希蝶 のコメント

 今号の感想です。
● ゴーマニズム宣言・第510回「キャンセルカルチャーとは何か?」

 アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインの小説に「大宇宙の少年」という作があるのですが…。
 作中で、地球人の野蛮さを裁く法廷で(確か)猿によく似た宇宙人が、木の枝をつかんで一廻転する動作をし、自分のしぐさを見て野蛮だと思うのか、と問いかける場面がありました。
 「キャンセルカルチャー」とは、ハインラインのこの作品を否定するものではないのか、と。

 「キャンセルカルチャー」というのとは別かも知れませんが…。

 私の場合、自分のしぐさや振る舞いで、「こいつ、おかしいんじゃないの?」というような態度を示されたことがあります(コロナの件でも)。

 (自分で言うのも何ですが)確かに自分が人とかわっているというのは、親からも言われたことで、きょうだいにいわせると「お前がちいさい時におもてで遊ばなかったからだ、それを自分で今からあれこれするのは手遅れだ」とも言われたのですが…。

 「見た目」や「第一印象からの判断」も大事だろうと思います。自分も自分のしている行動とか、思想などをすべて正しいとか言うつもりもないです。
 でも…ならば、「あなたのこの行動はこの面で、これこれこういう理由で人と異なっている、このようにした方がいい」とか、あるいは長所などを「論理的に」語るというようなことは不可能なのか、と思います。
 人の行動の揚げ足をとる、という行為に非常な不快感と嫌悪とを感じます。

 個人的なことばかり書いていても仕方がないので(それこそ、ジュリー景子さんのジャニーさんやメリーさんへのルサンチマンと同様ですね)、「人間にはいい面もあれば悪い面もある」、たとえば石見の人、森林太郎さん(「おう」という文字が正しく出せないので、このように表記します。ある意味、悲しい…)も、脚気については自分の知識を過信し、権威で反論を潰したと(過去のライジングでも)語られていますが、人間は100%完全ということはないので、缺点があったらそれを指摘し、感情的にならずに異論があったらそれを説明し、受け入れるべきなら、素直に受け入れる、あるいは、説明に誤解が生じるようなら、(仕事や社会的な目などに差し障りがないなら、つまり個人的なことなら)相手の理解に合わせる、相手の方でもそういう対応をする、というようなことができぬのか、と思います。

 人間はそれぞれ別々の存在でもあるし、個々の思想や理解力は異なってもいますから、そういうことも考えるできでは、とも思うわけです。下手をすると、「口答えをしやがって!」「へりくつばかり言って!」という反応もされるので。
 しかし、だからといって、自分だけで済まないことについては反論すべきでしょう。相手の名誉を毀損することについては、配慮もいるわけで、ただ自分の言いたいことだけをまくしたてているのでは、(本能で動く)けものと同じように思います。

 しかし、それでも、人間社会は「一対一の対話」あるいは「第三者を含めての鼎談」を拒否する場合が多いな、と。さらに、「相手は一方的に語るくせに、こちらからの意見は受け入れない」というパターンが多かったりする。せめて「言っている内容が理解できません、これこれこういう理由で」とか説明すればいいのに。
 意見をおしつけるのはよくない、とか言われて育ったりしなかったのか、と。

 私も、小林よしのりをキャンセルカルチャーする気はないです。抵抗するつもりです。
 極左の人も、「このことも、自分を正しく成長させるためには必要だったのではないか」とか、島田荘司さんの「ら抜き言葉殺人事件」のことを以前に記したコメント(478号のNo.61)みたいに思えないものか、そんな感じです。

No.108 8ヶ月前

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