ライジングに書いた原稿を、一部修正して、一般公開する。
『大東亜論』第二部「愛国志士、決起ス」が発売されている。
日本人は明治以降、急激に西洋化を推し進め、近代主義・合理主義を受け入れることで、ずいぶん精神性を変化させた。日本人ならではの道徳や信仰など、魂(エートス)の部分が薄まってきた。
エートスというのはアリストテレス倫理学では、人間が行為の反復によって獲得する持続的な性格・習性のことである。ある社会的集団・民族を支配する倫理的な心的態度のことである。
武士のエートスは、「恩義に厚い」「自己犠牲の精神がある」「潔い」「恥を知る」「惻隠の情がある」など、封建的な忠義の精神から出来上がってきた。
だが、明治維新以来の近代化は、当然、武士のエートスを揺るがせずにおれない。
現代の日本人は大東亜戦争の敗戦後、GHQの占領統治によって、さらなる洗脳を受けているので、もはやエートス(魂・伝統・道義心)が風前の灯かもしれない。
そんな中で、果たして『大東亜論』がどう読まれるか?興味深い実験である。
「愛国志士、決起ス」で描いているのは明治初期に起きた佐賀の乱、萩の乱から西南戦争に至る、いわゆる「不平士族の反乱」である。
だが、そもそもこの一連の内戦を「不平士族の反乱」と称するところに一番の問題がある。その名称で呼んだ時点で、もう「日本人ではない=日本人のエートスを持っていない」と認定してもおかしくないくらいだ。
当時の士族たちは、西洋文明にすり寄る政府を打倒しようとしたのであり、その点においてはイスラム原理主義者と共通する部分がある。
これを単なる「反乱」としか理解しないのは、要するに「西洋文明こそが正しい」という価値観に染まりきっており、西洋文明に異を唱える者は「反文明」の単なる不平分子だという評価しかできなくなっているということだ。
つまり、既に日本人の価値観を喪失しているのである。
明治初期の動乱を「不平士族の反乱」の一言で片づけ、その意義を考えてこなかった戦後日本人は堕落しきっていたのだ。
だからこそ9.11テロが起きた時も、フランスでテロが起きた時も、途端に準白人化して「テロとの戦い」を叫び出す自称保守が続出するのである。一体、これのどこが「保守」だというのだろうか?
本当に日本人の感覚を持っているのなら、あんなに簡単に西洋人の方に同化できるわけがない。やはり、日本人のエートスが希薄になっているのである。
「愛国志士、決起ス」に登場する者たちは、いずれも負けることを覚悟で蜂起し、次々に死んでいく。
主人公たる頭山満以下、後に玄洋社を興す面々も、たまたま蜂起の前に手入れを食らって獄につながれていたから生き残っただけで、そうでなければ全員「萩の乱」か「福岡の変」に参戦し、死んでいただろう。
命を懸けて、蜂起せざるを得ない者たちがいた。
西洋文明に対して、負けることがわかっていても戦わざるを得ないという「誇り」を持つ者たちがいた。
その気持ちがわかるかどうかが、日本人としてのアイデンティティを持っているかどうかを判断するリトマス紙となるのだ。
決起した志士たちには、時の藩閥政府はまるで西洋に洗脳されてしまっているかのように見えたであろう。
単に断髪し、洋装して、西洋文明を受け入れているからということだけではない。藩閥政府の高官たちのやることは日本人の「公」の感覚とは違うという、違和感を覚えていたはずだ。
本来の日本人ならば、あんなに強欲なはずがない。もっと公平に一般庶民たちに維新の実を分配するべきだと思っていたことは間違いない。
例えば「萩の乱」を起こした前原一誠は、師である吉田松陰の「仁政」の思想を実現しようとしていた。そして維新とは、仁政の根本を忘れた幕府を倒し、万民のために仁政を行うために行うものと考えていた。
前原は政府に任じられて越後の民政を担当することになると、仁政を実践するために年貢を半減し、毎年のように水害を起こす信濃川の分水工事を行おうとした。そして、これが原因で中央政府と衝突して下野したのである。
西郷隆盛も前原と同じような考えだったことは明らかで、「大西郷遺訓」にはこんな言葉がある(原文は旧字・旧かな)。
一、万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ=おごりたかぶること)を戒め、節倹を行い、職務に精励して人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行われ難し。然るに草創の始めに立ちて、家屋を飾り、衣服をかざり、美妾(びしょう=妾、愛人)を抱え蓄財を計らば、何を以て維新の功業を遂ぐるを得んや。今日に至りては、戊辰の義戦もひとえに私を営みたる姿になり、天下に対し、戦死者に対して面目なきことなり。
下野して鹿児島に帰った西郷は、明治政府の高官たちが豪邸を建て、蓄財に励む姿を見て、何のための維新だったのか、今や戊辰戦争も私益を追求するためのものだったということになってしまい、天下に対し、戦死者に対して面目が立たないと嘆いていたのだ。
西郷も庶民のことを切に考える人であり、だからこそ立ち上がらざるを得なくなったのである。
民のこと、公のことを考える東洋王道の思想を尊重する者がやむにやまれず蜂起して滅ぼされ、弱肉強食の西洋覇道の思想に与する者が私腹を肥やして繁栄していったのが、明治以降の日本だったとも言える。
そしてその流れは、今もなお続いているのである。
海外で「明治維新」は「the Meiji Restoration」と英訳された。
「restoration」とは「回復」や「復元」という意味である。
つまり海外から見た「維新」とは「復古」であり、明治維新とはまさに「王政復古」だった。明治維新は本来の日本を取り戻し、新たな道を切り開くというものだったはずなのだ。
