おいなりちゃん(著者) のコメント

おいなりちゃん (著者)
No.63 (2016/09/11 12:15)
>>62
 おっしゃるとおりで完全に理解するのはむずかしいですね。おそらく、完全に理解した!と云える人は一種の狂人か、奇跡的に作品とシンクロしてしまった人だと思います(「新世紀エヴァンゲリオンなど、「俺がこの物語を1番理解している!」という人間を生みました)。
 私は気になるところをいちいち突いて「完全に理解したい」「だからこの作品はダメだ」と言う人ではないことを明言しておきたいです。というのも、作品が良ければ分からない部分は分からないままでいいと思っているからです。たとえば近年でいうと「シン・ゴジラ」、説明されていない部分は山ほどありましたがこう強く違和感を覚えることはありませんでした。知恵袋の回答を待つこともしません。

 ただ、君の名は。でいうと父親が相当悪者に描かれている事が気になりました。幼い子どもを置いて家を出て行くのはさすがにヘビーすぎるだろうと思うのです。幼い子どもを2人もいて家を出ます。最低でも妻と別居なら分かりますが、幼い子どもにとって母親がいなくなったとき必要なのは父親のはずです。育児放棄です。客からみると相当悪い印象になります。それは前中盤で父親をヘビーに描くのは最後にミツハと勝負させる大ボスである事を暗示させます。作品に「あえて」描いてることにはかならず意図があると考えるからです。
 そう思ったら、マルッとカットされていたので思わず乗せていた肘をガタッとさせてしまったのです。なので、新海さんこれでいいの?と思ってしまったのです。小説を読めば分かりますよ、という話はもちろん分かります。しかし、映画は映画で語られている事だけで評価されるべきだと考えます。

 たとえば、映画「シンゴジラ」がありました。あの映画はゴジラを倒す物語でした。もしも登場人物の誰かが悪者として抜きに出て描かれていたらどうでしょうか。物語の中で終盤辺りに必ず戦うべき相手となるはずです。それとも終盤で実は味方になるという展開も考えられます。序盤で大きく描いて客に印象を強く残すのだから後半の見せ場に使うというのが物語の見せ方だと考えます。もし「シン・ゴジラ」で序盤に必要に印象悪く描かれた人物が出てそれがそれっきり出ないもしくは最後に対峙した瞬間マルッとカットされていたら私は作品として「どーなんだろう」と同じように思ったはずです。設定資料集読んだらわかります、と云われても「それはそうだけど…」と感じてしまうと思います。
 
 君の名は。がこれはこういうセンス!と云われればそれは正しいと思います。ただ、そのセンスは私の個人的な好みという話ではなくて、お父さんを強烈に描いたなら最後に対峙する場面はしっかり描くべきだったのではないかなあと思いました。一般の客に寄せたといわれている今作ですが、一体どれだけの一般の客がお父さんがミツハを信じたわけを理解できてるのかは疑問です

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