『ゴー宣道場』お疲れ様でした。 ネット動画で見ていました。 田原総一郎氏の脈絡のない語りに戸惑ったのは皆様と同じなのですが、所々でマスコミ報道の限界のようなものに言及されていたので、ひょっとしたら「マスコミだけがジャーナリズムじゃないんだよ。個人で動くジャーナリストはここまでの情報を入手し、披露することも可能なんだよ」ということを知らしめようとしているのだろうかと思いました。 テレビや新聞に接することも少なくなった日本人に対する、田原氏なりの啓蒙活動なのかと。 ただ、仮にそうだとしても、それは自分の番組でやればよいこと。 『ゴー宣道場』に登壇したのなら、議論を展開すべきだと思いました。 象徴的だったのが「天皇の退位の特措法が成立したのは、国民の過半数が退位を支持していたから」という発言。 『ゴー宣道場』で何度も議論を重ねていたこともご存じだったはずですが、その事実は完全スルー。 田原氏にとって「議論」とは知識人や政治家がやるものであって、一般の国民はただ賛否を表明するだけの存在であり、いくら議論をしたところでそれが大きな気運につながるものではない、とお考えのように感じられました。 だから我々知識人が、どんどん一般人に対して「教えていかなければならない」というような感覚なのかな、と。 「国民一人一人が考え、議論することなど期待していない」 「どうせ国の政策や法案は、永田町の人脈や力関係、時には自分がフィクサーとしての働きかけで決定してしまうものなのだから」 確かに今までの日本政治には、そういう側面はあったのでしょうけど、だからといってこれからもそれで良いというわけではありません。 「お上にお任せ」ではダメなのだ、自分の頭で考えよう、というのが『ゴー宣』が標榜するスピリッツの一つだと思うからです。 ひょっとしたら田原氏は、政界の大物に接する時間があまりにも長すぎて、彼らの毒気にやられたのではないか、という気もしてしまいます。 一方で「安倍は素直な奴」という評価については、私は特に抵抗を感じません。 2年前に青木理氏の『安倍三代』というルポを読んだのですが、政治家になる前の安倍晋三は、存在感を忘れ去られるぐらいの無個性の極致だったようです。 青木氏が一生懸命取材をしても、これといったエピソードが全く見つからない、と。 大学時代に晋三は「憲法学」のゼミを受講していたのですが、その指導教授が「いたはずなんだろうけど、全く覚えていない」と答えています。 少人数で一人一人の発言が重視されるゼミで、その存在が忘れられるというのはよほどの事。 私は、それぐらい主体性のない人間だたのだろう、と解釈しています。 強い信念があって政治家になったわけではなく、自分なりの思想を持っていたわけでもない。 だからこそ、自分を支持してくれる団体の考えに簡単に同調してしまう。 2回目の総裁選出馬は、菅義偉に諭されて決断した、というのは有名な話ですよね。 岸信介に懐いていたため、「岸信介の孫」というプライドだけはやたらに強かったようで、「日本会議」が「利用価値あり」と判断した可能性は大いにあるのではないでしょうか。 なので、ここでいう「素直」とは、自分の地位を確固たるものにしてくれる人間や組織(アメリカも含む)の話はいくらでも聞く、という意味なのだろうと思います。 決して、野党や国民の意見に耳を傾ける、という意味ではないでしょうね。 最後に、小林先生が高森先生の「国民性に帰結することには与したくない」という発言について、「国民性」を否定してはならない、と批判されていますが、この発言、そういう文脈でしたっけ? と疑問を感じます。 確か「高信頼社会の日本」において、憲法で権力を縛る立憲的改憲というものは現実味があるのだろうか? といったような質問があり(かなりうろ覚えなので、違っていたら申し訳ないです)、それに対して高森先生が「高信頼社会に生きる国民性だからといって、立憲的改憲という考え方が理解されづらい、という考えには与したくない」という流れで発言されたような気がしました。 廃藩置県の例は、あれが「国民性」を変えたという主張ではなくて、「天皇の詔ひとつで、あれだけの大改革が平和裏に遂行された」という、西洋人には理解できない「国民性」が発揮されたことを示したものではなかったでしょうか? これを見たイギリス人が「こんな改革が断行されれば、ヨーロッパならば数年は内乱が起こる」と言い、西郷隆盛が「反抗する奴らは自分たちが迎え撃つ」と言ったというエピソードも高森先生は紹介されましたが、それも「日本人の「忠誠心」を殿様から天皇に移動させただけ」という小林先生のお考えと何ら矛盾しません。 私は高森先生の発言は、日本人の「国民性」だったら、西洋の立憲主義なんか無理だろう、というようなニヒリズムに対する反論だったのではないか、と思いました。 事実誤認や思い違いがありましたら、申し訳ないです。
