いつか花咲く頃に。【~千紫万紅~】

【セツノベル】第1話 ここに、アトリエを建てよう。

2014/11/15 21:00 投稿

  • タグ:
  • 創作
  • 創作活動
  • ユーラ
  • セツノベル
  • メッセージ
  • 会話
  • イメージ
こんにちわ、ユーラです。


(素材提供 ジャン・ポポ 様)


ようやっと、休みに入りました。
年間で年末年始を覗いたら、唯一の連休です。数日ですが有意義に
参りましょう!

ということで、早速なんですがセツノベル週間として休みの間数日、
毎日セツノベルの話題をお届けしようと思いますー。

前回プロローグが終わったので、今回は順番に第1話です。
さてさて、何話まで続くでしょうねぇ。

もっと細かく区切って第1章の第1話、第2話としても良かったのですが
なにぶん、今回はセツノベル随想録の設計をしていないので(ぁ

第何話まで続くお話にしようか、またどこでどんな話をしようかが
決まっていないのです(笑


セツノベル週間も突発的に思いついたので、書ける所まで書いていこうと
思うのですが、どこまで話せるのやら。。。

セツノベルは、僕が思う創りたい方向性の中で理念的なお話だけでなく、
今現在あるお話で、僕が読んでみて勝手にセツノベル認定させてもらって
いるお話があります。

最近、朗読の題材として読ませてもらってて良いお話が色々発掘出来ました。

なので、僕のお話プラス、物語紹介もしていこうかなと思います。


□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


では、今日は前回のラストにも触れた内容を語っていこうと思います。


今僕たちが知っている物語っていうのは、広い目で見てジャンル分け
出来ますよね。

まずそれが繰り広げられるフィールド、媒体を見てみよう。

映画しかり、テレビドラマしかり、文庫本しかり、アニメしかり。
映像に注力した媒体や、音楽に依存する媒体、文章に想像力を求める媒体。

これらは順番に抽象的になると共に、受け手の想像力に依存するようになる。
究極のイメージ媒体というと、人の思考ですよね。

ただそれは、数千数億という人それぞれの世界観になるので、それでは
広義過ぎてしまう。

ジャンルはもう少し的を絞った方向性になるので、「人の思考」は媒体とは
言い切れない。

でも、広義すぎるが故に、人の思考はどこにでも存在しているし、どの
媒体にも依存するというのがイメージ出来ますでしょうか。

映像媒体は、視覚から多くの情報を受け取って、それを自分に落とし込みます。
人が外の情報を感知する場合、その大部分は視覚に依存していることは有名です。

とはいえ、それをどう咀嚼するかは受け手に委ねられるわけです。
見たものをどう感じ、どう受け取るかは、本人の思考によるところです。

次に音楽媒体。同じように外の情報で次に頼るのは聴覚ですよね。
例えば、歌。
歌は曲の世界観と、歌詞の情景と、歌い手の情緒によって構成されています。

特に人に訴えかける強い要素は情緒なので、耳から歌声を聴いたときに
それに感動したり、共感したり、または切なくなったりしますよね。
つまりは、思考の中で、相手と自分の情緒が繋がったということです。

最後に文章媒体。これはいわずもがな、小説などを読んでいる場合です。
文章は視覚から入ってきますが、実は言語情報からも人は色々なことを感知します。

僕がいつもいう会話の切磋琢磨は、バーバルコミュニケーションという意味合いも
強いのですが、言葉ってはっきり言って難しいんですよね。
まったく逆に捉えられちゃうこともしばしば。。。

