>>82 こいらさん 更なる話のぶった切りをお許しお願いします。村落共同体と草刈りについてですが、刈った草の行方と刈った草の土地について気になることがありました。私が所属する農業塾では塾の開催場所が発酵の里でもありまして、刈った草を肥料にすべく積み重ねてビニールシートを被せ、嫌気発酵をさせます。空気を遮断させて腐敗させると酵素が出来て、これが良質な肥料となるのです。実際にこの方法で様々な農産廃棄物などを発酵させて酵素を抽出させ、酵素による農産物の大幅な成長促進を証明して、高級な肥料として販売している万田発酵株式会社などの肥料会社もあります。植木などの小規模の場合はポリ容器に狩った草を詰め、それより規模が大きい場合は大型の空気遮断密封袋などを探してみるのもいいかもしれません。 また、草を刈った後の土地は何に使うのか気になります。実は、一昨日na85さんが紹介してくれた宮脇昭 著「鎮守の森」と「3本の植樹から森ははじまる」を読み終えまして、そこの神社に生育している木々からドングリ(種子)を広って育てて草を刈った跡地に植樹する、宮脇方式の植樹を始めてみてはと思い立ちました。なぜなら、この方式で植樹をすると潜在自然植生の対象となる在来種を植樹していることになりますので地盤が強化されて土砂や洪水から土地を守り、地震の揺れを抑制して防火や建築物の倒壊からも木々が守ってくれるからです。さらには、刈る対象となる雑草やその他の帰化植物の侵入、増殖もなくなるので手入れも不要になり、副産物としてこれら樹木が育った土壌から栄養分が河川や海に流れ、全体的な一次産業の活性化に繋がるのです。 若者が共同体を嫌がって入ってこないとのことですが、里山とは無縁だった若者をいきなり住まわせようとしたって無理な話ではないのでしょうか?私自身も月一回、近くの農村に出向いていますが、現地の人々と活発に意見や質問を交し、時には農産物の今後の育て方や新しい魅力などを探り合うなどの交流を続けています。都市にはない、里山の魅力と活かすべき里山の魅力について話し合うという機会はないのかと時には思えてならないのです。 「里山資本主義」にも記されていますが、年を取った人々の面倒を見るのは何も若者に限る話ではないですし、年を取った人々もなにか、若者の役に立てれるか、何か案がほしいのではないのかと思います。更には都市にはない里山の魅力と、刈った草などをボランティアではなく新たなる資源や宝の山に変えるか、作っていくように考えていかないと里山は荒廃していくのではないのかと思います。近年の都市生活者や地方都市で勤めている人々を見ていますと、正社員を含む、大企業に残って安定した都市生活を送れる人は軍隊と同じく1割ほどで、多くは止めて自分の生まれ育った故郷に帰る向きが強まっています。戦時中から戦後復興までは国民皆兵から国民総増産という過程を得ていましたので、サラリーマン生活者として定年まで生き続けることが出来たのでしょうが、戦後復興が終わると大企業も軍隊と同じく専門職が必要となり、さらには大企業に残れる人も1割という運営に変えていっています。この傾向はなにも現在起った現象なのではなく、江戸時代においても同じで、参勤交代と丁稚奉公で江戸に止まれる住民が少数であった例と似ています。 恐らく、都市の過疎化を前提とした里山つくりをしていかないとその里山はなくなる以外に道はないと思います。若い人々も都市の生活に疲れ、里山が都市での生活を支えていると解り始めていることからどうやったら自分の故郷を含む、里山に貢献できるか提案を探してもがいているものと考えられます。部外者でありつつ、勝手なことを書き込んで申し訳ありませんが、刈った草や草を刈る土地があると聞くと、國防のための資源と宝の土地にしか見えないことから書かせていただきました。 >>86 na85さん エビについて書かれていましたので捕捉しますが、大手天丼屋の「てんや」がエビ天を減らすという報道がなされまして、これは東南アジアにおいてそれまでエビ養殖でウシエビ(ブラックタイガー)に代って病気に強いという理由で主流を占めていたバナメイ種(中南米原産)が早期死亡症候群という原因不明の疾病によって大量死し、ウシエビの需要が急遽高まり、値段が向上したからであるといわれています。 このクルマエビ養殖技術を発案し、実践したのは日本人科学者であり、本来はエビの安定化供給と資源保護が当初の目的でした。しかし、技術が海外に流れるて養殖物が市場で受け入れられると早速、世界(グローバル)市場で勝ち抜くために生産の効率化と安定化により自然の生態から完全に分離したクルマエビの養殖生産が始まり、そのために日本からより人件費と土地代が安い台湾へ、台湾から東南アジア、中東、中南米へとエビ養殖が爆発的に広まり、拡散してきました。