あの人と恋人になる優しい方法 プチ占星術

「ちはやふる ―上の句」 童貞がデートで失敗しないために映画を検証するブログ

2016/04/11 10:54 投稿

  • タグ:
  • 童貞
  • デート
  • ちはやふる
  • 上の句
  • 邦画
  • 映画

童貞がデートで失敗しないために映画を検証するブログ



綾瀬千早は、いつの日か競技かるたのクイーンになることを夢見る少女。
高校生の千早は幼馴染の真島太一と共に、かるた部を作ろうとします。
全国大会での団体戦優勝という目標をたてます。













私たちが観ていて辛くなる邦画青春映画の問題点はこうです。

①ギャーギャー叫けぶ過剰なバカ高校生を描く。

②バカで純粋ならなぜか奇跡が起きる。

③過剰な恋愛ストーリーをぶち込む。



①と②はそれはそれで面白い映画はあります。ただ、③を面白く鑑賞するのは男には不可能です。

このブログでいう「デートで失敗しない映画」は女の人だけが喜ぶ映画を選ぶことではありません。
男の人も女の人もお互いが面白く鑑賞することができる。なおかつ、観たときに下ネタがぶち込まれていない、気まずい場面がぶちこまれていない、難解ではない。
観たあとにお互いが「良い映画だったね」と言えるものを作品を検証したいと思います。




長くなりました。

すみません。

ここから本編です。

(長いっ)








デートで観に行って大丈夫です。


そして、

この映画。

びっくりました。


大変面白かったです。


2016年の年間ベスト級だと思いました。





まず先ほど挙げました青春映画の問題点をことごとくクリアしています。




①ギャーギャー叫けぶ過剰なバカ高校生を描くのか
→描きません。



孤独な者たちの物語に思いました。

千早はかるた仲間ができずそれでも信じ続けて中学の3年間かるたをやっていました。

太一は子供の頃に起こったある出来事を誰にも言えずに罪悪感に苦しんでいました。

新はかるたが本格的にできない家庭環境のなかでカルタの練習を1人で続けていました。

机くんは誰からも必要とされたことがなく1人でいました。



青春ものになりがちなのは、仲間との出会ってケンカして心打たれて超ハッピー仲間最高サンキューメーン!です。

そういう話は私たちは好きになれないですよね。



「ちはやふる」は違いました。





孤独な者が孤独なまま連帯します。


劇中、机くんがやる気を失う場面があります。

従来の映画なら、仲間から「お前が必要だ!」と言われてBGMドーンにいきそうです。

しかし、机くんの決意は固い。

仲間から「お前が必要だ」と云われても、机くんには「ウソらっしゃい!!」です。


これは素晴らしい展開です。

「ちはやふる」は仲間とのやりとりで自分の内面と向き合うことになるのですが、自分の内面の問題はあくまで自分の中で乗り越えさせていきます。


映画を観る観客は想定として仲間がいない孤独な者です。
なぜなら、仲間や友達がいれば映画なぞ観にいかないからです。その時間を人と会ってワチャワチャしているはず。


映画を観る人は孤独。孤独な人に向かって内面の問題解決は仲間だという着地はリアリティがない。というか、むしろ失礼です。

ハリウッドの映画や優れているといわれる映画はその部分をおろそかにしないなあと感じます。



「ちはやふる」は私たちのようなものにとって優しい。








②バカで純粋ならなぜか奇跡が起きる。
→奇跡に頼らない

この映画、都合の良いことは起こりません。
「高校生はバカで純粋だ」という過剰な学生像をこの作品が許していないからです。登場人物が現実味を帯びます。

太一は神に見放された男。いつも運が悪いです。



例えば、かるたで運命戦という形があります。お互い自分の陣地にある一枚を取れば勝負が決まるというものです。相手の陣地の札を腕を伸ばして取りに行っても札がすぐ手元にある相手には勝てません。自分の手元の札を狙うことにあります。つまり、自分の陣地にある札が読まれた方が勝つ。つまり、運まかせです。


