昭和43号 のコメント

先日、親の遺品を整理していたら、引き出しの奥から文鮮明の自叙伝『平和を愛する世界人として』が出てきました。
実は自宅近くに統一協会の建物があります。印刷会社だったのがいつの間にか協会の事務所になっていました。おそらく名称が変わった2015年頃に移転してきたと思われます。本の最後のページには、布教に来て本を置いていった担当者らしき人の名前と携帯番号、それに「ありがとうございました」と書かれた付箋が貼ってありました。

パラパラと見ていくと、「私の妻、韓鶴子」と題したページに目が止まりました。それによると、母親と挨拶に来た当時13歳の韓鶴子を見た瞬間、文鮮明は結婚を直感し神様に感謝の祈りを捧げたのだそうです。その後1960年に結婚、文鮮明が40歳、韓鶴子は17歳でした。
結婚後、韓鶴子は真の母になる為として、3年間は文鮮明と同居せず信者の家に預けられ、家族や親戚との面会も禁止されていたとの事。具合が悪くても夫は会いに来ないなど一般的な夫婦生活とは違っていたようですが、仕事や環境によっては一般家庭でもあり得る状況ではあります。
問題は夫婦間の主従関係です。少し長くなりますが引用します。
「(妻は)私と一緒に暮らす間、一時も自由にできませんでした。〔略〕一言言葉を間違えただけで私から咎められることもしばしばでした。うれしくて「うれしい」と言っても難癖を付けられ、私の後ろをちょろちょろ付いてきては小言を言われました。〔略〕私はただ一言投げかけるだけですが、妻は私の一言一言に合わせて生きなければなりませんでした。」
「七年間、そのように容赦のない訓練を受けた後、妻は初めて母らしくなりました。」
読むに堪えない内容ですが、妻は夫に従属すべきと考える文鮮明の女性観や支配欲の強さが窺えます。それに加え、21年間に14人の子を生ませた事を合わせて考えると、韓鶴子は文鮮明の性奴隷だったのではないかと想像してしまいます。

さらに、理想とする女性像について書かれています。
「女性はまず孝の心を持つ真の娘として育ち、結婚して貞節と献身で夫を支える妻となり、子供(男子を想定か)を正しく育てて社会のために奉仕する指導者となるように導く」
これについて、儒教には三従(父、夫、子に従う)という教えがあるそうで、それと同じ発想だろうと思います。解釈によっては共感できる部分もありますが、夫への服従を強いるとなれば現代の感覚とは矛盾します。

その他にも、
「私は結婚した夫婦に『無条件に子供をたくさん生みなさい』と言っています。」
「母親の犠牲と奉仕があってこそ健全な家庭、平和な家庭が正しく立つことができます。」
など女性の負担を強調する記述があります。

儒教に詳しくないので断定的なことは言えませんが、統一協会の女性差別は儒教の家父長制に起因すると考えて間違いないようです。
江戸時代に武士の教養とされた儒教は、明治期以降に成文化された各法典にも影響しているため、明治原理主義の男系固執派と統一協会は相性が合うのかもしれません。

No.62 10ヶ月前

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