ところが実際に行われたことは、「restoration=復古」ではなく、「revolution=革命」に近かった。
漸進的な「維新」でなければならなかったのに、西洋流の合理主義ですべてを解体して作り替えてしまう、急進的な「革命」になってしまったのだ。
一瞬にして価値観を変えられてしまうと、アイデンティティが揺らぎ、精神が不安定になってしまう。
小学生くらいの年齢で大東亜戦争の敗戦を迎え、一夜にして大人の言うことが180度ガラッと変わる様を目の当たりにした、いわゆる「少国民世代」(現在80歳代の世代)の多くがそうであるように、革命的に価値観を変えられると後々尾を引くものだ。
「少国民世代」の多くは本気で戦後民主主義は素晴らしいものなのだと思ったかもしれないが、その一方で、心理的にアンバランスな部分がいっぱい出来上がってしまった者も多い。これは一生解消されなかったりもするのである。
幕末・明治期に関しては、欧米列強の魔の手がアジアに迫っている時で、日本が植民地化されないようにするには、革命的に断行しなければならないという事情も確かにあっただろう。
だがその場合は、日本人のアイデンティティが揺らぐことに対する手当てが必要だった。
しかしそのような配慮はされないまま、この当時洋行して帰ってきた者には、日本人には日本人の価値観があるということさえ見失ってしまうケースが、少なくなかったように思われる。
もっともそれは明治に限ったことではない。今でも海外留学から帰ってきたら、日本人の価値観をすっかりなくしているという者は結構いるのではないか。
わしにしても、知らず知らずのうちに次第に西洋合理主義に洗脳されていて、自覚的に日本人的感覚を呼び戻しているという部分はある。
むしろわしの父の方が、マルクス主義者のくせにかなり日本人っぽいところがあって、全然合理的ではなかった。
例えば、わしが中学に入学したとき、自転車を買ってくれたのだが、毎週日曜には父と一緒に自転車のスポークを一本一本磨かせられた。せっかくの日曜日に、これが子供のわしには相当苦痛だった。
錆びてしまったらホイールごと取り替えた方が早いし、ものすごく手間がかかることを考えればそっちの方が安上がりともいえる。
ところが父にはそんな損得勘定は最初から念頭にない。便利であればいい、効率が上がればいい、安上がりな方がいいといった、合理的な感覚はなかったのである。
父には、モノを大切にする、手間ひまかけて新品の品質を守り、勤勉に繊細にモノをいとおしむという職人魂のようなものがあって、せっかくの日曜日の午前中を自転車の整備に費やされてしまう。
こんなバカバカしい愚直さは、日本人ならではのもので、特に自動車をポンコツになっても乗りつぶす米国人などには、絶対に分からない精神だろう。
合理的な損得勘定ぬきで動くのが日本人である。
時には、合理的判断など度外視で、日本人としての「誇り」のためなら命まで惜しまない。
だからこそ、絶対に勝てるはずのない米国との戦いに挑み、死んでいった者があれほどまでにいたのだ。
いや、日露戦争だって勝算が確実視されたものではない。戦ってみなければ分からなかったものだ。
たまたま勝ったから、後出しじゃんけんで日露戦争までは正しかったという司馬史観が一般化しているが、大東亜戦争だってたまたま勝っていれば大評価されていたはずだ。
負けた戦争は、欧米人や中国人の感覚では「犬死に」でしかないだろう。
だが、日本人は負けた戦争にも価値観を見出す。源氏に負けて滅んだ平氏にも、滅びの美学を見出して、語り継ぐのが日本人のエートスではないか。
欧米人や中国人のような大陸の者たちと、日本人では、根本的に民族のエートスが違うのだ。
わしは忘れられかけている日本人のエートス(魂)を復活させようとしている。
あれは「不平士族の反乱」ではなく、「愛国志士の決起」だったのだと歴史を書き改めたい。
『大東亜論』第二部「愛国志士、決起ス」はそのための一冊と言えよう。
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小林よしのりライジング
小林よしのり(漫画家)
月額:¥550 (税込)
(ID:54294660)
戦後、アメリカ一極支配による危険性もやはり書くべきであり、様々な資料を集めた結果、第2次世界大戦で日本が負けたのはソ連によって負けたのであってアメリカの原爆ではないと述べた。
当然ながら原爆はアメリカの戦争犯罪である事をロシアやイランのメディアは報じた。
そしてソ連によって勝利を得たものを全てアメリカに置き換えられ、欧州では英米によって第2次世界大戦が勝利したとされているような報道がなされている。
それが後に米ソ冷戦に繋がり、後にソ連が崩壊したことによりアメリカ式(バチカン式)資本主義が世界を蔓延し、ロシアではデフォルトが発生し、多くの国で非正規労働者を生み出した。
そして1極支配になったが故にアメリカの暴走を止める国がいなくなり、アメリカ型グローバリズムで格差や貧困が増大、アメリカ一極と言う戦後レジームが本格化してきた。
EUも始めはアメリカと距離を置いていたが、サルコジ・メルケル体制でアメリカ追従を強めており、両社とも実は、小泉や安倍と同じく新自由主義である事は言うまでもない。
後にイラク戦争でロシア側に着く国が増えた。
そもそも諜報機関の優劣さだとКГБ(KGB)やФСБ(FSB、ロシアの諜報機関でСВР《SVR》とも言う。)の方がCIAよりも遥かに優秀だった。
現に今のロシアのプーチン大統領はКГБ出身であり、アメリカのオバマ大統領も元КГБだと言う噂もある。
戦後日本はソ連やКГБのお蔭でドイツみたく東西分裂になることはなかったと言う話もあった。