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山田玲司のヤングサンデー 第47号 2015/8/24
言葉にできなくても
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これを書いている頃(土曜の夕方)我らがおっくんは例の「長渕剛10万人コンサート」に行ってるもようです。
一晩かけて富士山のふもとを3キロも歩いて、ようやくたどりついた席は「大きな木がステージをすっぽり隠している場所」だったそうで。
現場に行きながらステージが見えないという奇跡的な場所から朝まで観戦だそうです。
「神(長渕)の歌を聴きながら、朝まで1本の木を見る」・・・うーん。宗教的レベルで面白い。
あいかわらず「何かもっている男」ですね。
僕は長渕教ではないんだけど、鹿児島には友人が何人かいて、その人達(薩摩隼人)が持っている何か「高い志」みたいなものが好きです。
そんな彼らが、郷土の誇り「長渕剛」というミュージシャンに、何か音楽以上の「志」を期待してしまうのは、ちょっとわかる。
なので、今回の川内原発の再稼働問題では、長渕氏及びその周囲の人達に「何らかの活躍」を期待していたのもありました。
でも1人のミュージシャンに勝手な期待をかけすぎるのも無理な話で、そのあたり本人も苦悶しているだろうと思っていたりもしていたら、テレビ番組で、安保法案についてかなりはっきりとした意見を言っている長渕氏を見ました。
「平和ボケ」と言う、松本人志に対して、長渕氏は「戦争に行くのは俺達の世代じゃないんだ」「若い人を戦地に行かせないようにするのが自分たちの仕事なんだ」みたいな事を言っているのです。
途中、彼は何度も言葉がフラつきかけるんだけど、その度に「感覚的に言って」と、自分の直感で、これはダメだと思うんだ、と言っていました。
映像をみていると、松本氏は長渕氏の意見を「テレビ的にかわしている」印象でした。
そんな松本氏にも多くの事情があるのでしょうから、これもまた批判する気もないです。
自分が好きで、信じてきたミュージシャンや、芸人などの有名人が、ここ1番のところで、期待はずれに見える事が「仕方ない事」なのは、自分がずっと「漫画家として社会問題を何とかできないか?」と行動してきたからよくわかるのです。
自分の「思い」がいくら強くても、関係各位の意向で「これはちょっと」という「どうにもできない事」が、いくらでも起こるのです。
「正しいこと」を言うと、「何も言わせてもらえなくなる」と言う事が、本当にあるのです。
問題はその時に、自分を支えてくれていた人達を敵にまわして、発言や表現の場を100%失う事を選択するのか?ということです。
長渕氏は松本氏に「俺は歌で戦うよ、あんたはお笑いで戦おう、戦地に若者を送らないようにさ」と言ったのが本当によくわかるのです。
「発言や発表の機会を奪われる」と、本当に伝えたい事も伝えられなくなってしまう。
それでも忌野清志郎さんや、斉藤和義さんみたいに、リスクを承知で戦った人もいます。
瀬戸内寂聴さんや美輪明宏さんや、坂本龍一さんも堂々と「原発と戦争批判」をしています。
僕はこの人達を心から尊敬しているのだけど、「堂々と言えない人のギリギリの行動」にも共感するのです。
世の中には、「自分の思いを言葉にできない人」が沢山います。
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