28歳DTニートの日記

集団的自衛権と解釈改憲【その1】

2014/07/17 23:13 投稿

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1.はじめに


最近、集団的自衛権についての議論が巷を騒がせています。
ここまで正面から、憲法問題が世間の注目を集めるなんて、とても久しぶりな気がします。
「解釈改憲」なんて言葉も、今回初めて聞いたという方も多いのではないでしょうか。

しかし、この集団的自衛権に関する議論は、なんだか正しく議論がなされないまま、結局は実益のない議論に終始してしまっているなあ、というのが僕の正直な感想です。
というのも、今回の集団的自衛権に関する議論は、実は三つの全く異なった次元(レベル)での議論に分けることができます。というか、本来は分けて議論しなければなりません。
しかし、意図的なのかそうでないのかは分かりませんが、安倍首相自らが、これら全てを混同して議論しているため、世論もこれに振り回されて混乱しているようです。

そこで、この三つの異なる次元についてアウトラインを示しておこうと思います。
最後まで我慢して読んでいただけたなら、もしかすれば今回の問題について、見晴しがよくなるかもしれません。ならないかもしれません。


色々と書くべきと事は沢山あるのですが、まずは次の章で結論を示しておきましょう。
分かっている方にはすでに当然のことだと思うので、わざわざ僕の駄文を全部読んで無駄な時間を使わせてしまうのは申し訳ないので。
「ああ、そういうことね。分かってるよ。何をいまさらwww」という方は、3章以降は読まなくても大丈夫です。


2.結論

今回の問題は、次の三つの次元に分けて議論しなければならない。


①憲法解釈論としての議論
 →日本国憲法の解釈として、集団的自衛権を認めることは可能なのか

②立憲主義、法治主義の観点からの議論
 →①が可能だとしても、閣議決定(行政権)をもって従来の解釈を突然変え  てしまうことは許されるのか。

③集団的自衛権を認めることの実益
 →②が許されるとしても、集団的自衛権を認めることは、日本の国益にかな  うのか



これらは、①②③の順番に、それぞれ全く別個に検討する必要があります。
なぜなら、仮に集団的自衛権を認めることが国益にかなうとしても(③の次元)、①や②の観点から集団的自衛権を認めることが許されないのであれば、立憲主義国家である日本国においては、絶対にこれを認めてはならないからです。

そのため、「行政権の長である内閣の閣議決定をもって、解釈改憲を行ってしまうことは、立憲主義の観点から問題がある!」という②の立憲主義の観点からの批判に対して、③の観点である「集団的自衛権を認めることが国益にかなうんだ!」という反論は、全く意味をなさないのです。
 しかし、安倍さんはこの意味をなさない反論を繰り返すのみです。ここらへんが、今回の安倍さんのやり方に大変疑問を感じざるを得ない点です。
これを仮に意図的にやっているのなら、安倍さんは、誠実な議論をあえて避けて、国民をけむに巻こうとしているだけということになりますし、一方でもしも意図的でないとしたのなら、議論の次元も正確に把握できない、政治家としての資質を著しく欠く人間だと言わざるを得ません。

では、以下、それぞれの次元について、検討してみましょう。
あくまでも議論の見晴らしをよくするための文章なので、僕自身の意見は極力入れないようにします。


3.憲法解釈論としての議論について
   ~日本国憲法の解釈として、集団的自衛権を認めることは可能なのか~

(1)砂川事件判決の援用について

 当初安倍さんは、「砂川事件判決(※)は、集団的自衛権を認めている」と発言しています。

※砂川事件判決
 1957年、アメリカ軍の基地拡張に反対するデモ隊が、アメリカ軍の基地に立ち入ったとして、刑事起訴された事件。この事件では、アメリカ軍が日本に駐屯していることが、憲法9条に違反するのではないかが争点となり、最高裁まで争われた。


この発言については、少なくとも従来の判例・通説の立場からすれば「トンデモ発言」だということになるでしょう。
砂川事件判決は、『憲法9条は、主権国として持つ固有の自衛権までをも否定したものではない』旨を述べてはいますが、集団的自衛権については判断を下していないというのが、従来の学説の一致した見解でした。
詳しくは分かりませんが、もしかすると安倍さんのブレ―ンは、「固有の自衛権」に集団的自衛権が含まれていると主張するのかもしれませんが、ちょっとさすがに無理がある気がしますね。

個人的には、判決文全体を読めば、砂川事件判決が集団的自衛権を認めたものではないことが明らかだろうと思っているのですが、とりあえずは皆さんも判決文を自分で読んでみて、判断することをお勧めします。


(2)日本国憲法上、集団的自衛権を認める余地はあるのか

 仮に砂川事件判決が集団的自衛権を認めたものではないとしても、集団的自衛権を否定したわけでもありませんので、集団的自衛権の可否についての最高裁の判断はいまだ未知だということになります。

 そこで、憲法9条の上で、集団的自衛権を認めることができるのか、という議論が必要になってきます。
 従来の政府解釈や、学説の大勢は、集団的自衛権は認めることができないとしていたようです。ですが、今回、安倍さんは政府解釈を変更して、集団的自衛権は認められるという解釈を持ち出してきたわけです。
 じゃあ、「実際の所、どうやねん!?認めていいの?ダメなの?」と思われると思いますが、ここらへんは「どっちもありうる」としか言いようがないです。

 憲法解釈って、実はとてもあやふやなものなんですよね。文言が抽象的にすぎるので、文言だけからスパッと綺麗な解釈を導くことはできません。そこで、国際慣習を持ち出したり、歴史的沿革を持ち出したり、あるいは国民の意識の変化を持ち出したりと色々と理屈をこねるんですが、結局は価値判断なんですよね。
 文言に明らかに反する解釈はもちろん許されませんが、どちらとも取れるようなものについては、現実問題としては、国民の意識がそれを許すかどうかというところにかかっているとしか言いようがありません。
(最高裁の判断があるのであれば、最高裁の判断に反する解釈は認められないのですが、今回は最高裁の判断がないので、なんとも言えないわけです)。

 ですので、集団的自衛権についても、これを認めることを国民の大半が意識として許容するのであれば、もうこれは認められる解釈といわざるをえないことになるでしょうね。

 個人的には、まあ、認める余地もあるだろうなと思っています。



4.立憲主義、法治国家の観点からの議論
   ~閣議決定(行政権)をもって従来の解釈を突然変えてしまうことは許されるのか~

ちょっと長くなってしまったので、ここから先は次回に書きます。

この、第4章の、立憲主義、法治主義の観点からの議論は、世間の議論では軽視されがちな部分なのですが、個人的には最も重要な部分だと思っています。

そして、今回の安倍さんのやり方に反対している人うちの少なからずの人たちは、この観点からの批判をしています。
ですが、先に述べたように、安倍さんはこの観点からの批判に対しては正面から答えずに、③の観点の「集団的自衛権を認める必要があるんだ!」という主張を繰り返すのみです。

でも、本当は安倍さんはこの部分についてこそ真摯に答えるべきだと思っています。

まあ、そういうわけで、また次回☆
ここまで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました!

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