『ゆらめきのパサージュ』(前編)
※今回のメルマガはおよそメルマガとは呼べないほどの長編につき、前後編に分けました。
あるドイツの哲学者の思索を引用してるので、少々、いやかなり難解かもしれません。
この揺らめきまくりの文章は、たぶん清ちゃんには読めないでしょう(笑)
でも、なんとなくわかってくれるだけで大丈夫。
というか、あまり真剣に読まないでください。
肩の力を抜いて、珈琲やドーナツなどを用意して、まるで七曲市場のような俺のややこい文体と共に、揺れながらお楽しみください。
【ギャラリーにて】
先日、山田玲司の個展「宗教改革」が盛況のうちに幕を閉じた。
渋谷と原宿の境界あたりにある神南のギャラリーに集う人は、ほぼ基本的に「山田玲司のヤングサンデー」という番組の視聴者、この7年半親しみを込めて呼んできた“ヤンサンファミリー”というトライブ(部族)で、初期メンから1週間前から見始めた人、途中でやめてまた再開した人やYouTubeの無料部分しか見てない人など、キャリアはバラバラだがそれでも足を運んでくれたのは、ただうちの番組を見て山田玲司とその愉快な仲間たち(笑)の、何かしらに共鳴してくれたからだと思う。
この個展は漫画家・山田玲司が33年ぶりに“画家”として本格的に始動する第一歩であったと同時に、ヤンサンとしてもコロナ禍でイベントやオフ会などができなくなってから2年半ぶりの、フェイストゥフェイスの催し物になった。
俺は仕込みと初日、あとは会期の半分くらいは足を運んだと思う。
会期中は本当に本当にたくさんの人が来てくれて、いろんな人が話しかけてくれた。
老若男女、おかしなことにみんな何かに揺れていて、頼りなくて、逞しかった。
着地がどうのこうのと散々言っておきながら、みんなフワフワしていた。
地に足をつけたまま揺れていた。
それもそのはずだ。
個展に来てくれた人はわかると思うが、玲司さんの画にはちゃんとしたまっすぐな線などひとつもないのだから!
とはいえ正直、この2年で知らない人と話す筋肉が落ちすぎていたせいか、お陰様でクタクタになったものの、そういう揺れてる人達と話し込むことでしか得られない新たな気付きや、逆にぜんぜん伝わらない言葉にヤキモキしたりの、あの懐かしい人疲れが心地よかった。
タイトルの「宗教改革」とは字面よりもっとやわらかいもので、このコロナ禍で見えなくなった大切なものを見つめ直すきっかけのような、ちょうどコロナ禍も日常に融解してぬるりとリスタートをするきっかけにもなるような、心の洗濯のような、そういう展示会だった。
春も真っ盛りだったしね。
近代以降、宗教に変わり芸術が心の問題を扱う最前線のマテリアルフィールドになり、さまざまな作品が時代の精神や思想やフェチズムを展示してきた。
そういう意味で美術館は近代以降の心の教会で、もちろん劇場や映画館も含めて、美術展や芝居や映画に足を運んで心の洗濯をしたような経験は誰しもがあると思う。
玲司さんは「ギャラリーはライヴハウスだ」と言っていたが、ライヴハウスもまた我々の心の“アジール”(聖域)であったのだから、ギャラリーも同じだろう。
要は何かしらの侵されたくない特別な聖域性をまとう場所“アジール”を、神にまつわる場ではなく、文化にまつわる場に宛て直したのが近代以降の文化施設で、それは今もなお続いている。
そういう“アジール”に足を運んでくれた人々を見ていると、大きくふたつのタイプがあることに気づいた。
ひとつは、何も言わず誰とも語らず画と真剣に向き合い、併設のカフェでお茶などを飲み、少し時間を空けてまたギャラリーに向かい、じっと画と対話していつの間にかいなくなる人。
もうひとつは、画をざっと見たあと、玲司さんや俺も含めたそこにいる人たちと話して、お茶して、また誰かと話して、お茶して、また話して…と、よくよく見てると目的の画を見る時間よりはるかに長い間そこにいる“誰か”と話をして、そして帰る時も挨拶してから去る人だ。
行動が真逆のふたつのタイプだが、どちらが良い、偉いとか言いたいんじゃない。
どちらともが本質的なものとの対峙や対話で、心の揺れを鎮めようとしてるんだろうなぁと感じたのだ。
喫煙所でタバコ片手に誰かと話していると、入れ替わり立ち替わり色んな人が来て、気づいたら1時間なんてのがざらにあって、何話したかも覚えてないけどみんな笑ってたな。
揺れはおさまったかな。
おさまってるといいな。
もっとひどくなってたら、それはそれでおもしろいか。
そんな、久しぶりのヤンサンの、この感じ。
改めて体感するとなんだかとても、尊く感じたものです。
コロナ禍はそういう機会や場を奪ってしまって、特にヤンサンファミリーのような大胆かつ繊細な、健康的に病んでるような、この世とあの世の狭間の荒野でトマト作ってそうな、三途の川に釣り船出して大漁だって旗振って笑ってるような、そんなメンドクセェ奴らにはとても辛抱を強いる2年半だったろうと思う。
俺も、そうだったよ。
そんなこんなで最終日、ギャラリーを閉めたあと、おしまちゃん(島耕作じゃなくてドレスコーズの方ね)がやって来て、片付けながらゆっくり見てもらってそのまま打ち上げして、久しぶりに色んなこと話した。
それがトリガーになったのかわかんないけど、その帰り道、俺はベンヤミンの「パサージュ論」を想い返していた。
コメント
コメントを書く