劇中、この形になります。


この場面。太一はとんでもない勝負を仕掛けます。



これがアツい。



私たちも神に見放された側の人間です。

青春映画の登場人物のようにバカで純粋になれませんでした。そして奇跡は起きなかったです。

私たちの心が楽ではないのは神様を信じられないからです。神様を信じることが出来たらすべて悪いことを神様のせいにできました。信じられないせいで、責任転嫁できません。自分の身に起こることはすべて自分のせいだと自分を呪うしかありません。

神から見放されて奇跡が起きない私はどう戦えばいいか。


ちはやふるの太一のこの場面は、私たちバカで純粋になれず選ばれなかった者たちがどう生きたらいいかの回答でした。

面白かったです。







③過剰な恋愛ストーリーをぶち込むのか。
→ぶち込みません。あくまで自然。


千早、新太、太一の三角な関係ではあるのですが、まったく過剰さはありません。というより、無い。と言ってもいいくらいです。


恋愛と関係のない場面でグググっ!と盛り上がる伏線のための必然性。どやぁどやぁ!と見せつけられている感じではなりません。サッと置かれている感じです。感じたい人は勝手に感じていいし、感じたくない人は大丈夫だよ。という優しさがありました。


太一は千早が好きです。こう、やはり、千早にものを言えずに飲み込むっていうことを繰り返します。こうですよ、やはり現実っていうのは。


この映画凄いな本当に…。


私たちのようなボンクラな人間でも観ていて不快感が一切ありません。





高校生で壁ドーン、「好きっていいなよ?」とかクソみたいな言葉を吐く男子なんているわきゃねーだろということに改めて気付かされました。







①②③、以上の青春映画が落ちがちな問題点を「ちはやふる」は、なんとサラりとクリアしています。

「ちはやふる」 邦画でそこを120%満たしていました。










さらに、恋愛の映画じゃない。アクション映画として面白すぎるぞ!それを検証して行きたいと思います。

この映画のダイナミズムはやはりかるたのシーンだと思いました。

ブチ上げて言いますと、この映画「ちはやふる」は「マッドマックス 怒りのデスロード」です。アクション映画に思いました。


札を取るシーンが凄まじいからです。


1発1発取るたびに地面を叩きつける音が爆音です。劇場でイスや身体がその振動でぶるぶる震えます。劇場で観に行った方が良いと私が思った大きな点でした。




広瀬すずの右腕のバズーカ砲が出る度です。




面白さを増しているのはかるたの性質上、沈黙があることだと思いました。


かるたは上の句を読んでから、次に読まれる下の句が読まれることによって札を取ります。

上の句を読むときには皆が耳をすます場面なのでBGMは一切なくなり、緊張感が演出されます。下の句を読み始めた瞬間に「ドオオオオオン!」と畳を叩きつける音がします。

必然的に緊張と緩和が生まれます。

例えば、陸上競技のスタートもこれに似ていますね。











おそらくですが、映画を考えるということは緩急を考えることなのではないかと思いました。

盛り上がる場面はいくらでも想定できます。しかし、盛り上がる場面をより盛り上げるために盛り下がる場面を考えなければいけないはずです。


盛り下がる場面というのはつまらない場面ではなく、盛り上がりの場面ではないけど面白く観ていられる場面だと思うのです。映画に限らずともものを作るときには実はそこを考えることが大きな作業の気がします。

例えば、ビートたけしは映画を作るときは、撮りたいシーンを3つ考えてその3つが繋がるようにシナリオを考えると言っています。宮崎駿は頭に浮かんだ場面を片っ端から画に描いて気に入ったものをいくつかピックアップした後に場面の辻褄が合うようにシナリオを考えるそうです。






