漫画家くずれの負け犬のブログ

竹原慎二「最近は試合を早く止めすぎ」

2020/08/07 14:26 投稿

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渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則
Vol.62 【ほろ酔いぶっちゃけトーク②】80年代中量級黄金時代の王者の強さ!
https://www.youtube.com/watch?v=1uw-V1KGvwE

このチャンネルはいつも楽しく見せてもらっているんだけど
竹原のこの発言は一瞬ちょっと「うっ…」となった。

というのも僕はボクシングの試合見てると相当早い段階で
「止めろ止めろ止めろ…」と呟いている事が多いからだ。
そして「俺なら止める」というタイミングより試合が長く続く事が本当に多い。
もちろんテレビで見てるド素人よりも、手塩にかけた選手を見守るセコンドの方が
正しい判断をしているに決まっている、というのを認めるにやぶさかではないが
要は僕は竹原チャンプとまるで逆の事をいつも思っていたのである。

「止めるの遅くない?」と

竹原さんの発言を単なる懐古主義的根性論として片付ける事も出来るが
僕は竹原慎二(ってか亀田以外のボクサー全員)を尊敬しているので
ちょっと色々考えてみようと思った。

一つ思い出すのはヤクザ語録で見つけたあるヤクザの親分の言葉だ
「自分も死ぬつもりで命(たま)取りにきてる奴に狙われたらいくら護衛付けても無理よ」
ゴッドファーザーで「絶対殺せない」と言われた男の暗殺方法も「自分も死ぬ」だった。

これをボクシングに当てはめてみるとこう考える事が出来ると思う
絶対優勢に立ってる側が試合中に「おいこいつ…死んじゃうぞ…?」と
そう思った瞬間に流れってものが変わってくるのだ、と。
そして竹原慎二は少なくとも「死んでも勝つ」と思っていた、という事なのだと思う。

「俺を殺せないならお前を殺してやる」と。

ダークナイトのジョーカーみたいだ。
なんてカッコいい考え方なんだろう。と確かに思う部分はある。これぞ漢だ、と思う。

ただやはり、そこは冷静に考えないといけない部分はある。たかがボクシングだぞ、と。
でも竹原は内心こう思っているのだろう。「ふざけんな!それがボクシングなんだよ!」と。
「そういう奴はサッカーでもやればいい。でもボクシングやる以上は死ぬ気でやる必要があるんだ」と。

そう言われれば確かにちょっと納得してしまう部分がある。
というのも僕がボクシングを見る理由ってのも、ようはその辺にあるからだ。
あれやっちゃ駄目、これやっちゃ駄目、コレも駄目、コレも駄目、駄目駄目駄目、と
あまりに複雑になってしまった世界に比べてボクシングは単純だ

「勝てばいい」「勝てばいいんだ。」

そういう世界を眺めている間だけ少し世俗から開放されるような気になれる。
言葉は間違っているのかもしれないが「神聖な」、少なくとも「純粋な」ものに触れてる気がするのだ。

僕はいつも考えているんだが、生きる価値がある人達ってどういう人達なんだろう?
リベラルはリベラルこそ生き残るべきだと考えているのだろう。
ナショナリストも自分達が生き残るべきだと考えているのだろう。

俺にはどう考えればいいのかまるで分からない。どっちも大差無いと思うからだ。

で、そういう人達に比べて「竹原慎二のような人間はどうだ?」と

「まだ戦えるやろ!」と言って自分の選手が滅多打ちにされているのに試合を止めない竹原慎二に
若干引きつつも

「やっぱそうっすかねぇ…?」

と思う自分もいなくは無い。

リベラルに「あなたは立派なリベラルよ」と言われたいとは思わない。
ナショナリストに「お前は立派な日本人だな」と言われたいとも僕は思わない。
でも竹原慎二に「ようやった。負けたけど、お前は男じゃ。」と言われたら、僕は嬉しいだろう。

結論なんて当然出ないが
ボクシングが体現するような世界が無くなって欲しいとは、僕が思わないのは確かだ。

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