さて、後三十分。じゃ、大体図で書きましょう。 日本民族というのはただ一つの「心」ですね。 ただ一つのっていうのは、どんな風に一つかという説明要りますが、ともかく心が日本民族ですね。それで心をいろんな深さに分けて見る。 「心の層」、これを「識」というのです。これは仏教哲学の言葉。仏教哲学は既にこんな風にして研究し始めてるん。 仏教のよそなんか要りませんが。しかも仏教は「第九識」までしか知らない。 その下に「第八識」がある。第九識に依存してその下にって言うんだから、天井に足を着けて逆様に立ってるようなものですね。 その下に「第七識」がある。 ここまでが本当の「からだ」です、日本民族の。 それから、この上が「こころ」です。 「第十二識」があって、その下に「第十一識」、そのもう一つ下に「第十識」。 娘のさおりは第十一識。 そして識に到達してなくてもわかってないとできないことがある。 すなわち批評は第十一識以上、運命的な恋愛は第十二識以上、星を移るってのは第十三識以上、これがわかってないとできない。 で、日本民族と言うと大我なら、ずうっとこれ皆ですね。 だけど、それを無自覚的・無意識的にで良いが、使ってるかと言うと、そうであることを使ってない。途中までしか使ってない。 普通はどうかって言うと、末那識を自分だと思ってる。 で、普通の人は、西洋人それから明治以後の日本人の大多数、末那識を自分だと思ってる。それからそれだけのことしかしていない。 こういうのを末那識に住むと言う。
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小林よしのりチャンネル
(ID:14564425)
さて、後三十分。じゃ、大体図で書きましょう。
日本民族というのはただ一つの「心」ですね。
ただ一つのっていうのは、どんな風に一つかという説明要りますが、ともかく心が日本民族ですね。それで心をいろんな深さに分けて見る。
「心の層」、これを「識」というのです。これは仏教哲学の言葉。仏教哲学は既にこんな風にして研究し始めてるん。
仏教のよそなんか要りませんが。しかも仏教は「第九識」までしか知らない。
その下に「第八識」がある。第九識に依存してその下にって言うんだから、天井に足を着けて逆様に立ってるようなものですね。
その下に「第七識」がある。
ここまでが本当の「からだ」です、日本民族の。
それから、この上が「こころ」です。
「第十二識」があって、その下に「第十一識」、そのもう一つ下に「第十識」。
娘のさおりは第十一識。
そして識に到達してなくてもわかってないとできないことがある。
すなわち批評は第十一識以上、運命的な恋愛は第十二識以上、星を移るってのは第十三識以上、これがわかってないとできない。
で、日本民族と言うと大我なら、ずうっとこれ皆ですね。
だけど、それを無自覚的・無意識的にで良いが、使ってるかと言うと、そうであることを使ってない。途中までしか使ってない。
普通はどうかって言うと、末那識を自分だと思ってる。
で、普通の人は、西洋人それから明治以後の日本人の大多数、末那識を自分だと思ってる。それからそれだけのことしかしていない。
こういうのを末那識に住むと言う。