ゆきのふのブロマガ

AniPAFE2019に参加して。その2

2019/11/04 15:15 投稿

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さてさて、前回からだいぶ間が空いてしまいましたが、続きのブロマガを書かせていただきます。既にイベントの順位や結果発表は行われましたが、それにはまだ触れずに、前回の続きとして今作を振り返りたいと思います。





前回は1番の終わり、戦争が終わり、ギルベルトと別れたことで、自動手記人形としての第二の人生をヴァイオレットが迎える、という所までを振り返りました。今回はその続き、2番に入った所から解説させていただきます。


依頼を通じて多くの人と関わることで、感情を知り、少しずつ人間らしさを取り戻していくヴァイオレットでしたが、それは同時に自分がやってきた事の意味と重さを理解する事にも繋がります。ホッジンズ社長はかつて彼女に言いました。「自分がしてきたことで、どんどん身体に火がついて燃え上がっていることを知る。沢山の事を学んでいくうちに、はじめて自分が火傷をしていることを理解する」のだと。











ただ、言われるがままに、兵器として人を殺してきたことで、自分自身が、もしかしたらありえたかもしれない、誰かの「いつか」を奪ってしまっていたと言うこと。自分が殺してきた人間にも家族がいて、その可能性を奪ってきてしまった事を知ります。それは、ようやく人としての心を理解し始めてきた彼女にとって、とても残酷な事実でした。そして、それに追い打ちをかけるように更なる過酷な運命が彼女を待ち受けます。











ただひたすらに信じて待っていた、ギルベルト少佐がすでに亡くなっていたという事実を知らされるのです。少佐からの命令だけが生きる全てであり、彼女にとってはそれだけが自分が存在する意味を持っていました。それを失った今、彼女は絶望し、自ら命を絶とうとすらします。けれど、それは叶いませんでした。彼女自身にとって、<命令>以外の生き方をしてきたその足跡が、彼女を踏み留まらせるのです。


ヴァイオレットにとっての自動手記人形としての仕事は、決して順風満々な物ではありませんでした。いかに身体能力に優れ、頭脳明晰であるかつての戦乙女であっても、人の心の機微に疎くては人生はままなりません。彼女もまた、悩みながら、同じようにどのように生きれば良いかを悩む依頼者達と関わるうちに、少しずつ色々な事を学んでいくのです。






リオン・ステファノスは、かつて自分を捨てて去って行った両親への、愛憎入り混じった想い故に、その自己矛盾を抱えたまま、他人への不信感から周囲との壁を作っていました。






シャルロッテ・エーベルフレイヤ・ドロッセル王女は、幼き頃からただ王族と言うだけでおべっかを使い、心にも無い言葉を繰り返す周囲の人間にうんざりしていました。







この辺りは、ヴァイオレットが負の感情に囚われながらも、かつて関わった依頼人たちとの日々を回想している、という構成にしています。歌詞に合わせてキャラクター達の心情を表現しつつ、見る側に少しずつヴァイオレットの苦悩が伝わり、共有できるように下積みをしている所ですね。







オスカー・ウェブスターは、妻と娘の死のショックにより酒浸りの生活を送り、作家としての活動に行き詰まっていました。自分の娘とヴァイオレットの姿を重ねてしまう事で、ますます心に壁を作っていきます。






アン・マグノリアは、病弱な母クラーラを慕うあまり、自分に構ってくれない寂しさからその感情をヴァイオレットにぶつけます。その小さな身体には収まりきらない強い愛情と、過酷な境遇を抱えたまま。






かつて自分がしてきたこと。罪の重さ。慕っていた少佐の死という報告。その全てに押しつぶされそうになりながら、ヴァイオレットは街を彷徨います。もう自分には生きる意味は無いのではないか。すっかり血で汚れてしまっている自分の手で、他人の言葉を紡ぐ資格が、果たして自分にはあるのだろうかと。


それでも彼女を踏みとどまらせるのは・・・やはり、少佐の言葉でした。「道具ではなく、その名に相応しい生き方をしろ」と。街角の花屋でたまたま見かけたヴァイオレットの鉢植え、それが彼女に様々な事を思い出させます。















ここから先は二番のサビに入る訳ですが、ここでは一番と違って歌詞を中心に置くことはしていません。そこにも意味はしっかりあるのですが、今回のMADでは、歌詞を中心に置くのは、主人公であるヴァイオレットの感情が特に強く昂り、吐露したいと思う場面。見る側に強く訴えかけたい部分に絞っています。なので、二番のサビはあくまでも「物語の傍観者であるヴァイオレット」のポジションを示す意味でも控えめにしています。このヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品は、オムニバス形式で依頼人たちがメインの主人公であり、ヴァイオレットはあくまでも行きずりの傍観者である、というポジションで基本的に構成されています。
少なくとも中盤はそういった話がメインとなっているので、歌詞の心情も、ヴァイオレットと依頼人たちの視点、どちらとも取れるように二番は構成しました。なので解釈が複雑になるこの二番のサビでは、あえて歌詞を中心には置いていない訳です。
















