発車のベルが聞こえた。その音はずいぶん遠くから聞こえたような気がした。
低いエンジン音と共に、バスが走り出す。
「水曜日の噂は、クリスマスの謎に繋がっている」
ときぐるみは言った。
「クリスマス?」
今はまた7月だ。
「そう。クリスマス。水曜日のクリスマスだ」
彼はその不気味な顔で、じっとこちらをみる。
「水曜日のクリスマスには100の謎がある。ひとつ目の謎はもちろん、なぜサンタは遅れたのか、だ」
「100もあっちゃ困る。締め切りは目の前らしいぜ」
「大丈夫だよ。君が思っているよりは余裕がある」
「サンタが遅れたってのは?」
「そのまんまだよ。君もよく知っている彼さ。みんな大好きな彼が遅刻したんだ」
わけがわからない。
窓の外から、繰り返しオレンジ色の光が射した。断続的に、カウントダウンのように。
どうやらトンネルの中に入ったようだ。ずいぶん長いトンネルだった。この辺りに、トンネルなんてあっただろうか?
「このバスはどこに行くんだよ?」
「それはオレたちが決めることじゃない。すべてソル次第だ」
「ソル?」
「ソルだけは裏切るな。彼らはきっと、君に味方する」
「よくわからないな。このバスは、バッドエンドに向かってるんじゃなかったのか?」
「今の路線ならそうなる。でもソルだけが、それを変えられる」
着ぐるみが窓の外を指した。
「ほら、みてみな。目の前のバッドエンドが始まる」
トンネルの出口がみえた。
まるで、新しい世界に放り出されたように、みえる世界が変わった。
※
まず窓の外にみえたのは、大型の電器店だった。
バスはその前を通過する。
続いて、奇妙な丸い物体がみえた。
さらにその先には、みっつの音叉が重なる、見覚えのある楽器メーカーのロゴがショウアップされている。その光が交差点を照らす。
道路の向こうには、巨大な、だから平べったくみえる建造物の影があった。
がらんとした交差点だ。きっと、普段なら。
けれど今は違った。その交差点の真ん中に、目を離せないものがあった。
軽自動車に、トラックがぶつかっている。見覚えのある緑色の軽だ。それは粘土細工をテーブルから落としたように、無残にひしゃげている。その隣を平然と、バスは通り過ぎていく。
すれ違うとき、ひび割れたフロントガラスから車内がみえた。
ルームミラーの下で、不細工な猫を模したキャラクターが紐でつられて揺れている。
運転席ではショートカットの女性が――それは間違いなく宮野さんが、血を流して突っ伏している。
隣ではオレが、スマートフォンに何か叫んでいる。
――なんなんだよ。
オレはここにいる。目の前にもオレがいる。一瞬、オレは事故車の中のオレと目が合ったような気がした。
――なんなんだよ、一体。
バスは一定の速度で走る。
血を流した宮野さんが、事故車と一緒に後方へと流れていく。
【BAD FLAG-01 交通事故】
※
「どうだい? 嫌な未来だろ?」
と、隣のきぐるみが言った。
その声で、夢から覚めたような気がした。
「なんだったんだよ、今のは」
「ほんの目の前の出来事だ」
「宮野さんの車が事故を起こすってのか? いつ?」
「オレは知らない。はっきりとしたことはわからない。知識なんかほとんどないんだ。なにせまだ、少年なもんでね」
オレは顔をしかめる。
――未来がみえた?
馬鹿げている。
だが、確かに目の前にオレがいた。見間違えだとは思えなかった。
窓の外に視線を向ける。バスはいつの間にか、再びトンネルに入っていた。オレンジ色の光が、順番にオレを照らしていく。
「ショックか?」
ときぐるみが言った。
「混乱してるよ。わけがわからない」
とオレは答えた。
「まだまだこんなもんじゃねぇぜ。本番は、これからだ」
無機質な声でアナウンスが流れた。
――次は終点、7月25日です。
その直後、バスがまたトンネルを抜けた。
※
光。――強い光。日中の光だ。
眩しくて、オレは目を細める。それからみえた景色に、息を呑んだ。
そこには見慣れた部屋があった。オレの部屋だ。なのにバスの窓越しにみるそれはあまりに非現実的で、上手く思考できない。
バスは走り続けている。その振動を感じる。オレの部屋の景色が後方に流れ、また前方からやってくる。映画のフィルムのコマみたいに、ほとんど同じ景色が連続している。
部屋の中には、やはりオレがいた。
オレは銀色のアタッシェケースを開いていた。見覚えがある。あの、宮野さんがレストランで受け取ったアタッシェ―スだ。
その中身は――なんだろう?
何枚かの、紙の資料のようだった。だいたいは裏返っていてよくみえないが、2枚だけ確認できた。
クロスワードパズル?
オレはそれを解こうとしているようだった。
――なぜ、そんなものが?
