ここでのリーダーは、ファーブルと呼ばれる恰幅のよい聖夜協会員だ、ということは、なんとなくわかっていた。
そいつのことは、初めて会った時から、あまり好きではなかった。
知的にも冷静にもみえたけど、それでもどこか、子供っぽくも感じていた。こちらをみる目は昆虫を観察するようだった。その視線には子供じみた残虐性が乗っていた。
私はこの数日間、久しぶりにロープでしばられて床に転がっていた。――いや、久しぶりでもないか。ひと月に2度もこんなことがあれば、充分高頻度だ。
日付けの感覚はあまりない。たぶんここにきて、3日か4日か。
扱いはニールのマンションにいたころとそれほど変わらない。食事はこちらの方がましで、毎食同じサンドウィッチとパックに入った牛乳が出た。でもニールのマンションよりも快適だということはなかった。とは違い、ここの人たちは、常に私に注意を払っていた。広くはない、でも物がないせいで妙に広く感じる部屋の前には、常に人の気配があった。部屋には鍵が取りつけられていた。天井には監視カメラがあり、いつも視線を感じていた。
私はずいぶんよく眠った。
ほかにすることがなくて、できるだけ目を閉じていた。
想像よりも動揺はなかったように思う。ノイマンといるあいだは、誘拐されているという感じでもなかったけれど、それでも誘拐生活はそろそろひと月になる。慣れたくもないけれど、人は誘拐にだって慣れるのだろう。
私はひたすら、フローリングの上で、状況が変わるのを待っていた。
そしてその機会は、今夜、ようやく訪れたようだった。
※
「とても光栄なことですよ」
と、ファーブルは言った。
嬉しげな声だった。
「メリーが貴女に会いたがっています」
メリー。何度も聞いた名前だ。
――今の聖夜協会で、もっとも権力を持っている女性。
どうして、いまさら?
これまでほったらかしだったくせに。
理性的に考えると、それほど悪い話でもないように思った。まさか最高権力者が、自ら私にナイフを突き刺す、ということもないだろう。
でも直感は正反対だった。
なぜかぞくりと、背筋が震えた。
ファーブルの指示で、私のロープが外される。彼は決して、ひとりきりでは私の前に姿を現さない。私は腕についた縄の跡を、何度が手のひらでこする。
今はまだ、抵抗するつもりはなかった。
――メリーか会うというのなら、会ってやろうじゃない。
そう決める。
なぜ私が悪魔なんだ。一通り、文句を並べてやりたかった。
体格の大きな男ふたりが、私の左右に立ち、それぞれ腕をつかむ。私は比較的素直に立ち上がる。口にガムテープを張られ、その上からマスクをつけられる。
「参りましょう」
とファーブルが言った。
こいつを困らせるためだけに暴れまわろうかと思ったけれど、それを想像しただけでやめた。
※
マンションを出る。
前に白い車が停められている。
それに乗せられるのだとわかった。
男のひとりが後部座席のドアを開き、そのとき、声がきこえた。
「おい」
ファーブルたちが振り返る。
そこには、眼鏡をかけた男がいた。誰かが小さな声で、「ホール」と呟いた気がした。
「お前たち、本気で悪魔をメリーに会わせるつもりか?」
笑うような声で、ファーブルが応える。
「メリー自身が、それをお望みです」
「ふざけるな」
その眼鏡の男の声は、どこか理性的に聞こえて、そのことがむしろ怖ろしかった。
「悪魔は悪魔だ。メリーは優しすぎる。彼女を守るのが、私たちの役割だろう」
彼はふいに、走り出した。まっすぐに私の方向に。その手に銀色の、小さなナイフが握られているのがわかった。
ファーブルも、私の両側の男たちも、それに反応できなかったようだった。
私は目を閉じることもできなかった。
なんだか上手く状況が呑み込めなくて、馬鹿みたいに一直線に近づいてくるそのナイフをみていた。
その時だった。
「ふざけんなよ」
怒鳴り声が聞えて、私の前に、知っている背中が現れた。
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