めたばかりだったな。
人が記憶を連れてくるものだなと、Nは想った。
他者とは外部メモリーみたいなものでもあるのだと。
自分も誰かのそういうものになっているのだろう。
AはNの隣に座った。そして静かに
「元気?」
と聞いた。
「ああ。それなりに。そっちは?」
「うん、元気だよ」
驚くほど自然に微笑んだAの顔を見て、Nはまた、来て良かったと想った。
「何飲む?」
「あ、ごめんわたしジャスミン茶で」
全員が揃ったところでまた、献杯をした。
そうしてやっと、Kの話になった。
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