そう思った直後、ぐにゃりと視界が歪んだ。立ちくらみのような感覚――ほんの短い時間、目を閉じてまた開く。
すると、窓の外にみえる景色が変化していた。
次は、また夜だ。
オレは夜道を走っていた。
先ほど、宮野さんの車が事故を起こしていた道ともまた違う。
幅の細い道の両脇に、建物がびっしりと並んでいた。なんだか騒々しくみえる街並みだ。
そこを、オレが走っている。
オレはずいぶん慌てているようだった。地面のおうとつに足を取られて派手にすっころぶ。転ぶのなんていつ以来だろう? 自分自身が転ぶのは、みていてあまり気分のよいものではない。
窓の外のオレは勢いよく立ち上がり、また走り出す。
――一体、なにを急いでいるんだろう?
だがその答えは、すぐに氷解した。
オレが向かう先には、古いビルがあった。その壁の一部が大きく崩れていた。瓦礫が辺りに散らばっている。爆破されたような、そんな印象。
そして瓦礫の中に、ひとりの少女が倒れている。
シャツに黒い染みが広がっているのが、遠くの街灯から届くかすかな光でわかる。
――オレは、この子を知っている。
なぜだかそんな気がした。
彼女は目を閉じ、窓の外のオレが肩を抱いても、ぴくりとも動かなかった。
【BAD FLAG-02 爆発】
※
「バッドエンドを書き換えろ」
と、きぐるみが言った。
「時間はもうない」
どきん、どきんと鼓動が胸を打っていた。ひどい頭痛を覚えて、オレはそこを押さえた。形にならない記憶が頭の中で渦巻いていた。
「思い出したよ」
オレは、隣のきぐるみをみる。
「お前、少年ロケットだろ?」
ぼろぼろのきぐるみは、不敵な笑顔を浮かべたまま、じっとこちらをみている。
「へぇ、覚えていたのか」
「忘れてたよ。結局、なんのマスコットなんだお前」
少年ロケットは、幼いころに持っていたキーホルダーだ。どこで手に入れたのか覚えていないし、手放してもうずいぶん経つ。
きぐるみは言った。
「ロケットだろ? 名前だってもろじゃないか」
「ちっともロケットっぽくない」
ただの不気味なガキにしかみえない。
「でも飛び出すぜ? 別の世界までひとっ跳びだ」
「ならバスで移動するなよ」
「準備がいるんだよ。ロケットって発射台まで車で運ぶんだろ? 前に、ニュースでみたことあるぜ」
ふいに、バスが停まった。音を立ててドアが開く。だが窓の外は暗く、何もみえない。
「さぁ行きな。急げよ。カウントダウンは始まっている」
行けって。
「ここ、どこだよ? 一体どこに行けばいいんだよ?」
「知らねえよ。きっとソルが導いてくれる」
「ソルってなんだよ?」
「ソルは遠い場所にいる。それでもこの世界を照らす」
こいつとは、まともに会話ができないようだ。
オレは座席から立ち上がる。
後ろから、きぐるみが言った。
「おい、忘れてるぜ」
「ん?」
「ほら」
振り返ると、着ぐるみは大きな手で、器用にスマートフォンを掴んでいる。それは確かに、オレのスマートフォンにみえた。
「ああ。ありがとう」
いつの間に落としたのだろう? 受け取って、そのスマートフォンをポケットに入れる。
指先が何か硬いものに触れた。引き出すと、それはスマートフォンだった。
――どうして?
同じスマートフォンが2台ある。起動させてみると壁紙まで同じだ。
「これは、オレのじゃない」
「いや。君のだ」
きぐるみから受け取ったスマートフォンには、メールが1通、届いていた。
フォルダを開いてみる。
件名のないメールだ。アドレスは、英文になっている。
――ソルが鳴らすベル?
そう読めた。
あの着ぐるみの言葉を思い出す。「ソルだけは裏切るな」。これの、ことなのか?
メール文を開く。
※
拾った携帯にあなたのアドレスが登録されていました。
主人公とありましたが、あなたはどなたですか?
※
主人公ってなんだよ。
やはりこのスマートフォンは、オレのじゃないようだ。
「スイマには気をつけろ」
と着ぐるみは言った。
「スイマは君に襲い掛かる。ヨフカシを捜すんだ。ヨフカシはスイマの中にいる」
わけが、わからない。
何もかも。
「どういうことだよ?」
「いいからさっさと行けよ。忘れるな、スイマの中のヨフカシを捜せ」
ちょっと待てよ、どうしてスマートフォンが2台になるんだ? だいたいあの窓からみえた苛立たしい景色はなんなんだ?
そう、言おうとした。
でもそれよりも先に、なにか強い振動が、肩を揺らした。
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↑永遠の命を!
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ソル「めんどくせぇからそのまま寝てろ」
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ムドオンかければいいんじゃね