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『ゴー宣道場』お疲れ様でした。
ネット動画で見ていました。
田原総一郎氏の脈絡のない語りに戸惑ったのは皆様と同じなのですが、所々でマスコミ報道の限界のようなものに言及されていたので、ひょっとしたら「マスコミだけがジャーナリズムじゃないんだよ。個人で動くジャーナリストはここまでの情報を入手し、披露することも可能なんだよ」ということを知らしめようとしているのだろうかと思いました。
テレビや新聞に接することも少なくなった日本人に対する、田原氏なりの啓蒙活動なのかと。
ただ、仮にそうだとしても、それは自分の番組でやればよいこと。
『ゴー宣道場』に登壇したのなら、議論を展開すべきだと思いました。
象徴的だったのが「天皇の退位の特措法が成立したのは、国民の過半数が退位を支持していたから」という発言。
『ゴー宣道場』で何度も議論を重ねていたこともご存じだったはずですが、その事実は完全スルー。
田原氏にとって「議論」とは知識人や政治家がやるものであって、一般の国民はただ賛否を表明するだけの存在であり、いくら議論をしたところでそれが大きな気運につながるものではない、とお考えのように感じられました。
だから我々知識人が、どんどん一般人に対して「教えていかなければならない」というような感覚なのかな、と。
「国民一人一人が考え、議論することなど期待していない」
「どうせ国の政策や法案は、永田町の人脈や力関係、時には自分がフィクサーとしての働きかけで決定してしまうものなのだから」
確かに今までの日本政治には、そういう側面はあったのでしょうけど、だからといってこれからもそれで良いというわけではありません。
「お上にお任せ」ではダメなのだ、自分の頭で考えよう、というのが『ゴー宣』が標榜するスピリッツの一つだと思うからです。
ひょっとしたら田原氏は、政界の大物に接する時間があまりにも長すぎて、彼らの毒気にやられたのではないか、という気もしてしまいます。
一方で「安倍は素直な奴」という評価については、私は特に抵抗を感じません。
2年前に青木理氏の『安倍三代』というルポを読んだのですが、政治家になる前の安倍晋三は、存在感を忘れ去られるぐらいの無個性の極致だったようです。
青木氏が一生懸命取材をしても、これといったエピソードが全く見つからない、と。
大学時代に晋三は「憲法学」のゼミを受講していたのですが、その指導教授が「いたはずなんだろうけど、全く覚えていない」と答えています。
少人数で一人一人の発言が重視されるゼミで、その存在が忘れられるというのはよほどの事。
私は、それぐらい主体性のない人間だたのだろう、と解釈しています。
強い信念があって政治家になったわけではなく、自分なりの思想を持っていたわけでもない。
だからこそ、自分を支持してくれる団体の考えに簡単に同調してしまう。
2回目の総裁選出馬は、菅義偉に諭されて決断した、というのは有名な話ですよね。
岸信介に懐いていたため、「岸信介の孫」というプライドだけはやたらに強かったようで、「日本会議」が「利用価値あり」と判断した可能性は大いにあるのではないでしょうか。
なので、ここでいう「素直」とは、自分の地位を確固たるものにしてくれる人間や組織(アメリカも含む)の話はいくらでも聞く、という意味なのだろうと思います。
決して、野党や国民の意見に耳を傾ける、という意味ではないでしょうね。
最後に、小林先生が高森先生の「国民性に帰結することには与したくない」という発言について、「国民性」を否定してはならない、と批判されていますが、この発言、そういう文脈でしたっけ? と疑問を感じます。
確か「高信頼社会の日本」において、憲法で権力を縛る立憲的改憲というものは現実味があるのだろうか? といったような質問があり(かなりうろ覚えなので、違っていたら申し訳ないです)、それに対して高森先生が「高信頼社会に生きる国民性だからといって、立憲的改憲という考え方が理解されづらい、という考えには与したくない」という流れで発言されたような気がしました。
廃藩置県の例は、あれが「国民性」を変えたという主張ではなくて、「天皇の詔ひとつで、あれだけの大改革が平和裏に遂行された」という、西洋人には理解できない「国民性」が発揮されたことを示したものではなかったでしょうか?
これを見たイギリス人が「こんな改革が断行されれば、ヨーロッパならば数年は内乱が起こる」と言い、西郷隆盛が「反抗する奴らは自分たちが迎え撃つ」と言ったというエピソードも高森先生は紹介されましたが、それも「日本人の「忠誠心」を殿様から天皇に移動させただけ」という小林先生のお考えと何ら矛盾しません。
私は高森先生の発言は、日本人の「国民性」だったら、西洋の立憲主義なんか無理だろう、というようなニヒリズムに対する反論だったのではないか、と思いました。
事実誤認や思い違いがありましたら、申し訳ないです。