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山田玲司のヤングサンデー 第302号 2020/8/10

風をあつめて

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その日は「しみちゃん」の仕事が終わるのを待っていた。


片付けやら何やらが終わって美容院から戻ってくるのが22時。

僕と久世とおっくんは準備完了だ。


何をするかと言えば「どうぶつの森」というゲームをみんなでやるのだ。


無人島に住み着いて、自分の家や島全体のデザインを作っていくゲームなので、いつもは1人でやるゲームなのだけど、この日はネット上で集まって「それぞれの島」に集まる、という夜だった。


友人の中にはネット対戦が好きな人達もいるので、ネットゲームの面白さはなんとなく伝わっているのだけど、自分でやるのは今回が初めてだ。


ネット通話で全員が会話できるようにしながら島巡りを始めた。



【お前ん家行ってみようぜ】


僕らヤンサンレギュラー4人はこの日に合わせて「みんなを招待する準備」をしていた。


果物を売ったり魚を釣ったりしてお金を稼いで「部屋」を増やしたり、面白い「仕掛け」なんかを作って待っていたのだ。


その島に「その人の心の中」が現れているのが1番面白いのだけど、何も申し合わせていないのにそれぞれが客人のための「お土産」を用意していたのも面白かった。


このゲームには自分の島に生えている果物しか最初は手に入らないので、誰かの島にある果物が珍しいし、その果物でしか作れないグッズもあるので、ありがたい。


島に着くと、メンバー(特におっくん)がすぐにいなくなる。

勝手に島の探索を始めて走り回っているのだ。

普段は行儀よく暮らしている「しみちゃん」も走り出す。


そこにある見たことのないものを見つけては大騒ぎしている。



一通り走り回ったら、その島の主の家にみんなで行く。


小学生の頃に「お前ん家行こうぜ」と言って、友達の家に遊びに行ってた「あの感じ」だ。

色々な家があって、壁も床も家電も違うのが面白い。


そうかと思えば、自分の持っているものと「同じもの」がある事もあって、そういうのも面白い。



放送で話したけど「どうぶつの森」のシリーズはゲームの容量都合で「冒険」ができなくなった事から現在の形になったわけだけど、友達の家に遊びに行く事も大きな「冒険」だった事を思い出させてくれた。



【もう行っちゃうの?】


一通り島の見学が終わったので次の島に行く。


おっくんの島を出る時、おっくんは「もうみんな行っちゃうの?」と言っていた。

現実世界でも彼は同じだ。おっくんは旅の最中に「旅が終わること」を悲しんでいる。

もっと遊んでいたいが、何しろ全員の島を巡らなければならない。


普段あまり自分の年齢の話はしないけど、気がつけばもう50代の半ばだ。

そんな僕が40代に入ろうとしている連中とゲームの中の島で遊んでいる。

漫画家という「遊び」みたいな仕事をしてきたとは言え、我ながら「自分の現在地」が面白くてたまらない。


確かに友達の家でただただ意味なく「遊ぶ」時代があった。


小学生の頃。


遊びの中に発見も学びもあるけど「強要」や「義務」も「評価」もない時代。


いや「多少の評価」はあるけど、せいぜい「どちらのクワガタが大きいか」程度の事で、「年収」やら「ステイタス」やら「知名度」やら「仕事の現場で即戦力になるか」だの「使える人脈があるか」だの、そんなものは一切ない時代。


このゲームはそんな時代を思い出させてくれる。


そんな世界で気の合う友達と遊んでいたら、名残惜しくて「もう行っちゃうの」とか言いたくなるのもわかる。

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【がんばっても思い通りにはいかない】


僕らはずっと「頑張れば思い通りになる」と聞かされてきた。

殆どのことは努力すればなんとかなるし、上手く行かない人は「努力が足りないから」と言われてきた。