嫉妬は幸運の兆し
【愛とは何か?】
いよいよ「ディスカバリーレイジチャンネル」の本格配信が始まりました。
プレ配信で「太陽の塔の仕掛けたもの」をやって、その後「内容紹介」の動画を配信して、いよいよ「本格的な講義」の動画を撮っていました。
さて、何を最初にやろうか・・と考えて、僕は「愛とは何か?」というテーマで講義の動画を作ったわけです。
「愛とは何か?」
もうこの問題だけでいくらでも思索ができるし、どんな人にも関係するテーマだ。
【けものみち】
その中で「愛は執着を含むので危険である」という話をしていて、おなじみ「愛染明王」の話になった。
愛染明王は「愛が生む我執」を消すという「愛の守り神」みたいな存在だ。
昔観た松本清張のドラマ「けものみち」で裏社会の帝王の寝室に愛染明王が置いてあったのが、とにかく印象的だった。(なのでこの話は何度かヤンサンで話している)
愛染明王の存在は「愛には気をつけなさいよ」という仏教の教えの証拠だと思う。
そんな動画を作っていたら、ふと「けものみち」が観たくなった。
0年代に放送された「米倉涼子主演」のやつが僕は好きでよく観ていたのだ。
(エンディングの曲が中島みゆきなのがまたいい)
日本を支配した「闇の帝王」鬼頭という老人は病の床で、美しい女達を「おもちゃ」にして生きている。
夫を殺してしまって逃げ場のなくなった主人公「民子」(米倉涼子)は、鬼頭のおもちゃになる事で生き延びようとする。
このドラマ。
「愛」に依存する(執着)する危険性を知っている「闇の帝王鬼頭」が、情愛を切り捨てながら世の中を上り詰め、最終的に「絶望的な孤独」を抱えている、というのが面白い。
しかし、見直してみると、このドラマの最大の魅力は「女と女の闘い」だった。
長年鬼頭に愛されてきた「女中頭」の「米子」と「新しいおもちゃ」として帝王の寵愛を受ける「民子」との闘いが、このドラマの最大の見せ場なのだ。
この2人以外にも、このドラマでは様々な人達が対立し、裏切り、消えていく。
そんな多くの悲劇が「嫉妬」から生まれている。
「愛」に「嫉妬」は付き物だし、「自分は自分しか愛さない」という人でも、誰かに嫉妬する気持ちからは逃げられない。
【海獣の子供】
今回の放送で「海獣の子供」の解説をしていて、その中で僕が作者の五十嵐大介氏に嫉妬していた事を話した。
カッコつけようにも、漫画家が皆「自分の好きなもの」を描かせてもらえるわけではないのだ。
描きたいことを描けない状況にあった僕にとって、僕が描きたい題材で五十嵐氏が評価されているのは「目を背けたくなる事」だったのだ。
【嫉妬の利用法】
幸いにして僕は「嫉妬」の扱い方をずっと学んできた。
1つは「今度は俺の番だ」と切り替え、嫉妬をエネルギーに変えて進む、という基本的やり方だ。
そうは言っても嫉妬を「健全な方向」に切り替えるのは難しい。
なので「成功している人も実は自分と同じ苦しみを抱えてきた」という事実を知る事が重要なのだ。
当時「絶望に効くクスリ」に描いていたのはまさにこの事だった。
取材で見えてくるのは、どんな成功者も必ず(何度も)地獄を見ている事だった。
そんな漫画を何年も描いていた僕は、五十嵐氏もまた「大変な苦労」や「眠れない夜」があった事が容易に想像できる。
これが想像できると、嫉妬はある程度抑制できる。
そして「そんな人でも成功した」という事実が、自分にとっての「希望」に変わるのだ。
【冷笑という悪手】
この「相手を知る」「相手の苦しみを想像する」という事をしないまま「嫉妬」を抱えていると、事態は悪い方へ流れていく。
その中でも最悪なのが「冷笑」という態度だ。
年長者に多い気がするけど、まあ全世代にいるし、ネットでは特によく目にする。
黎明期のネット掲示板に溢れた「乙」「草」「w」の一撃で相手を斜めから嘲笑する態度はまさにそれだ。
相手の思いや、具体的な根拠の検証もないまま(笑)で突き放して上に立つ(気分になる)。
「陰謀論w」とか「意識高いw」みたいなのも同じ「冷笑」だ。
なぜこういう態度に出るのか?
当然それは「自己防御」のためだ。
コメント
コメントを書く