媒体はこんな感じのイメージです。



それでは、もう少し絞って見て行こう。
小説や物語の世界観という意味で、ジャンルを見てみると様々あります。

ファンタジー、恋愛、伝奇、コメディ、ギャグ、文学、SF、現代、時事、
歴史、戦争、西部劇、推理、官能、ホラー...etc

多種多様、千差万別、十人十色、あ、言葉ばっかり羅列してもアレですねw

まぁ、ここでは創作でいうテーマといってもいいのかなと思います。
僕が前に書いた、テーマとコンセプトの定義の記事はこちらをどうぞ。

どれをとっても、もう今の時代どのジャンルをとっても先人達が多くを創り、
多くの遺し、多くが受け継がれている世界だと思います。

恋愛小説の礎を築いたのはシェイクスピアのような海外作家でしょう。
トルストイも有名ですね。

推理小説はアガサ・クリスティは本命として、コナン・ドイルのシャーロック
ホームズは結構読みましたねぇ。

日本の作家でも文豪と謳われる、夏目漱石、太宰治、川端康成などなど。。。
一時代を担ってきた人もいますよね。残念ながら僕は読んでませんが。。。(汗

最近では、宮部みゆきさんの少し読みましたね、どちらかというとファンタジーの
好きなので、ブレイブストーリーとか、ICO(ノベライズ)良かったです。

ファンタジーといえば、FFは外せない僕ですが・・・(笑

読書家であれば、僕よりもたくさんの作家さんをご存知と思います~。


作品の方向性を決めるジャンルですが、昨今では女流文学なるものも
あるようで、作家に依存するジャンルというのも目新しいですね。

言ってみれば、ジャンル+媒体=テーマ+コンセプト⇒物語世界

みたいなことも言えるのかなぁと思ってます。

このように、かつての古い作家の時代から、今の時代も長い時間を掛けて
耕されてきたジャンルという大地。

目新しいジャンルというものは発掘されてないですが、ファンタジー+歴史とか、
恋愛+コメディとか、果ては現代ファンタジーギャクコメディみたいな(笑

全部盛りみたいな感じの物語は散見出来ます。


それを踏まえたうえで、もう少し噛み砕いていこう。

すでに大地は耕されている、新しいものというのは作りづらい。
なぜなら、その大地で育つ植物はすでに限られてきていて、新芽は出ても
時々見える程度で、それを大樹にまで育てられる人はなかなかいない。

加えて、その大地に咲く花は、隣の大地から見たら同じ花じゃないかと
ケチを付けられる始末。

そう、よくも悪くも「新しいもの」といのは、今あるものに、また違う
今あるものを加えたものが、目新しいと認識するのです。

聡明なあなたなら、僕が言いたいことが薄々お分かりだと思います。


そこに、「自分」を加える人が少ない。

多くの人は、新しいモノを発想する時に大体「新しい組み合わせ」を作ろうと
します。
ファンタジー小説に歴史を絡めて見よう。
恋愛小説にコメディ要素をふんだんに取り入れてみよう。
SF作品にホラー要素を加えてみよう。

もちろん、それが悪いわけではないです。それは、当然「新しく見えます」。
ファンタジー作品の中に、歴史的人物や歴史上の系譜がなぞらえてあったら
それは意外性や、面白いものと感じるでしょう。

青春恋愛の中に、ドタバタコメディ要素が一杯あったら、恋愛好物の人と
ギャクコメディが好きな人は反応するでしょう。両方好きな人にはドツボに
はまるかもしれません。

その意味で言ったら、僕のセツノベルも切ない要素とノベルの融合体ですから
同義といえます。

でもそれは即ち、その大地に、誰でも使える畑に一粒の種を蒔いているに過ぎない。
それを大事に育てて芽が出て、花が咲いた。物語を書上げられた。

そうすると、どうなるか? 

育てているときは夢中だから周りのことは目に入らなかったけど、よし出来たと、
顔を上げてみたら、同じような花がたっくさん咲いている。
それこそ地平線の向こう側までビッシリと。右を見ても、左を見ても、振り返っても。

