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山田玲司のヤングサンデー 第432号 2023/7/10

夕方のガンダム

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お元気ですか? 山田玲司です。


今週のガンダム「水星の魔女 総括回」ではサプライズゲストもあってとにかく楽しかったです。


ヤンサンでは当初から「もうガンダムはいい」とか「思い出おじさんにはなりたくない」とか言っていながら見事なまでに「思い出とガンダム」に踊っている俺たち。

まあこういうのもいいよね。



【最初に見たガンダム】


「思い出ついで」に書いてしまうと、僕の正確な「ガンダム初体験」は高校2年の時だったと思う。


1982年。おっくん達が生まれた頃だ。

時代的には「宇宙戦艦ヤマト」の大ブームが一段落した後。

大全盛期を迎えていた「ヤンキーカルチャー」の恐竜達が我が物顔で学校や近隣区域を支配する「北斗の拳」みたいな空気の中、オタク達はさながら「子ネズミのような哺乳類」みたいに恐竜のいない穴蔵で「アニメ」を語っていた。(ディスカバリーレイジチャンネルでよく話してるやつですね)


僕のいた底辺高校の「創作研究同好会」はまさにそんな「穴蔵」だった。


教室でのさばる「恐竜ヤンキーと猛獣ギャル軍団」の前では死んだみたいに存在を消してる連中が、放課後に部室に集まって「アニメージュ」やら「OUT」やら「ぱふ」なんかを開いて「ぐふぐふ」言っていた。


実はこの時期に「カリオストロ」や「ナウシカ」が公開されコミケが盛り上がり始める。ジャンプの黄金期もこの頃に始まる。

同時に「JUNE」などの耽美系BL雑誌も伸びてきて、いわゆる腐女子カルチャーもメジャー化してくる。


僕が中高生だった70年代後半から80年代前半はまさに「オタクのビッグバン」「サブカルのカンブリア大爆発」の時期だったわけだ。


そして例のごとく「まっとうな大人」と言われる人達はそんな若者達を「いつまでも子供番組を卒業できないダメ人間」と言って頭ごなしに否定していた。(このあたりの問題が後々まで続いていく)


そんな時期に当時大学生だった「オタク第1世代」は生まれ(岡田斗司夫さん達の世代)僕はその直後の「第2世代」になる。


当時の僕は小学生の時にくらった「漫画の楽しさ」にやられて、手塚治虫の聖典「まんがのマンガの描き方」を抱えて猛然と「俺のまんが道」を進んでいた。


なので部室でアニメ雑誌に夢中だった彼らとはちょっと違っていた。


「ただの漫画ファン」でいるのは嫌だったのだ。

一刻も早く「プロの漫画家」になりたかった。(この頃きたがわ翔は本当にプロになっている)


そんな人間は僕しかいなかったので、僕は「アニメ雑誌読んでる組」の連中とは「心の距離」を感じていた。



【ガンダム見ようよ】


そんなある日の放課後。

創作研究同好会のアニメオタクの男子(同級生)が「今日うち来ない?」と誘ってきた。


彼は同好会の中でも影の薄い男だった。

どんな話をしたかも覚えていない。

同好会の中には高橋幸宏を追いかけるような「イケてる趣味」のヤツもいたのだけど、彼は「ミンキーモモ」の切り抜きを下敷きに入れているようなタイプで女の子にも相手にされてない人だった。


そんな彼の誘いに乗る事にして、僕は同好会のメンバー数人と共に彼の家に行った。