〇 ゴーマニズム宣言・第447回「森永ヒ素ミルク事件 中編」 簡単には事件の経緯は調べておりましたが、やはり岡崎哲夫氏の意志の強さに感銘を覚えます。しかし、今さらながら思うのですが、大企業はなぜ自己の利益を守ろうとし、公共のために反省しようと言う意識が薄いのか、ということです。 そして、裁判もそれを助長するような判決しか出さないことも理不尽に感じます。それでも森永に罪があると認めただけ、まだましなのでしょうか。 昔、ある人からこういうことを言われたことがあります。「裁判は貴方が考えているような、正義を守るためのものじゃないんです。関係者同士の利害が衝突し、相手を平気で誹謗中傷し、傷つけ合うものなんです。離婚訴訟中の患者の相談をしたことがあるので、そのことをよく知っているんです」。確かにその通りなのでしょう。 しかし、個人の正義が星の数ほどあるとしても、道理が認められないで、世間や集団の言い分だけが通ってしまう世の中は狂っていると言わざるを得ません。蜂の巣にとって有益でなければ、そこに住まう蜜蜂にとっても有益ではない、とマルクス・アウレリウスは述べていますが、逆に個々の蜜蜂にとって害をなすものは、蜂の巣を崩潰させると思います。ましてやこの場合、砒素ミルクを飲んだ赤ん坊が多数被害に遭っているのだから、最初から蜂の巣にとっても有益ではなかったわけで、森永乳業は全体ではなく、一部の利益しか代表していないわけです。 上述の木蘭さんの話で記した感想とも繋がるのですが、どれだけ険しい山だとしても、それを登り切ることが必要だったら、やはり登山するしかない、と私は思います。自分にもプレッシャーを与えているつもりですが、リアルな今に殺されてはならないと思います。素直に生きてみたいです。 以上です。人には色々な考えがあることは認めますが、それでも「論理は勝つ」「真理は必ずある」と私も信じます。 Q&Aコーナーですが、私が無知なだけでしょうが、「合成の誤謬」という言葉は面白い表現で、的を射ていると思いました。先にあげたマルクス・アウレリウスの蜜蜂の巣の話ともかかわりがあるように感じたので。個と個が集まって集団の正義が生まれるわけではなく、ある個体に対しては正義であっても、別の人にとっては合致するものではなしに、全体としての行動指針にとっては無益である場合もある、ということになるのでしょう。 私にとって、正月は普段やらないスペシャル番組が放映される楽しい時間でしたが、始終特番が流されるようになり、特別感もなくなってしまうと、やはり静かで、読書や思索ができる時間の方が重要だな、と思います。それと、勉強もしないといけないのかな。 いったいいつからTVは夢を与える媒体から、人を誑かす害悪へと変貌していったのでしょうか。それとも、最初からそういう危険を孕んでおり、表面的な夢に幻惑されていただけだったのでしょうか。懐かしい番組などもあるので(新春スターかくし芸など)、何か複雑なものを覚えます。 これでちょうど3回目かな。それでは、次号、今年最後の号を期待します。
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〇 ゴーマニズム宣言・第447回「森永ヒ素ミルク事件 中編」
簡単には事件の経緯は調べておりましたが、やはり岡崎哲夫氏の意志の強さに感銘を覚えます。しかし、今さらながら思うのですが、大企業はなぜ自己の利益を守ろうとし、公共のために反省しようと言う意識が薄いのか、ということです。
そして、裁判もそれを助長するような判決しか出さないことも理不尽に感じます。それでも森永に罪があると認めただけ、まだましなのでしょうか。
昔、ある人からこういうことを言われたことがあります。「裁判は貴方が考えているような、正義を守るためのものじゃないんです。関係者同士の利害が衝突し、相手を平気で誹謗中傷し、傷つけ合うものなんです。離婚訴訟中の患者の相談をしたことがあるので、そのことをよく知っているんです」。確かにその通りなのでしょう。
しかし、個人の正義が星の数ほどあるとしても、道理が認められないで、世間や集団の言い分だけが通ってしまう世の中は狂っていると言わざるを得ません。蜂の巣にとって有益でなければ、そこに住まう蜜蜂にとっても有益ではない、とマルクス・アウレリウスは述べていますが、逆に個々の蜜蜂にとって害をなすものは、蜂の巣を崩潰させると思います。ましてやこの場合、砒素ミルクを飲んだ赤ん坊が多数被害に遭っているのだから、最初から蜂の巣にとっても有益ではなかったわけで、森永乳業は全体ではなく、一部の利益しか代表していないわけです。
上述の木蘭さんの話で記した感想とも繋がるのですが、どれだけ険しい山だとしても、それを登り切ることが必要だったら、やはり登山するしかない、と私は思います。自分にもプレッシャーを与えているつもりですが、リアルな今に殺されてはならないと思います。素直に生きてみたいです。
以上です。人には色々な考えがあることは認めますが、それでも「論理は勝つ」「真理は必ずある」と私も信じます。
Q&Aコーナーですが、私が無知なだけでしょうが、「合成の誤謬」という言葉は面白い表現で、的を射ていると思いました。先にあげたマルクス・アウレリウスの蜜蜂の巣の話ともかかわりがあるように感じたので。個と個が集まって集団の正義が生まれるわけではなく、ある個体に対しては正義であっても、別の人にとっては合致するものではなしに、全体としての行動指針にとっては無益である場合もある、ということになるのでしょう。
私にとって、正月は普段やらないスペシャル番組が放映される楽しい時間でしたが、始終特番が流されるようになり、特別感もなくなってしまうと、やはり静かで、読書や思索ができる時間の方が重要だな、と思います。それと、勉強もしないといけないのかな。
いったいいつからTVは夢を与える媒体から、人を誑かす害悪へと変貌していったのでしょうか。それとも、最初からそういう危険を孕んでおり、表面的な夢に幻惑されていただけだったのでしょうか。懐かしい番組などもあるので(新春スターかくし芸など)、何か複雑なものを覚えます。
これでちょうど3回目かな。それでは、次号、今年最後の号を期待します。