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慰安婦像と表現の自由

2020/01/05 21:16 投稿

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  • 雑談
去年、色々と考えた事。
 愛知トリエンナーレ?の表現の不自由展とやらで、平和の少女像(従軍慰安婦像)が展示されたものの、苦情等を受けて、一時展示を中止したり、補助金の交付を止めたり、ということがあった。

 芸術作品を政治側が展示中止にさせるのは「検閲」ではないか。
 「表現の自由」の侵害ではないか。

と、訴える人もいる。
 そう言われれば、そんな気もするけれど、なんかモヤモヤした。

 そもそも、あの「平和の少女像」というものは芸術作品なのだろうか。
 あれこそ、政治的な意図、そのものではないのだろうか。

 いや、良いのよ、別に…「平和の少女像」が「平和を祈る」作品だと言うなら。
 ただ、「平和の少女像」が望んでいるのは、「世界が平和になりますように」でもなければ、「戦争の悲劇を繰り返さないように」でもなく、「女性の人権が守られますように」でさえもないらしい。

 彼女たちが望んでいるのは「日本の謝罪と賠償」なのだ。

 平和の少女像は、ご存知のとおり、従軍慰安婦の像だが、あれは日本政府に謝罪と賠償を求めるため、韓国で毎週水曜日に行われているデモの1000回目を記念して作られたのだという。

 これが純粋な芸術作品だろうか、政治的な象徴ではないのだろうか。

 しかし、これに対する反論もある。

 芸術とは、政治的主張と切って離すことができないものだ。

という主張である。
 いわく、時の政府の圧政に反抗して作られた作品等も多くあり、決して、芸術と政治は完全に切り離せるものではない、というのだ。
 まぁ、そう言われればそんな気もするのだけど(笑)、問題は、「前提となる歴史認識」が日本と韓国では大きく異なることだと思う。

 従軍慰安婦について、日本政府が慰安所を設置したのは争いはない。
 日本側は、兵士たちが現地でレイプを行うことがないように、国が管理する慰安所を設置し、そこで衛生面と暴力行為がないように管理した上で、慰安婦たちに相当高価な給料を払って働かせていた…と、概ねこんな認識で良いと思う。
 従軍慰安婦たちにはもちろん日本人女性も多く、年代は20代から30代ぐらい、韓国人の慰安婦の数はそれほど多くなかったという説もある。

 韓国側の認識は、日本軍が主導で、20万人もの10代の少女たちを暴力や詐欺で無理やりに、強制的に連行し、慰安所で、人間的な扱いをせず、「性奴隷」として暴力を振るいながら、その体を凌辱していた…と、だいたいこんな感じだろうか。

 もちろん、この「平和の少女像」は、韓国側の歴史認識の上で、日本に対する謝罪と賠償を求めるデモの象徴として作られたものである。

 ちなみに、ウィーン条約?とやらで、大使館の近くではデモが禁止されているそうだが、この水曜デモは韓国の日本大使館の前で行われており、その象徴たる銅像を設置することも禁止されているそうだ。

 なお、日韓基本条約?で多額の賠償金が韓国に支払われたことをもって、その後の賠償の請求権は完全に失われており、日本には謝罪も賠償も行う必要がないのは有名だが、それでも、日本側は(戦時としては、慰安所は当然の制度であったとしても)女性の権利を侵害したことを反省し、歴代の首相が謝罪や反省を述べたり、女性基金を作ったり、2015年には、また多額のお金を払って、日韓合意をし、この慰安婦問題については、「最終的かつ不可逆的に解決」している。
 ま、韓国側は、この合意さえもなかったことにして、今も変わらず、日本からの謝罪と賠償を求めているのだけど。
 おまけに言うと、この謝罪というのは、日本の首相が、当時の慰安婦たち1人1人を訪問して直接謝罪を行うことらしい。

 少女像のモデルは、14~15歳くらいらしいが、慰安婦のほとんどは20代であり、それほど若い女性はいたとしても極少数であるところ、わざわざ幼い少女をモチーフにして作られているとか、この少女像はなぜか世界中に増えており、そこには日本に強制的に「性奴隷」にされた少女の像であると記載されているとか。

 韓国側は、この慰安婦像を世界中に設置することで日本を非難している。

 まぁ、そんな背景がある中、間違った(少なくとも食い違った)歴史認識に基づいて、日本に謝罪と賠償を求めることを目的に作られ、国際的に日本を非難するために使われている「平和の少女像」を、芸術作品として、無条件に展示して良いだろうか。
 その展示に公的な助成金を払って良いのだろうか。

 憲法は、表現の自由を保障しているが、それとて、公共の利益に反しない範囲で、だ。

 ほんと、平和の少女像が世界の平和を祈り、過去の戦争を悼み、将来の戦争が起きないことを祈り、女性の人権が侵されないことを祈る像であれば、どんなに良かっただろうか。

 それでも、そんな政治的な主張の象徴である像でも、芸術作品として、表現の自由が保障されるのだと言うならば。

 日本側は、韓国人の老婆の像を作り、その手に紙幣を握らせ、歪んだ笑みを浮かべさせ、
   「強欲の老婆像」
という名前を付ければいい。
 その横には「彼女たちは、多額の給料を貰って働いていたというのに、お金が更に貰えると分かると、話を誇張し、嘘を平気でついて他人を非難し、そして今も、日本が金を払い、無様に頭を下げることを祈り続けている」とでも書いた碑を置けばいい。
 それを世界中に沢山建てればいい。

 そんなことは許されないだろう。
 でも、表現の自由が、制限がないと言うなら、正解かどうか分からない認識に基づいた政治的主張の目的で作った像でも芸術作品として自由が保障されると言うなら、許されるはずだ。

 今回、表現の不自由展というものが行われ、平和の少女像が展示されたことは、普通あり得ない事態だと個人的には思うが、それでも、我々が表現の自由だとか、平和の少女像というものがどういう存在なのか、慰安婦問題とはなんだったのか、そう考える契機になったのは良かったと思う。

 韓国のデモに参加している学生たちは、目をキラキラさせて主張すると言う。
   日本人は歴史を知らない、勉強しようとしない。
   日本は歴史を学び、反省し、謝罪と賠償をすべきだ。

 歴史とはなんだろうか。
 真実はどこにあるのだろうか。
 過去の歴史を学ぶのは大事であり、たしかに日本人はあまり歴史に目を向けようとしないと思う。
 でも、過去に囚われるのもまた、不幸だと思う。
 日本の人は、韓国ドラマを愛して、オルチャンメイクを見本にして、K-POPにハマり、日韓共同アイドルを応援し、韓国人のアイドルの女性が自殺をしたら悲しみの涙を流す。


 過去には反省する。
 痛ましい歴史は忘れるべきではない。
 でも、ずっと謝罪していては、引け目に感じていては、未来を見れないんじゃないか。

 もっと未来を見て、一緒に、楽しく過ごせれば、もっと平和に近づくのに。

 いつか、「平和の少女像」が、謝罪と賠償の要求をやめて、その顔に笑顔を浮かべて、純粋に平和を祈ってくれる、そんな日が来ることを祈っている。

 そう、キムチもプルコギもチーズダッカルビも美味しいのだ。

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