ふと、声が聞こえる。。。

「あれ、俺のパクりじゃないのか」「あの花、さっき向こう側で見たことある」

今まで自分オリジナルだと思って育ててきたものが、どういうわけか、陰口を
叩かれながら批評されている。今、こういう状況なんじゃないかと思います。

こうなると競合が起こる。同じ見晴らしのよい台地で似たような花を育ててる。

競合は良いんじゃないかと思うかもしれないんですけど、これは残念ながら
行き着くところはドングリの背比べになることが分かるでしょうか。

その中で、10年に一度、あるいは100年に一度くらいに訪れるゲームマスターの
ような人が、少し気になった花を摘んでいく。

当然、花は一年中咲いていることはなく、季節が終われば枯れる。

そんな西部劇のアウトローのような生き方を書き手はしている気がする。


この前どっかの記事でも書いたような気がしますが、とある出版社のとある
小説大賞の応募作一覧を見ました。

そこに並んだ同じ顔の作品。2、3種類の花しかないの花畑。

意外性とか、ギャップ。目新しい組み合わせ、水と油設定。
方向性が全部、それでした。

残念ながら、本編を読みたくなるようなタイトルはありませんでした。

誤解の無いように言いますが、設定がチープとか、それが悪いというのを
言いたい訳じゃないですよ?

もちろんそれらは構成要素として必要なものだと思います。僕も使います。

でも、そこに書き手の人が見えなかった。これ一番大事だと思います。

相手のフィールドで勝負しちゃいけない。
誰かのフィールドで戦うことが癖になると、いつしかそれを追いかけるように
なります。それがないと、戦えないようになります。
それは結局、順応性があるんじゃなくて、翻弄されているに過ぎないから。

結果、自分を見失う。そうやって名前も知らない、表舞台に出ることなく
フェードアウトしていったモノ書きさんがたくさんいる。

僕はそういった、咲かなかったつぼみや、咲いたけど踏みにじられた作品を
特設ステージで開演させてあげたい。それも僕の活動理念の一つ。


それじゃあ、一体どうすればいいのか。

ジャンルという大地を決めたなら、そのルールの中で物語を表現するのは必定。
その上で自分のフィールドを表現していく。

それはつまり、大地の上に自分の家を建てるということ。

それはアトリエ。

アトリエは、自分を表現するフィールドに他なりません。

本棚には自分が書いた本が並べられている。
壁には自分が書いた絵が飾られている。

音楽を嗜むなら、楽器が置いてあるかもしれない。
料理が好きならキッチンには様々な工夫があるかもしれない。

そんな中で物語を生み出したなら、それは他との競合はありません。
自分の家の中で展開されている催しだからです。

そのジャンルの中で自分の作品を読んでもらう為に、人を招き入れる。
家は自分のフィールドですから、即ち自分を知ってもらうこと。

ファンタジー作品の中に、自分という要素を取り入れた物語。
恋愛小説は自分の経験を織り込んだ物語に。

今あるものx自分 この感覚が、今の創作には必要だと思ってます。


セツノベルは僕のアトリエで生まれたもの。確かに既存のジャンルの中に
あるかもしれないけれど、僕のアトリエで読んだなら、それは全く別の
カテゴリーになるんです。

それは、僕にしか創れない物語だからです。


To Be Continued...



□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□□■□■□□■□■□■□


PS.

それから、分かっているようで分かっていないこと。

家ってさ、一人で住む所ではないです。招き入れる場所でもあります。
きっと家族がいる、訪ねてきてくれる人がいる、自分の作品が人目に
触れる喜び。

一人暮らしならなおのこと分かる、大家さんがいて、同じ屋根の下に
住んでる人がいる。隣人と交流が冷遇しているというのは関係ないです(笑

孤高の天才も、結果一人になっているのではなく、自分で独りにしている
ということに早く気が付くべきだったと思う。
でも、独りでいるときにはそれが分からないんだよな…。


人が多くなってきたなら、増築すれば良いだけの話。
そしてこのアトリエを出て行ったなら、同じようにその人もどこかでアトリエを
建ててくれたら嬉しい。

それが、他と似てたって気にする必要は無いです。
そのアトリエは、自分のフィールドで、そこにあるものは自分にしか創れない
ものばかりなんですから。


ということで、第1話から色々語りましたが最後まで読んで下さってありがとう。

まずは外堀から埋めるお話からですので、抽象的ですがお付き合い下さいね。

段々に具体的な作品例を用いてお話していきます。


ありがとうございました!

ユーラ。

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事