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山田玲司のヤングサンデー 第353号 2021/8/2

「レキシ」と「カノッサの屈辱」

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【歴史ネタミュージシャン】


「レキシ」というミュージシャンがいる。

古今東西(主に日本史)のネタを歌詞にして笑える歌を作って人気者になった。

かなり前の話だったと思う。

その頃「水曜日のカンパネラ」というバンドが「昔話」や「歴史上の人物」にツッコミを入れるような曲を出して話題になっていた。


僕はいわゆる「教養」と呼ばれる堅苦しいものをポップに料理したコンテンツが好きなので、彼らの登場は興味深く見ていた。


彼らは見事にブレイクを果たしたのだけど、僕自身は「表層で終わっている曲」が多く感じられて、物足りなさを感じていた。



悲劇の武将の内面を歌い上げたりもするのだけど、その多くが「歴史の授業で教わった変な言葉」を「あるあるネタ」として消費するスタイルで「言葉遊び」で終わっている。




【カノッサの屈辱】


同じ様なコンテンツにバブル期の深夜番組で伝説を残した「カノッサの屈辱」という番組がある。


この番組は教育テレビの「堅苦しくて重い演出」をあえて使って、当時の流行の流れなどを解説していく、というものだった。


「ビデオデッキの規格争い」を「関ヶ原の合戦」と重ねて見せたり「車の流行」を「三国志」と重ねたりする、当時全盛だった「パロディコンテンツ」の1つだ。


僕はその番組の大ファンだったので、いつか同じようなものができないかと考えていた。


ところが改めて当時の「カノッサの屈辱」を見返してみると、これもまた物足りなさを感じてしまった。


そこで表現されている「近代消費社会のクロニクル」はまだ面白く見られるのだけど、演出として使われている歴史番組のネタがまたしても「授業で教わった変な言葉遊び」に見えるのだ。



受験のために無理やり覚えさせられた「大化の改新」や「守護地頭」みたいな言葉を意味もわからないまま「ネタ」として共有、消費している感じに見える。



しかもその言葉が「ネタ」にできる(高学歴な)自分たちをちょっと偉いと思っている選民意識も臭ってくる。


あの当時は「高学歴・都心住まい・お洒落」である若者層が「その他の人達」をバカにするという嫌な空気が満ちていた。


その中の「歴史」は「受験ネタ」でしかなく、そこから何かを学ぶような意識はほとんどなかったのだ。



今回の放送でおっくんが力説していた『歴史は「年号」とか「戦の名前」を覚えるものではない』という話は本当の歴史好きの人達には常識で、僕もずっとそれを感じていた。



ヤンサンも「ポップに教養を伝えたい」と思っているけど「スノビズムで選民意識を共有する」というのは避けたい。


なので放送中で僕が言っていた「カノッサの屈辱をやります」というのは、カノッサそのままをやるのではないのでご了承下さい。


今の所受験で覚えた言葉よりガンダムの「1年戦争」みたいな言葉の共有の方が楽しく伝わるのでは、なんて考えてます。

(この企画は公開が決まったらお知らせします)




【おっくんの歴史回】


そんなわけで「おっくんの歴史回」の話。