村山談話・河野談話に未来はあるか?
第55回 米軍調査報告に見る慰安婦の実態(その6)
慰安婦はゴールドを持って帰っていた。
ビルマ・ミッチナの慰安所では、慰安婦が普通の月で
総額1500円程度稼ぎ、750円程度受け取っていたという。
ではこの頃の軍人・兵隊の給料はいくらくらいだったのか?
二等兵は月額6円。
大将で月額550円。
戦地に出征すると戦地手当てがついてこの倍くらいになる。
慰安婦は、相当な高給取りだった。
慰安婦は、陸軍大佐の戦地手当て込みの給料よりも
高収入だったのである!
例によって「謝罪派」は、この「不都合な真実」を
ごまかすために、無理やりな理屈を編み出している。
戦争末期には現地が大変なインフレになって貨幣価値が
暴落しているから、実際はずっと安い給料で
働かされていただの、軍票は敗戦で紙くずになったなどと
言うのだ。
だがそれは慰安婦に限った話ではない。
終戦前後の混乱で財産をフイにしたなどという話は、
当時は誰にでも起こった話なのである。
しかも、そんな状況でも資産を確保した人はいる。
それは個人の才覚次第である。
1942年から44年までビルマで慰安婦をしていた文玉珠
という女性は、収入を現地部隊の軍事郵便貯金に預けていた。
通帳を紛失したために払い戻しができなかったが、
軍事貯金の原簿が現存していて、
その残高は2万6145円となっていた。
当時は5000円あれば東京に家が1軒買えたというから、
とんでもない大金である。
また、西野瑠美子著『従軍慰安婦と十五年戦争』で取材を
受けたビルマの慰安所経営者の妻は、夫がお金の一切を
やっていたから詳しいことはわからないとしながらも、
「みんなずいぶんためていたんとちがう?」と語っている。
なぜかというと、「引き揚げるときに、ゴールドをもって
帰ったって聞いたからね」ということである。
終戦前後の貨幣価値の暴落で大損をした人がいたからと
いって、慰安婦が高給取りだったという事実が変わるわけ
でもないし、そんななかでも給与を軍事郵便貯金で内地に
送ったり、ゴールドに換えたりして資産を守っていた
慰安婦もいたのである。
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