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山田玲司のヤングサンデー 第20号 2015/2/16
巣を見る女とおっぱいを見る男
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前回は僕の好きな映画の話ばかりしてしまったので、今週は逆におっくんの好きな映画を語ってみようと思って、観てみました。

おっくんのベスト3に入っていた映画なのに観てなかった『レボリューショナリーロード』と『君に読む物語』の2本です。

まあ、僕が無性に映画を漁ろう(主に名画と言われるやつ)とかしてる時はだいたい「ネームから逃げている時」です。

ストーリーの流れは出来てるものの「何か違う気がする」とか「俺はもっと面白いものが描けるはずだ」とか思ってのたうち回っているいる時なのです。


なまじ、キャリアが長くなり、多くのモノを知ってしまうと「これはアレに似ている」とか「これはあの人がやってた」とか思ってしまって、ネームがとにかく進まない。

自分の中の「評論家」を殴って眠らせてしまいたい。

そんな時、映画とかを純粋にお客として楽しむ事ができれば「俺も頑張る」とか「俺ならもっと面白くできた」とか、漫画家の自分が盛り上がるわけです。



さて、あのおっくんが「ここまでするか!?」と、言っていた『レボリューショナリーロード』ですが、確かにかなり辛い映画でした。

あの『タイタニック』で純愛を果たした2人(デカプリオとケイト)がもし生きていて、結婚してたらこんなだぜ、みたいな製作者側の「悪意」が匂う(気がする)映画でした。


恋愛とかが終わって結婚が「暮らし」になると、それまで2人を繋いでいた「夢」みたいなものがどうなるか?みたいな恐ろしいことが主題の映画です。

これは僕みたいな「夢がないと生きていけないタイプの人間」にとってはどうしようもなく「逃れようのない問題」です。


恋という魔法は相手を「特別な存在だと思わせる魔法」をかけてしまうし、「自分の選んだ相手は特別であるはず」と思いたいものです。

ところが2人が結ばれて「恋」が「生活」に埋もれていくと「相手も自分も特別ではないただの凡人」だという現実が露呈してくるという話です。

いやー恐ろしい。


これは『ブルーバレンタイン』でも描かれているテーマで、実にアメリカ文学的な題材だけど、まさに今の日本人が対面している問題でもありますよね。

「私は特別だ」という思いは日本人の誰もが1度は心に抱く思いです。

ドラクエにしろ、ポケモンにしろ、セーラームーンにしろ、主人公は「特別な存在」として選ばれています。


この映画は「自分は特別だ」と思っている2人による平凡との戦い(脱出劇)と、その絶望的な末路が映し出されています。
そこには「完璧な人生」を望んで、それ以外は不幸だと思ってしまう現代人の「底なしの不幸」が描かれています。

と、同時に、「私は平凡で幸せ」と思っている他の人達の現実も残酷に暴いていくのです。

劇中、ある登場人物によって語られる「本当は脱出する勇気がないんだろ?」という恐ろしいセリフ。これは「凡人は凡人であることを本当は望んでいる」という恐ろしい話です。

そしてもう1本『君に読む物語』です。

この映画は恋愛における果てしない理想の結末が描かれています。

「若い僕は君と出会い、死ぬまで愛しあった」という話なので、何かをツッコむのも野暮な映画です。



この2本の映画は、それぞれ恋愛の「過酷な現実面」と「甘い理想」の両面を描いている対極的な物語なのだけど、面白いのはその中にもの凄く「本質的なテーマ」が語られていることです。


それは「巣作り」です。