━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
山田玲司のヤングサンデー 第202号 2018/9/3

不登校の「最大の効能」とは何か?

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

僕が学校を大嫌いになったのは、中学の時の「ある体育教師」のせいだった。


体育大を出たばかりのマッチョなその男性教師は、授業中「王様」の様に振る舞い「できるやつ」を贔屓して、「できないやつ」をみんなの前で笑い者にしていた。


少し太めの男子生徒に「何食ったらそんな体になれんだ?」とか平気で言うのだ。


彼を嫌いになった決定的出来事は、多くの人の心に「生涯消えない傷」を追わせる「あれ」をやっていたことだ。


「あれ」とは、言わずと知れた「できるやつ」が自分のチームに欲しい人を1人づつ選ぶ、という恐ろしい「あれ」の事だ。


数名の「できるやつ」が「お前はいらねえ」「お前は来い」とかやるやつだ。


そして最後には半泣きの「いらないやつ」数人が残る。

「できるやつ」は「お前の方がましかもな」と選別し、最後はクラスで1番「いらないやつ」が決まる。


今の僕がこの現場にいたら、真っ先に「それ」をやらせている教師に「いらないのはお前だ」と言うだろう。


この残酷な現場をニヤニヤと見ていた「あの時の体育教師の顔」は忘れない。



僕はその教師と何かと言えば対立し、卒業式ではずっとそのデリカシーのない顔を睨んでいた。



高校へ行くと学校のすべての質が下がっていた。

「荒れるバカ高校」だったので、注意すると「即切れ」するシンナージャンキーの生徒がフラフラしている様な学校で、教師達はその状況をコントロールできなかった。


「おいおい」「だめだぞ」とか言って、おしまいなのだ。


学校行事について「これは何でやるんですか?」と聞いてもまともに答えられない。



30026bd188fe18a9d68c3e8544a4931cb5f7ee71

すっかりバカらしくなって僕は一切の行事に参加するのをやめた。

授業も聞かず、制服も止めて私服で登校した。

自作漫画と自主アニメの発表のために文化祭だけは出た。


すると今度は「体育祭に出ない玲司はずるい」と言ってくるやつが現れる。

出たくなかったら自分も出なければいいのに、その勇気がない、というクズ野郎だ。



そんなわけで、僕は「不登校の人」を「勇気ある人」だと思っている。



しかし、この話には大きな問題がある。


それは、世の中には「学校が楽しかった」という大人が沢山いる、という事だ。

その中には「素晴らしい先生に出会い、多くを学んで大人になりました」という人もいる。


学校で私は「かけがえのない友人」と出会い、最高の思い出と、今に至る絆が生まれたのです。


なんて人もいる。


学校がまともに機能していた地域と時代に「その環境に合った自分」でいられた幸運な人達だ。


今でも一部の人達は、部活に燃えてたりして、それなりに学校で成長したりもしていると思う。


僕はその人達に関しては全く否定しない。



問題は学校の多くが「かつてのもの」ではない、という現実だ。