既にお気づきの人もいることでしょうが、一番では命令<アイ>と表記されていたサビの歌詞が、同じフレーズでも❝あい❞に変化しています。これはヴァイオレットの中で少しずつ人間の感情の捉え方が変化しつつあることを表現しているのですが、同時にリオンの心情も表現しています。❝あい❞を教えて欲しいのは、リオンでもあり、ヴァイオレットでもある。隣にいて欲しい「あなた」は、リオンにとっての両親でもあり、ヴァイオレットでもあります。同時にヴァイオレットにとっての「あなた」❝あい❞を知るきっかけを、❝寂しい❞という感情を教えてくれるリオンの事を指す、とも捉えることができるのです。そして胸のブローチを見て思い出す「あなた」はやはり少佐の事でもある。なかなかに難しい解釈のできるシーンですね。
















シャルロッテのシーンは、割とシンプルに歌詞に合わせていますね。これは本編でもそうなのですが、ヴァイオレットはあくまでもきっかけを作っただけであり、恋愛を成就させたのはシャルロッテ自身の努力と、侍女のアルベルタの働きかけによるものであるので、ここではサビにヴァイオレットはあえて出していません。ダミアン王子についても、あくまで物語上の象徴的存在であり、この話の肝はあくまでも侍女であるアルベルタとの関係の方が重要だと自分は考えます。恋愛よりも、疑似家族的な繋がり。主従を超えた真の家族愛こそが、この話の根幹にあるのではないでしょうか。なので、ここで言う❝あい❞のシーンも、王子ではなくアルベルタとの別れの方を重視しているつもりです。















オスカーのシーンも同様で、ここでいう「あなた」❝あい❞も、複数の意味で解釈できるようになっています。オスカーにとっては、生きていてほしかった、❝あい❞を教えて欲しかった「あなた」は妻と娘であり、現在近くで自分に新しい生き方を示唆してくれるヴァイオレットのことでもあります。同時に、ヴァイオレットにとっては依頼を通して初めて涙を流した相手であり、家族への強い感情を、❝あい❞を教えてくれるオスカーのことでもあるのです。この第7話は、本当に色々な意味でターニングポイントとなるのですが、原作では実はこのエピソードが最初に読むことになるので、そういう意味でもかなり重要な話なのだと思います。傘を持ったヴァイオレット、という作品を象徴する姿が初めて出るエピソードでもありますね。
















さて、10話です。アホみたいに泣かされる10話です。これ見て泣かない奴いないだろ・・・ってくらいにやばい話ですが、時系列的には既にヴァイオレットが立ち直った後のエピソードなので、ここに置くのは違うのかもしれませんが、MADとしての構成、歌詞との整合性を考えて、何よりも二番のシメに相応しいと考えて、この母子の深い愛を表現したシーンを持ってきています。最後の畳みかけるドラムの音に合わせて、成長するアンと手紙のシーンを折りこむのは割とすんなり決まりました。本当はこの短い時間だけではなくもっと深く切り込みたい大好きなエピソードなのですが、尺の都合で断念した部分もあります。ただ、MADの構成としてはこうするのがベストだと判断したのでこういう形になりました。




二番のサビに合わせて四つのエピソードを一小節ずつ表現するこの構成は、色々と悩んだ結果偶然ともいえる感じですっぽりと収まった感じです。二番はヴァイオレットにとって辛い場面が続きますが、同時に人としての感情を取り戻す過程で、彼女が少佐以外の、軍以外の世界と関わってきたからこそ、苦しみだけではなく喜びも学びえることが出来たのだと、人は人の中でこそ生きていくのだと、そういう事を表現したつもりです。リオン→シャルロッテ→オスカー→アン、という流れになったのは、歌詞になぞらえた結果そうなったのですが、最終的にこの構成にしたのは成功だったのではないかと思いました。














そして視点はヴァイオレットに戻ってきます。彼女を奮い立たせたきっかけは、確かに少佐の言葉だったかもしれません。ヴァイオレットの花だったのかもしれません。けれど、今彼女を支えるのは、彼女自身が己の目で見て、耳で聞いて、身体で感じてきて、頭で考えて、その足で歩んできた足跡そのものです。誰かに言われたからではない、自分自身で選び取ってきた、勝ち取ってきた道。彼女をそれを思い出すために、取り戻すために、自らを奮い立たせ、再び一歩踏み出します。歩み始めます。












・・・という所で二番が終わります。あくまでもこれは自分の解釈であり、原作とはまた違う物かも知れません。ですが、自分がこの作品から受け取ったもの、そこから表現したいと思ったもの、この「あたしが隣にいるうちに」と組み合わせた時に生まれた物は、このMADに詰め込まれています。正に自分が表現したかったことそのものが、この先にあります。それが正確に伝わったかどうかはわかりませんが、その結果、誰かの心に響いた、伝わる物があったのだとしたら嬉しく思います。



今回も長くなりすぎてしまったのでここで一旦文章を切りますが、次回でこの振り返りも最後に出来ればと思います。同時に、今回のMADについてだけでなく、AniPAFEというイベントそのものについてや、他に気になった作品。今回の結果を受けての自分の想いなんかも語ることが出来ればなと思うので、もうしばらくお待ちください。



それでは今回もこのような長すぎる文章にお付き合いいただきありがとうございました。また次回!!



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