かるたの試合は緊張状態で、以外のシーンはもちろんそれを盛り上げるための緩和という事になるのですが、かるたシーン自体に緊張と緩和が盛り込まれています。


上の句を読むことで緊張空間を作り、下の句で爆発します。かるたは構造として緩急が必然的に生まれます。「かるた」って映画でやっても地味なんじゃないか?という疑念を根こそぎ引きちぎります。ここまで映画との親和性があるとは思いませんでした。


ハリウッド映画すら含めて銃撃戦や爆破のアクション映画よりも「ちはやふる」の方がダイナミズムがあって面白いと感じます。結構、大げさな話ではなく。









かるたはもの凄い速度で手を振り抜きます。
これがとてつもなく格好良い。



かるた取りに似てるなと連想されたのは時代劇です。

時代劇も一瞬の抜刀術のカッコよさがあります。



黒沢明の映画で白黒ですが「椿三十郎」があります。三船敏郎が主役です。ラストシーンのバトルは刀をカチャンカチャンと合わせません。



一瞬の抜刀で勝負が付きます。







2人が向かい会います。距離は1メートルでしょうか。ジョジョでいうところ承太郎とディオがその距離で向き合ってると考えて下さい。

2人には因縁があります。

生きるか死ぬかです。お互い睨みつけます。目がギラギラしてます。

セリフはありません。長い沈黙。10秒か、もしかしたら30秒か。画が止まっています。

この時間は退屈な時間ではありません。
別々の人生だった2人がこの一点で交わり、どちらかがこの一瞬で人生を終えます。自分の人生と自分の全存在を賭けて、生命力を圧縮しているのです。


緊張感がグググと観る者を引き寄せます。


そして一瞬の抜刀術。

血が飛び散ります。鮮やかな殺人ですね。もはや美しさすら感じます。


「ちはやふる」この興奮がありました。








さらに、加えて言うならアメリカ映画の銃撃戦にも思えます。








かるたの大会のシーンではひと部屋に何十人も戦いが行われているため、下の句を読んだ瞬間、銃撃戦の雨ような音と振動がくるからです。











時代劇の抜刀術の場合、振ったときに爆音はしませんが美しさがあります。

銃の発泡の場合、撃ったときに美しさありませんが爆音がします。

かるたはこの2つが掛け合わされているんです。




おおお…。なんだか、

「ちはやふる」は凄いものを発見してしまったなと思います。





ちなみに、監督のインタビューを読むと、CGは1割も使ってないとのこと。できることは全部本当にやらせるスタイル。

新太役の真剣佑は福井県出身の設定であるため実際に福井に住み、バイトをして方言を学ぶ(タレントオーラによるものか、お店で評判になり1日で辞めることになる)。福井県のカルタ道場に通い、福井独特の流派による筋肉の動かし方や取り方をマスターして東京に帰って来たという。

広瀬すずはカルタで足の皮が擦り切れ、めくれながら撮影をしていたといいます。











音楽ジャーナリストで映画の記事も書く宇野維正は自身のツイッターで写真と共にこう書いていました。

かつて、マンガの原作者が、社交辞令やビジネス的配慮ではなく、ここまで言葉を尽くして具体的に絶賛した映画化作品があっただろうか?








非常に面白いので、こんな凄い映画が「暗殺教室」よりも「黒崎くんの言いなりになんてならない」よりも興行的に下になるのはなかなか納得できないですね。これらの映画の5億倍面白いと思います。



黒崎くんのスタッフはすぐに「きみたち、ちはやふるを観に行きなさい!」って言うべきだと思います。。。





進撃の巨人の前後編分けに私たちはダメージを食らっているので2つに分かれているのはどうなの?と警戒してしまいます。
上の句だけ観ても十分です!!下の句は観なくても大丈夫なように作ってあります。

ただ、スタッフのインタビューや試写会を観たという宇野維正によると下の句はさらに面白いらしいです。

上の句でこの優れた出来なのに。
まじかよ…。

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事