■佐倉みさき/7月28日/10時
夢をみていた。
幼いころの夢だ。
※
当時の私は、両親から勧められたピアノ教室に通っていた。
私はピアノが嫌いではなかった。
下手なりに技術が向上するのはカタルシスだったし、褒められると単純に嬉しかった。
でも、ピアニストになりたい、とは絶対に思わなかった。人前に出るのが苦手だ。綺麗な格好をしてステージで演奏するなんて、なんとしてでも避けたいことだった。
なのに。
――今年のパーティでピアノを弾かないかって、頼まれてるのよ。
と母が言った。
パーティというのは、ホテルで開かれるクリスマスパーティのことだ。私は毎年、それに参加していた。
――大丈夫よね? みさきはピアノが上手だから。
嫌だ。大丈夫じゃない。
本当は首を振りたかった。
でも自分のことのように嬉しそうに笑う母の顔をみると、否定もできなかった。わかった。がんばる、と私は応えた。
後悔先に立たず、というけれど、頷く前にもう、後悔することはわかっていたように思う。
※
パーティ会場についたときには、がちがちに緊張して、まともに人の目を見て喋ることもできなくなっていた。元々、愛想よく振る舞うのは苦手な性質だ。社交的だった姉さんとは違う。
会場の入り口ではパーティのプログラムが配られていた。
そこには、はっきりとした文字で私の名前が記載されている。細い明朝体のフォントが、鋭利な凶器に思えた。私の心に刃を立てる。
プログラムがひとつ進行するごとに、私の発表が近づく。
苦しかった。
鼓動さえ私を痛めつけるようだった。
上手く息を吸えなくて、私は下唇を噛んでいた。
「大丈夫?」
とお母さんが尋ねる。
大丈夫なはずがなかった。
私は、無理に笑って、
「平気だよ」
と答えた。
なぜそんな嘘をつくのか、自分でもよくわからなかった。嘘だと見破って欲しかった。
なのにお母さんは、「そう、がんばってね」と笑って、別の大人と話し込んでしまった。
あんまり苦しくて、私はパーティ会場を抜け出す。
洗面所に行くと、鏡でみる佐倉みさきは、白いお姫様みたいなドレスを着ていてまったく似合っていない。もっと怯えた顔をしているものだと思っていたけれど、そこにあるのは無表情で、この苦しみさえ他人事みたいで、やるせなかった。
私はそのままパ-ティ会場の部屋には帰らず、その隣にある扉を開いた。扉はやけに重たく、ドアノブは冷え冷えとしていた。
室内は狭く、暗い。
部屋の隅に膝を抱え込んで座った。
あんなに重たい扉を抜けて、会場からはプログラムの進行を告げるアナウンスが聞えてくる。私は必死に、耳を塞ぐ。
スポットライトなんて求めていなかった。みんなの義務的な拍手なんて聞きたくなかった。指は凍えたように冷たくて、鍵盤を押せるはずもなかった。
助けて、と何度も叫ぶ。
もちろん声には出せないまんまで。
心臓の音だけがうるさくて、耳を塞いでいるのにそれはなくならない。
真っ暗な床をじっと見つめて、どれくらい経っただろう、キイと扉の開く音がした。
※
私は驚いて、そちらを見る。白い光が差し込んでいる。
くっきりとしたシルエットは、大人のものじゃなかった。私と同じくらいの背。
目が慣れるまでの数秒、逆光で顔が分からなかった。
彼は言う。
「こんなところで何してんだよ?」
その声を聞いてわかる。久瀬くんだ。
年に一度、このクリスマスパーティだけで会える男の子。
「待ってるの」
と、私は答えた。
「なにを待ってるんだよ?」
「なんだろ。よくわかんない」
順番が回ってくるのを? そんなわけがなかった。
でも私は待っている。なにを。わからない。
扉が閉まる。久瀬くんが近づいてくる。
私はうつむく。
「もうすぐ、ピアノを弾くんだよ」
「ピアノ?」
「うん。舞台で」
「すげぇじゃん」
「すごくないよ。たぶん失敗するから」
「どうして?」
「どうしてかな。ぜんぜん弾ける気がしないの」
また。
隣のパーティ会場から、プログラムの進行を告げるアナウンスが聞こえた。
「次の、次だ」
確認するように呟き、うつむいた。
「お前、ピアノが嫌いなの?」
「ううん。好きだよ」
「でも、なんか嫌そうだぜ」
「うん」
――助けて。
と私は叫ぶ。もちろん胸の中だけで。
「いろんな人にがんばれって言われたら、嫌になっちゃった」
がんばれなんて、自分勝手だ。
私を苦しめないで欲しい。私に押しつけないで欲しい。
声に出して、そう言えたらいいのに。でも私にはそれができない。
「そんなとき、どうしたらいいか知ってるぜ」
久瀬くんが手を差し出す。
私は、びくっと身体を震わせる。
「泣くなよ。いこう」
顔を上げる。うっすらぼやけた視界の向こうに彼がいる。
私は彼の手をとろうとして、右手をあげて。でも途中で躊躇って、宙でとめて。
彼はその様子をみて、なんだか不器用にみえる顔で笑った。
「いくぞ」
そして強引に、彼は私の手をつかむ。
瞬間。
どうしてだろう? 涙が滲んだ。
彼の手のひらは暖かくて。それはとても暖かくて。
どうしてだろう、これまでとは違う、なんだか懐かしいリズムで一度だけ、胸が鳴った。
コウリョウ @kouryou0320 2014-07-28 10:05:22
起きたら久瀬くんのイケメンエピソードが来てた〜
しながわりんこ @yuzuyuzuyuzuppe 2014-07-28 10:11:36
ピアノかぁ 演奏は好きだけどコンクールはそんなに好きじゃないって人けっこういるかも
闇の隠居 @yamino_inkyo 2014-07-28 10:14:43
少年ヒーローの動画はこれを描写してたのか~
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