村山談話・河野談話に未来はあるか?
第29回 日韓「密約外交」はなぜ始まったか?
1992年(平成4)7月、日本政府が慰安婦「強制連行」の資料は
発見されなかったとする「第1次調査結果」を発表してから
わずか3週間後、韓国政府は
「日帝下軍隊慰安婦実態調査中間報告書」なるものを発表した。
だがこの報告書には独自調査による新事実はほとんどなく、
問題の「強制連行」については「1943年からは19世紀の
アフリカでの黒人奴隷狩りに似た手法で慰安婦を集めた」と
断言していたが、その根拠は吉田清治の証言だけだった。
一方でこの中間報告書では、慰安婦が業者との間で
「四対六程度の比率で分配していたと見られる」とか、
終戦後には「収容所に収容され、大部分が帰国した」とかいう
認識が記され、さらには慰安婦訴訟を支援していた韓国側の団体が
「強制連行」を否定するに等しい見解を示したことから、
遅くとも1993年の初めには韓国政府も慰安婦「強制連行」は
虚構であることを確信したらしい。
こうして日韓双方の政府ともに、「強制連行」はなかったという
共通認識を持つに至ったのだが、韓国の反日世論が沸騰してしまい、
もはやそれを認めることは政治的に不可能という
厄介な事態に陥ってしまった。
この騒動をどう収拾するか、
ここから日韓両政府による「密約外交」が始まった。
そして、その結果として生まれたのが
「河野談話」だったのである!
どちらが譲歩しなければならない弱みを抱えていたかというと、
それは明らかに日本側だった。
すでに宮沢首相が日韓首脳会談で8回も謝罪と反省を繰り返したことに加え、
そもそもこの問題は韓国側から起こしたものではなく、
日本のマスコミが韓国に持ち込み、
韓国国民の反日感情を焚きつけた事件であるという事実を
韓国政府ははっきり認識していたのである。
そんな中、金泳三大統領は「この問題では日本側が真実を
明らかにすることが重要で、物質的補償は必要ない」と表明し、
これを受けて韓国政府は韓国人元慰安婦に対する生活支援措置を決定した。
これは要するに、「強制連行」さえ認めてくれれば、
日本に対して金銭的補償は一切求めないというメッセージだった。
そして日本政府は、これに飛び付いたのだった。
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