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山田玲司のヤングサンデー 第18号 2015/2/4
「ガス抜き」は「年上」を使え!
「ガス抜き」は「年上」を使え!
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とはいえ、人は自分の人生を誰かと比べて「マイナス評価」をしてしまう生き物だ。
イライラしている人が学校や会社に入ってくる。その瞬間、他の連中は「関わらないようにしよう」と一斉に心の距離を取る。
そういう年上は「俺もされた」だの「鍛えてやってる」だの、さらにバカなのは「お前のためにもなる」とまで思っている。
どっちにしても人生ってのはご機嫌なことばかりじゃない。
「ご機嫌」でいれば周囲の人間を無闇に不快にさせたりはしないし、笑っていれば「最悪の心理状態」にはならずに済むので、ろくでもない人生もなんとかやり過ごせる。
とはいえ、人は自分の人生を誰かと比べて「マイナス評価」をしてしまう生き物だ。
「相手と比べるなんてバカげてる」とか「比較しない」とか言われても、そんなの簡単にはできない。
「隣の芝生が青く見える」のが人間なのだと思う。
僕も「あいつのほうが売れてる」なんていう下らない思いに未だに苦しむ。
心の底から「比較は意味がない」とか「自分は自分」とか思っているのに、誰かが爆発的に売れていたり、評価されたりすると「自分はこんなにさえないのに」と思ってしまう。
そもそも、あのブッダですら80歳になっても迷っていたというのだから仕方のないことだとは思う。
しかし、問題は、そんな「人生がままならい時」「笑えないくらいストレスがたまっている時」にも人に会わなければならない時があるということだ。
【自分を不幸にするガス抜き法】
イライラしている人が学校や会社に入ってくる。その瞬間、他の連中は「関わらないようにしよう」と一斉に心の距離を取る。
「イライラ」をぶつけられるからだ。
イライラしている人間が年上だったら最悪だ。
自分は悪くないのに、年下は何かと「サンドバック」にされる。理不尽極まりないが、これが儒教(年上は絶対主義)で作られた日本人社会だから逃げようがない。
自分は悪くないのに、年下は何かと「サンドバック」にされる。理不尽極まりないが、これが儒教(年上は絶対主義)で作られた日本人社会だから逃げようがない。
この国では「イライラしている年上」に年下は「ガス抜きの相手」にされる。
そういう年上は「俺もされた」だの「鍛えてやってる」だの、さらにバカなのは「お前のためにもなる」とまで思っている。
そして、そんな彼らは例外なく年下から「バカなやつ」と思われている。
逆らえない立場の人間を「ガス抜き」の相手するのは最悪の選択だ。
イライラの解消に使われた相手は、その先「心」を開かない。場合によっては「敵」として成長していくだろう。
「全然気にしてませんよ」と言っていたとしても、それを言わされるパワーバランスの中であれば問題回避のための演技かもしれない。
自分も年上相手にそれをしているのに、年下に同じことをさせてしまうのは愚かな話だ。
【聞いて欲しい年上】
では、「イライラ」はどう解消すればいいのか?
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