しかし、本来自然の生態系に生存しているクルマエビを自然の生態系から完全に分離するなど不可能な話で、エビ養殖場に薬品を大量投入し、ワクチンを接種させても大量疾病が数年おきに発生し、そのために養殖場も破棄されて環境破壊へと繋がり、更には本来、我々人間の食料やほかの生物の餌になるはずの魚介類も配合飼料の餌の原料となり、水産資源を圧迫して水産資源保護にはまったくならないことが証明されました。 近年はマングローブ林を保護した内陸に養殖場を作るか入江を作り、自然に近くエビが生存しやすい環境を作り、無休時による実質天然のエビを作る放牧方式を実施している養殖場もあります。実は、肉骨粉も狂牛病が発症して問題となるまでは気候変動によって左右されない穀物や回遊魚から完全に分離した原料で三大栄養素である脂質、糖質、蛋白質を賄えることから、飼料業界では画期的な発明でした。また、その当時は養魚飼料の原料となる魚粉が水産資源の圧迫により向上するという問題から、大豆と肉骨粉で賄う計画まで持ち上がり、その試験まで行っていました。 ウナギかば焼きの材料となるニホンウナギなどのウナギ類が絶滅危惧種に指定され、クロマグロの資源の枯渇が懸念されれてから、クロマグロやニホンウナギの完全養殖を國を掲げて進めていますが、エビの事例を見ればわかるとおり、完全養殖は資源の保護にもならなければ環境の保護にもなりません。それに、大豆や肉骨粉、または発がん性のある酸化防止剤に塗れた魚粉を食べて、ワクチン接種しなければならないほどの環境で育ったクロマグロやニホンウナギをいったい誰が食べたいのでしょうか? さらにはクロマグロやニホンウナギもクロマグロやニホンウナギからではなく、借腹となる、マスの卵から生まれたマグロやウナギ、そして染色操作によって育成が早まり脂がより多くのる三倍体のマグロを誰が食べたいと思うのでしょうか?一次産業は天候を始めとする生態系からの完全分離は神に逆らう行いであって、エビの大量疾病も狂牛病もまさに、生態系からの分離という神に逆らった結果でもあると思えてなりませんが如何でありましょう。 狂牛病、エビ大量斃死、津波によるコンクリート防波堤の破壊と原発事故、これらすべてに共通するのは自然に逆らった神々からの怒りか? na85さん、珈琲も國産(あるのか?)の煎りたてはまったく別の味がするそうな?確証はありませんが。 長文失礼しました。
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>>82 こいらさん 更なる話のぶった切りをお許しお願いします。村落共同体と草刈りについてですが、刈った草の行方と刈った草の土地について気になることがありました。私が所属する農業塾では塾の開催場所が発酵の里でもありまして、刈った草を肥料にすべく積み重ねてビニールシートを被せ、嫌気発酵をさせます。空気を遮断させて腐敗させると酵素が出来て、これが良質な肥料となるのです。実際にこの方法で様々な農産廃棄物などを発酵させて酵素を抽出させ、酵素による農産物の大幅な成長促進を証明して、高級な肥料として販売している万田発酵株式会社などの肥料会社もあります。植木などの小規模の場合はポリ容器に狩った草を詰め、それより規模が大きい場合は大型の空気遮断密封袋などを探してみるのもいいかもしれません。
また、草を刈った後の土地は何に使うのか気になります。実は、一昨日na85さんが紹介してくれた宮脇昭 著「鎮守の森」と「3本の植樹から森ははじまる」を読み終えまして、そこの神社に生育している木々からドングリ(種子)を広って育てて草を刈った跡地に植樹する、宮脇方式の植樹を始めてみてはと思い立ちました。なぜなら、この方式で植樹をすると潜在自然植生の対象となる在来種を植樹していることになりますので地盤が強化されて土砂や洪水から土地を守り、地震の揺れを抑制して防火や建築物の倒壊からも木々が守ってくれるからです。さらには、刈る対象となる雑草やその他の帰化植物の侵入、増殖もなくなるので手入れも不要になり、副産物としてこれら樹木が育った土壌から栄養分が河川や海に流れ、全体的な一次産業の活性化に繋がるのです。
若者が共同体を嫌がって入ってこないとのことですが、里山とは無縁だった若者をいきなり住まわせようとしたって無理な話ではないのでしょうか?私自身も月一回、近くの農村に出向いていますが、現地の人々と活発に意見や質問を交し、時には農産物の今後の育て方や新しい魅力などを探り合うなどの交流を続けています。都市にはない、里山の魅力と活かすべき里山の魅力について話し合うという機会はないのかと時には思えてならないのです。
