目を開くと、ノイマンが私の顔を覗き込んでいた。
「やっぱり、どこか悪いんじゃない?」
病院の予約を入れましょうかという彼女に、私は首を振る。
「大丈夫ですよ」
むしろ、気分はいい。
でも少しだけ泣きたかった。
久瀬くんのしたことは、大人からみると馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど。でも彼はきっと、ずっと本物の英雄だった。
※
私は適当な嘘のエピソードを語りながら、タイムラインの向こうのみんなにお礼を書く。
――みなさん、ありがとうございます! みなさんのおかげで、エピソードを思い出せました。
と、ニールが隣から、スマートフォンをつかみとった。
つい、あ、と声が漏れる。
「もういらねぇだろ」
彼が席を立ったので、ノイマンと私も、仕方なくあとに続く。
この素敵な喫茶店をあとにするのが、少しだけ惜しかった。まるで上品な図書館のようなお店で、ずっとここにいたくなるのだ。本当に。
会計を終えて、ノイマンがスマートフォンの地図アプリで駅までのルートを検索した。
「ここからだと、結構あるわね」
「どのくらいかかる?」
ニールの質問に、ノイマンは平然と返す。
「30分ちょっとかな」
「おいおい、今日は歩くような天気じゃないだろ」
俺は先に行く、と彼はつぶやく。
「この子はいいの?」
「お前が責任をもって連れてこいよ。それくらいできんだろ」
ノイマンの答えも聞かず、ニールは右足を踏み出した。それだけで、彼は靴の底が地面に触れるよりも早く姿を消している。何度見ても意味がわからないマジックだ。
「あれ、なんなんですか?」
「気にしないで。私も気にしてないから」
ノイマンは本当に気にしている様子もなく、軽く息を吐いてから、もう一度スマートフォンの画面をちらりとみた。
「どうする? 私たちはタクシーでも呼ぼっか」
「あ、いえ。歩きましょう」
思わず口をついてそう出たのは、ニールと少しでも離れていたかったからだ。ノイマンとふたりきりなら、もうほとんど誘拐されていることを意識しない。
そ、と頷いて、ノイマンは歩き出す。
「じゃ、こっちよ」
店を出て、すぐ右に曲がる。
続いてのっぺりと白く塗られた施設の前を左折し、まっすぐ進んだ。
小さな川と、そこにかかる橋を越える。
さらに、大きな道路に出たあと左に曲がると、また川と橋がある。
広い公園の前をゆっくりと歩きながら、横に並んだノイマンが言う。
「このあたりには自然がいっぱい残っているのね」
確かに、都心とはかなり違って新鮮な光景だと思う。
「そうですね。なんていうか、建物同士の間隔が広いし」
だからか、大通り沿いをかなり長く歩かされた。
しばらく先、薬局の前を左に折れる。看板を見る限り、このあたりは四つ屋街道というらしい。
その後は、また不安になるほどの直進だった。左手に、緑の柵に囲まれた総合車両センター。その横を過ぎて、緩い上り坂を渡る。
ここも橋だ。下には列車の路線が横切っている。
坂を降りると、すぐ先に5方向へ分岐する交差点があるので、右に曲がる。
交番あった。その前を、誘拐犯と雑談を交わしながら通り過ぎるというのも奇妙な気分だ。やがて開けた交差点に出る。
そこを右に曲がると、もう土崎駅だ。汗が顎から滴るけれど、それでももう少し、こうして静かに歩いていたかった。
駅前ではニールが、飲み終わった缶コーヒーのプルタブをかちかちと爪で弾いている。
「オレはこの旅で、何杯のコーヒーを飲みゃいいんだよ?」
ニールが空き缶を片手で凹ませ、告げる。
知ったことか、と私は内心で舌を出した。
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ニールwww