今号の感想も記します。 ゴーマニズム宣言・第391回「自由がなくてもいい玉川徹」 思うに、自由のない生活を礼賛し、他国の政策に憧れを感じる心情は、よほど自国の現状が気に入らないからだろうと思いますが、自分で決めて後悔するのも人生なのではないか、と自分は思います。 かくいう自分もそんなに個が強いわけではなく、ただ我が強いだけで、恥をかきたくないとか、見栄とかそんな感情でいっぱいです。先の投稿を書き直しているのも、その一つの現れでしょう。しかし、どんな愚かな決断でも、それをしたのは自分なのだから、自分に責任があり、また恥ずべき結果になろうとも、自分の選んだことなのだから、反省はしなければならないし、別の道もあったと思索することはあっても、それも人生の一つなのだ、と思うしかないと思います。 たしか「銀河鉄道999」に職業を政府によって決定される星の話があって、鉄朗の会ったある青年は漫画家になりたくて、こっそり漫画を描いていた、という筋だったと覚えているのですが、好きなこと、やりたいことがあったら、誰かに強制されても、やめることはできないものでしょう。また、同じ「999」で、滅亡寸前の星の話があって、その星の歴史の最後の1ページまで記述すべく、星の最後を見屆けようと居残っているカップルの話というのもありました。これだって、「生命至上主義」では理解できない、その人の「信念」や「使命」であって、何人もそれを「いのちが大事だから、速く逃げろ」と妨害することはできないでしょう。 玉川徹などは、こういう話をどう感じるのでしょうか?愚行とあざ笑うのでしょうか?自分の話もしるすと、なき母親から言われたことは「お前は融通がきかないから、官庁が向いている、地方公務員の試験に受かるのは決して楽な道ではない」と始終言われました。しかし、そう言われて、「はい、そうですね」と従順に言える人間がどこにいるのでしょうか?自分は本が好きなので出版社の試験や面接を受けたり、その後は大学で專攻していた教育関係の仕事をしたりしました。ある意味一貫性がないのですけれども、それでも真剣に働いた、と思っています(独断専行もしたけれども)。 ただ、自分が感じるのは、そういう仕事や生活をしてきて、廻りの空気が読めないと迷惑をかけたり、人を傷つけるつもりもないのに、ひどいことを言ったりしたりしてしまったことで、「どうすればそういうことをしなくて済むのでしょうか」というアドヴァイスは欲しかった、ということです。あるいはあっても自分が理解できていなかったか、聞いていなかったかのどちらかなのだろうとも思うのですが、自分もあれこれ考えており、そういうことをすべて無視されて、ただ「官庁が向いている」・「よけいなことをするな」と一方的に言われるのでは、AIに人生を決められたり、先の999の職業選択の自由を政府に握られているのとさしてかわりはないでしょう。自分とそういう「会話」をしようとする人間がいなかった、そのことを運が悪いと悔やんだり、相手の横暴だと非難したりするのは、我が儘なだけでしょうか。相手の立場も考えるべきだったのでしょうか。 いずれにしても、危険でも自由な方がいい、自分もそう思います。自分のコンプレックスやエゴをストレートに記しましたが、いかがでしょうか。 これで3回目になってしまったので、木蘭さんの方はまた後回しになります。御諒承のほどを。
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ゴーマニズム宣言・第391回「自由がなくてもいい玉川徹」
思うに、自由のない生活を礼賛し、他国の政策に憧れを感じる心情は、よほど自国の現状が気に入らないからだろうと思いますが、自分で決めて後悔するのも人生なのではないか、と自分は思います。
かくいう自分もそんなに個が強いわけではなく、ただ我が強いだけで、恥をかきたくないとか、見栄とかそんな感情でいっぱいです。先の投稿を書き直しているのも、その一つの現れでしょう。しかし、どんな愚かな決断でも、それをしたのは自分なのだから、自分に責任があり、また恥ずべき結果になろうとも、自分の選んだことなのだから、反省はしなければならないし、別の道もあったと思索することはあっても、それも人生の一つなのだ、と思うしかないと思います。
たしか「銀河鉄道999」に職業を政府によって決定される星の話があって、鉄朗の会ったある青年は漫画家になりたくて、こっそり漫画を描いていた、という筋だったと覚えているのですが、好きなこと、やりたいことがあったら、誰かに強制されても、やめることはできないものでしょう。また、同じ「999」で、滅亡寸前の星の話があって、その星の歴史の最後の1ページまで記述すべく、星の最後を見屆けようと居残っているカップルの話というのもありました。これだって、「生命至上主義」では理解できない、その人の「信念」や「使命」であって、何人もそれを「いのちが大事だから、速く逃げろ」と妨害することはできないでしょう。
玉川徹などは、こういう話をどう感じるのでしょうか?愚行とあざ笑うのでしょうか?自分の話もしるすと、なき母親から言われたことは「お前は融通がきかないから、官庁が向いている、地方公務員の試験に受かるのは決して楽な道ではない」と始終言われました。しかし、そう言われて、「はい、そうですね」と従順に言える人間がどこにいるのでしょうか?自分は本が好きなので出版社の試験や面接を受けたり、その後は大学で專攻していた教育関係の仕事をしたりしました。ある意味一貫性がないのですけれども、それでも真剣に働いた、と思っています(独断専行もしたけれども)。
ただ、自分が感じるのは、そういう仕事や生活をしてきて、廻りの空気が読めないと迷惑をかけたり、人を傷つけるつもりもないのに、ひどいことを言ったりしたりしてしまったことで、「どうすればそういうことをしなくて済むのでしょうか」というアドヴァイスは欲しかった、ということです。あるいはあっても自分が理解できていなかったか、聞いていなかったかのどちらかなのだろうとも思うのですが、自分もあれこれ考えており、そういうことをすべて無視されて、ただ「官庁が向いている」・「よけいなことをするな」と一方的に言われるのでは、AIに人生を決められたり、先の999の職業選択の自由を政府に握られているのとさしてかわりはないでしょう。自分とそういう「会話」をしようとする人間がいなかった、そのことを運が悪いと悔やんだり、相手の横暴だと非難したりするのは、我が儘なだけでしょうか。相手の立場も考えるべきだったのでしょうか。
いずれにしても、危険でも自由な方がいい、自分もそう思います。自分のコンプレックスやエゴをストレートに記しましたが、いかがでしょうか。
これで3回目になってしまったので、木蘭さんの方はまた後回しになります。御諒承のほどを。