「里山資本主義」にも記されていますが、年を取った人々の面倒を見るのは何も若者に限る話ではないですし、年を取った人々もなにか、若者の役に立てれるか、何か案がほしいのではないのかと思います。更には都市にはない里山の魅力と、刈った草などをボランティアではなく新たなる資源や宝の山に変えるか、作っていくように考えていかないと里山は荒廃していくのではないのかと思います。近年の都市生活者や地方都市で勤めている人々を見ていますと、正社員を含む、大企業に残って安定した都市生活を送れる人は軍隊と同じく1割ほどで、多くは止めて自分の生まれ育った故郷に帰る向きが強まっています。戦時中から戦後復興までは国民皆兵から国民総増産という過程を得ていましたので、サラリーマン生活者として定年まで生き続けることが出来たのでしょうが、戦後復興が終わると大企業も軍隊と同じく専門職が必要となり、さらには大企業に残れる人も1割という運営に変えていっています。この傾向はなにも現在起った現象なのではなく、江戸時代においても同じで、参勤交代と丁稚奉公で江戸に止まれる住民が少数であった例と似ています。
恐らく、都市の過疎化を前提とした里山つくりをしていかないとその里山はなくなる以外に道はないと思います。若い人々も都市の生活に疲れ、里山が都市での生活を支えていると解り始めていることからどうやったら自分の故郷を含む、里山に貢献できるか提案を探してもがいているものと考えられます。部外者でありつつ、勝手なことを書き込んで申し訳ありませんが、刈った草や草を刈る土地があると聞くと、國防のための資源と宝の土地にしか見えないことから書かせていただきました。
>>86 na85さん エビについて書かれていましたので捕捉しますが、大手天丼屋の「てんや」がエビ天を減らすという報道がなされまして、これは東南アジアにおいてそれまでエビ養殖でウシエビ(ブラックタイガー)に代って病気に強いという理由で主流を占めていたバナメイ種(中南米原産)が早期死亡症候群という原因不明の疾病によって大量死し、ウシエビの需要が急遽高まり、値段が向上したからであるといわれています。
このクルマエビ養殖技術を発案し、実践したのは日本人科学者であり、本来はエビの安定化供給と資源保護が当初の目的でした。しかし、技術が海外に流れるて養殖物が市場で受け入れられると早速、世界(グローバル)市場で勝ち抜くために生産の効率化と安定化により自然の生態から完全に分離したクルマエビの養殖生産が始まり、そのために日本からより人件費と土地代が安い台湾へ、台湾から東南アジア、中東、中南米へとエビ養殖が爆発的に広まり、拡散してきました。しかし、本来自然の生態系に生存しているクルマエビを自然の生態系から完全に分離するなど不可能な話で、エビ養殖場に薬品を大量投入し、ワクチンを接種させても大量疾病が数年おきに発生し、そのために養殖場も破棄されて環境破壊へと繋がり、更には本来、我々人間の食料やほかの生物の餌になるはずの魚介類も配合飼料の餌の原料となり、水産資源を圧迫して水産資源保護にはまったくならないことが証明されました。
近年はマングローブ林を保護した内陸に養殖場を作るか入江を作り、自然に近くエビが生存しやすい環境を作り、無休時による実質天然のエビを作る放牧方式を実施している養殖場もあります。実は、肉骨粉も狂牛病が発症して問題となるまでは気候変動によって左右されない穀物や回遊魚から完全に分離した原料で三大栄養素である脂質、糖質、蛋白質を賄えることから、飼料業界では画期的な発明でした。また、その当時は養魚飼料の原料となる魚粉が水産資源の圧迫により向上するという問題から、大豆と肉骨粉で賄う計画まで持ち上がり、その試験まで行っていました。
ウナギかば焼きの材料となるニホンウナギなどのウナギ類が絶滅危惧種に指定され、クロマグロの資源の枯渇が懸念されれてから、クロマグロやニホンウナギの完全養殖を國を掲げて進めていますが、エビの事例を見ればわかるとおり、完全養殖は資源の保護にもならなければ環境の保護にもなりません。それに、大豆や肉骨粉、または発がん性のある酸化防止剤に塗れた魚粉を食べて、ワクチン接種しなければならないほどの環境で育ったクロマグロやニホンウナギをいったい誰が食べたいのでしょうか?
さらにはクロマグロやニホンウナギもクロマグロやニホンウナギからではなく、借腹となる、マスの卵から生まれたマグロやウナギ、そして染色操作によって育成が早まり脂がより多くのる三倍体のマグロを誰が食べたいと思うのでしょうか?一次産業は天候を始めとする生態系からの完全分離は神に逆らう行いであって、エビの大量疾病も狂牛病もまさに、生態系からの分離という神に逆らった結果でもあると思えてなりませんが如何でありましょう。
狂牛病、エビ大量斃死、津波によるコンクリート防波堤の破壊と原発事故、これらすべてに共通するのは自然に逆らった神々からの怒りか?
na85さん、珈琲も國産(あるのか?)の煎りたてはまったく別の味がするそうな?確証はありませんが。
長文失礼しました。