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山田玲司のヤングサンデー 第64号 2015/12/21

スターウォーズ最新作でハン・ソロが言った「本年度最高の一言」とは?


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「自分だけは特別」

子供の頃は「自分は特別な存在だ」と、なんとなく思っているものです。
とは言っても、すぐに学校だの何だのの集団生活で「ランキングの日々」が始まるので、自分という存在は社会のどの程度の位置にいるのかを味合わされるわけです。

何人か兄弟でもいれば、早くから「自分の階級」「身分」みたいなものを受け入れさせられるし、学校でそこそこの地位にいても、高校、大学と進むごとに、必ず自分より「すごいヤツ」に出会ってしまうので、自分のランクを受け入れざるを得ません。

そんなこんなで、ほとんどの人が「私なんかたいしたことないです」なんて言い出すけど、心の中ではそうではありません。

本当は私は「特別」と思っている人が大半です。

特にサブカル界隈や、音楽、映画、漫画なんかを愛する人には「そういうタイプ」の人が多い。

なぜかと言えば、そのコンテンツ(映画やら漫画やら)の中で「君は特別なんだ」と言われ続けて来た、というのが大きいんだと思う。

ほとんどのコンテンツで、主人公は初め「どこにでもいる(自分のような)ヤツ」で、それが何かの導きで「本来の選ばれし特別な存在の自分」だと気づいて活躍を始めます。
そして最後は世界を救ったりして、人々はその「特別さを認め、感謝する」という話が鉄板です。
スターウォーズ(EP4)はその典型的な物語でした。
一見どこにでもいる平凡な人間こそ、実は特別な力を持っているのだ、という感覚です。



「パニック」あとの「希望」とは?

放送で言っていたスターウォーズの第1作目(EP4)が公開された、1977年という時代は、冷戦(核の恐怖)とベトナム戦争、平和運動の挫折という時代で、社会が不安に満ちていた時代でした。

当時の映画はそんな気分に満ちていて、「大災害モノ」や「謎の巨大生物に襲われる系」などの「パニック映画」の全盛期でした。
また、現実に耐えかねた多くの人の意識が宇宙や精神世界に向かっていて、その2つの気分をスピルバーグが「ジョーズ」や「未知との遭遇」などの映画にして絶賛されていた時代です。


1977年の「スターウォーズ」はそんな当時の不安な気分を吹き飛ばすように世界に現れました。
監督のルーカスは「社会を変えたかったけど、変えられなかった学生運動の世代」の人です。
当時の欧米の若者は精神世界(スピリチュアル)に希望を抱いていて、それが東洋の「気」つまり「フォース」となるわけです。
ルーカスはそんな「フォース(超能力)を操れる特別な存在」を「ジェダイ」と名づけました。


そして、それを観た世界中の子供が、自分はジェダイ(特別な存在)だと信じたのです。

これぞ、コンテンツの魔法なんですが、この「私は特別」という思いに根拠はありません。

ガンダム(ニュータイプ)などの同期のコンテンツにもその気分は濃厚で、その時代以降、映画や漫画やゲームなどの主人公はみんな「根拠なく特別」になっていったのです。

あえていえば「出生」(血筋)が根拠なので、凡人に「努力の余地」はありません。
物語は初めから「選ばれていない者」を相手にしてはいなくて、宿敵もまた自分と同じ「選ばれし者」でした。

そして、EP6が終わって約31年。

私達は自分が「特別な存在」では無いことに気づいてしまっています。

「選ばれし者たち」のコンテンツのピークは97年の「エヴァ」で、その後は「ハルヒ」のような作品で、その系譜を繋いでいたのだけど、いよいよその「根拠なく選ばれた特別な自分」という物語に入れなくなってきた時代になってきた。

「君は選ばれているんだ」と言われても、信じられない時代が来ているわけです。

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努力の復活

そんな2015年、件のONE先生が「努力をした」というのを根拠にしたヒーロー「ワンパンマン」を生み出し、映画「セッション」でも、不条理な現実を打ち破るために主人公が行うのは「努力のみ」でした。

77年の不安な空気を打ち破ったのが「根拠なき超能力」だったのに対して、現代は「努力」という、かつて「意味が無い」とされたものをが復活してきたのを感じます。

そして、先週の金曜、スターウォーズの新作公開です。
「進撃の巨人」のような「パニックモノ」が賞賛されてきた「不安な時代」に、根拠なき「超能力」は通用するのか?
それとも、新世代の監督は、現代にふさわしい「新たなる希望」を観せてくれるのだろうか?

スターウォーズの新作は、僕にとって「その部分」が1番の関心事でした。



努力は「バカ」のする事?

そもそも、なぜ時代は「努力」をバカにするようになったか?と言えば、学生運動(スポ根的闘争)の失敗もあったのだろうけど、「生まれ」で決まってしまう社会に対する絶望感があったのだと思う。
特に80年代以降は、ただ単に「親が金持ちだったヤツ」や、「帰国子女」や「ルックス」みたいな、本人の努力で手にしたわけではない要素がモノを言い過ぎたからです。

その後はそれを改善するどころか、ますます「格差」は広がり、事態は「全ては家柄と遺伝子で決まる」というどうしようもない状態になってしまいました。
頑張ってもすでに勝負が決まっているなら、努力なんかバカのすることだと言う空気になってきます。

とは言え、奇跡を待っても何も起こらない。やっぱり出来る事は「努力」しかないわけです。

今の時代はまさに「もう努力する以外ない」という時代の境目でしょう。

しかし、そう思って努力しようとしても、どうしても逃げられない問題があります。
それが「才能」の問題です。

「いくら努力しても才能がなければ報われない」「自分にはその才能があるのだろうか?」という不安。
才能は目に見えないだけに、やっかいです。才能がないと言われていたけど、やり続けていたおかげで成功した「やなせたかし先生」みたいな人もいるからやっかいです。(アンパンマンはやなせ先生が60代の時の初ヒット作品)

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ハン・ソロの答

今回の新作スターウォーズEP7で、ハン・ソロやルークは「神話の世界の人たち」とされています。
主人公のレイがソロに「実在しないかと思っていた」みたいな事を言うと、ソロはこう言い返すのです。