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山田玲司のヤングサンデー 第259号 2019/10/14

何のために生きるのか?

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その日僕は、スーパーに買い出しに行った。

超大型台風の19号が翌日上陸するというのだ。


さすがに今回ばかりは呑気に構えていられない。

何しろ「カテゴリー5」とかいう化け物らしい。


カテゴリー5といえば、ニューオリンズの街を地獄に沈めた最強最悪のハリケーン「カトリーナ」と同じだ。(総死者数1833人)


とうとう「あのクラス」の台風が日本を襲う日が来た・・


カトリーナの被害は、あの「不都合な真実」の中でも引用されている。

街はどこまでも浸水し、建物の多くが吹き飛ばされて跡形もない。そんな地区が延々と続く。


気候変動は気まぐれに「あちこちの場所」を地獄に変える。

そして世界はその度に「地獄になった場所」と「いつもと同じ場所」の2つに分かれる。

「地獄」を生む原因は「自分達人間の活動」だという。


そんな「不都合な真実」を前に、人も2つのタイプに別れた。

「自分には関係ない」と思う人間と「次は自分が犠牲になる」と思う人間だ。


などというのはいささか極論で、実際は「自分にも関係あるとは思うけど、なんかよくわからない」という人が1番多かったと思う。




【2005年のカトリーナ】


カトリーナの被害写真は強烈で、僕はその映像が頭から離れなかった。

いくら万全の貯蓄(食べ物や電源など)をしても、いきなり天井まで水が入ってきたり、建物ごと吹き飛ばされたりしたらどうにもならない。


世界中の科学者が「気候変動はこんな台風を次々に生み出す」という。

「被害は人ごと」だった地域もいつか犠牲になる、と言われていた。


なので、僕の描いた「ココナッツピリオド」という気候変動をテーマにした漫画のラストは、ニューヨークを巨大ハリケーンが襲うシーンになった。

ニューヨークは世界経済の中心(自然破壊の本拠地)なのにハリケーンなどの自然被害は少ない「人ごとの街」に見えたからだった。(実際はこの地区の環境意識は高い)

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カトリーナから2年後の2007年。

アル・ゴア氏の「不都合な真実」が発表され、そんな地獄の未来を避けるには最悪でも2013年までには「強力な具体的対策」がなされなければならない、と言われていた。


そして「それ」は先送りにされたまま、僕の住む街にも「その日」が来たわけだ。


自然の猛威は「自分には関係ないという人達」も「人生をかけて環境問題に取り組んできた人達」にも「よくわからない」人達にも平等に襲いかかる。


僕なんかよりはるかに「人生をかけて環境問題に取り組んできた人達」を沢山知っているので、本当に複雑な気持ちになる。





【スーパーのおじいちゃん】


台風直前のスーパーには多くの高齢者の人達でごった返していた。

自動精算機になれない高齢者も多くて、買い物客のレジ待ちの列は恐ろしく長引いてる。


若い店員さんも全力で急ぐけど、列は進まない。

険悪な雰囲気の中、精算を終えた「おじいちゃん」が、その若い店員さんに言った。


「こういう時は、せっかくだから楽しまなきゃな」


おじいちゃんも悪気はないだろうけど、その1言は恐ろしくスベった。


おじいちゃんは自分の食料を調達し終えて、この祭りのような状況を楽しんでいるようだった。

おそらく彼なりに「場を和ませようとした」一言だったのかもしれないが、この緊急事態に必死に働いている若い店員さんにも「人生」や「家族」や「未来」もある。


「楽しもうにも楽しめない」状況で、そのまま家に帰れるおじいちゃんとは全く違うのだ。

閉店まで働いたら暴風雨の中帰れなくなるかもしれない。


店員さんもその他のお客さんも「誰1人」笑わないまま、品薄を詫びる店内放送と、赤ん坊の鳴き声だけが店内に響いていた。




【可視化されるものたち】


いくら地上波や新聞が「いつもの日本」を演出しても、こういう些細な瞬間に「分断」は可視化されてしまう。


少し前に岡田斗司夫さんのニコ生にゲストで出た時に、僕は「すでにこの国の国民は完全に分断していて、社会は廃墟になっているけどインフラだけは動いている」と言った。



ところが自然災害の度に人々は助け合い、嫌でも色々考える事になる。


「この社会は間違っているんじゃないか?」なんて。