おいなりちゃん(著者) のコメント

おいなりちゃん (著者)
No.16 (2016/09/10 07:32)
>>13
>大前提として新海誠作品全てに共通するのは「人と人との心の距離です」つまり瀧と三葉の心の距離の映画ですよ
 こうみさんがおっしゃるその新海作品の《大前提》は新海誠作品を見続けている人が分かる話です。もっと1つの作品で読み込めることは多いと思います。
 「パッケージをみれば2人の話だと小学生でも分かること」とのことですが、私は映画で描かれている事こそ大事だと思います。親子の関係をあれほど執拗にくりかえし描くのなら、それは親子の問題を物語が内包していると視聴者が感じるのは自然だと思います。もっといえば、新海誠自身の「親子の問題を描きますよ」という宣言ではないでしょうか。
 こうみさんのおっしゃる通り。2人のタキとミツハの心の距離を描いてます。ならば親子の問題はあのように執拗に描く必要はないと思います。描かない方が精度は高まるんじゃないですか?そこは、こうみさんの方が詳しいと思います。親子の問題が描かれない新海誠作品もおそらくあるはずしょう。今まで描かなかったものを「描く」には描くなりの作家の意思があるはずです。そこには必ず「意味」があると私は考えます。なので、親との心の距離をあれほど描くならこれは家族の物語として考えても悪くはないと思いました。
私は確かに読み込む力がない部分が大きくあります。しかし、こうみさんのおっしゃる『これはタキとミツハの心の距離の物語です』というのは読み込む力が狭いと思います。

>目の前で娘が別人になって説得しに来て、その後騒ぎが起こり本当に隕石が割れ、今度は本物の娘が説得に来た
父親の気持ちになれば誰だって避難勧告します
 それが私には不思議でした。父親は「情」がないことが示されます。妻がいなくなったからと自身の子供をおいて家を出て行ったり、伝統を嫌っていたり、選挙で接待飲み会のようなものをして匠に票の確保をしています。そんな情の通じない人間です。娘が説得に来たからといって娘を信じるなんて。そんな人間ではないかとはこれでもかと描かれます。
 隕石が来て割れても父親は何も思ってなかったではずです。そこにミツハが来たからといって急に「マジで落ちるな」と信じるものでしょうか。 そこを説得していくさまが見所だから最終局面まで父親の情の無さがくり返し描かれていたのだと思います。

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