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山田玲司のヤングサンデー 第204号 2018/9/17

「嘘」の使い方で決まるものとは?

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〈嘘なしで生きられるか?〉


「大人になるのはいつだろうか?」という問題がある。


人は何度も境界線を超えて大人になるのだけれど、答えの1つは「仮面」を使う時だと思う。


そもそも学校の先生に「おはようございます」なんて言ってるのも、100%本心ではない。

それは先輩に言う「お疲れ様です」も「勉強になりました」なんかも同じ。


小学校に入ってすぐに「嘘」を演じる羽目になるわけで、こんな境界線は何度もやってくる。




この国のコンテンツで、最強の武器と言えば「無垢」だ。


「少年の心」と「汚れなき少女」が最強という世界なので、それがデフォルトの世代には「本心じゃない態度」で生きるのは「嘘」を抱えるみたいで抵抗があるだろう。


「ああ・・大人になってしまった・・」

みたいな軽い喪失感を感じながら「勉強になります!」なんて言い始めるわけだ。



「大人に媚びない」とか「男に媚びない」なんていう生き方もあるけど、この設定はさらに大変だ。


「嘘はつかない」というのは、純度最高のスローガンだけど、これはもう最高レベルに難儀だ。



「愛想笑いもしない」というルールを背負って「真実」だけを口にするなんて、むき出しの真剣を振り回して生きる様なものですからね。



そんなわけで「素」で生きるのは不可能に近い。


「これはないよな」と思っても「ありがとうございます」なんて言わないと、自分だけでなく他の誰かも怪我をするような事だって多いのだ。



そんなわけで、大人ってのは「仮面」の下で泣いている生き物だ。


社会に命じられたストーリーの役を演じながら「違うと思うけど子供たちのためにやるしかないんだ」なんて泣いてるのだ。



今回の放送でレイモンさんがプレゼンしてくれた「美しい嘘」というのはまさにこれにあたる。



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〈隠したり晒したり〉


僕が描いた漫画「ゼブラーマン」はまさに「そういう物語」だ。

この漫画ではゼブラーマンという「仮面」をかぶっている時だけ「本当の自分」になっていて、普段は「素顔のまま」仮面をかぶって「嘘の自分」を演じている男が主人公になっている。


映画「アメリカンビューティー」の主人公は、ゼブラーマンになれないで死にかけていた男の話だった。


プロレスラーやミュージシャンはどうなのだろう?

ステージの上が本当の自分なのか?普段の自分が「仮面」なのか?


おそらくそのどちらも「本当の自分」であり「嘘の自分」だと思う。

そうやって「隠したり晒したり」しながら、現実と戦っているのだ。


僕もそうだし、ほとんどの人がそうだと思う。



〈嫌な嘘〉


とは言え「嘘」には「嫌な嘘」も多い。

自分を大きく見せるための嘘や、気を引くための嘘なんかもある。

これが許されるのは10代までだろう。


嘘について重要なのは「質」だと思う。