〜弱すぎる男の心問題〜
攻殻機動隊で印象に残っているのは、敵のマシンの頑丈な装甲を強引にぶち壊す、というシーンだった。
悲しい中年オヤジのバトーは馬鹿でかいバズーカ抱みたいなのを持ってきて、闇雲に装甲を破ろうとするのに対して、孤高の機械刑事、草薙素子は筋肉をみなぎらせて力で装甲を剥がしにかかる。
この作品は「固い殻」に守られた「ゴースト」についての物語に見えた。
ゴーストは「魂」だの「意識」だのの事だろうけど、言い換えれば「心」の事だと思う。
攻殻機動隊(特にイノセンス)はもったいぶって語られる分、大層なことを語っているかに見えるけど、大昔から言われてきた「私」はどこから来たのか?「私」は何者なのか?というテーマの深層に切り込んでいるようには見えない。
どうしてもこれは「頑丈な甲羅に守られた弱い心にまつわる寓話」(イメージ映像)に見えてしまう。
「弱い心」とは「孤独な男の心」だ。出てくる女(素子)の心は、とても弱くは見えない。
だからこそ、弱い男は彼女に憧れ、彼女を追いかけたくなるし、彼女を失うと寂しくて「生きることに飽きてしまう」のだ。
僕ら男達は、見かけよりはるかに心が弱い。
傷つきたくないくせに、プライドが高く、常に褒めてもらいたいと思っている。
否定されるのが嫌なので、先手を打ってわざと「自分はモテなくていい」とか思ってもない事を言ったりする。
昨今の「彼女なんか必要ないと思う」なんて言っている男のほとんどが、「欲しい」と言ってしまうと「彼女が欲しいくせに女に拒まれてる情けないヤツ」と思われるので、「必要ない」とか言ってるだけだったりして泣けてくる。
そんな「彼女なんかいりません発言」は、自分の心を守る大切な「甲殻」だ。
僕らはそんな「甲殻」を何種類も抱えて生きている。膨大な知識も、理論武装の為の大事な材料だ。渋いバイクとか車、センスのいい服、なんかも「怯えがちな自意識」を守ってくれる。
住んでいるイケてる土地や建物、付き合っている連中や、所属している団体、行きつけの店、なんかも「弱い自分」を守ってくれる武装アイテムだ。
村上春樹の初期作品に出てくる大量の「気取った情報」もまさに、甲殻だ。
そしてイノセンスやエヴァンゲリオンに出てくる大量の「もったいぶった小難しい情報」もまた、たいしてモノを知らない男達をなんかいい感じに「武装」させてくれる。(気分になる)
何も怒るような話ではなく、それらのコンテンツは「そういう商品」だったのだ。
そういう「甲殻」が必要になるほど、男たちにとって「現実の女の子」の視線は厳しく、彼女たちは魅力的な容姿(擬態)をしながら、容赦なく「キモいんだけど」と、男の繊細な心をぶった切ってくる。
とはいえ、実は女の子の側の人生でも同じ様な事が起きていて、綺麗な女に怯える若い男や、愛される事を諦めかけた痛々しいおじさんたちのデリカシーのない視線や言葉に傷つけられている。
「太った?」とか「うっせーよ、ブス」みたいな愚かな発言を平気で言う哀れな男達も存在するからだ。
かくして、双方が「甲殻機動隊」になって互いの「ゴースト」は孤独に震える、と言うわけだ。
そう考えると、男はそんな自分の固い甲殻を、女の子に力任せにこじ開けて欲しいのかもしれないし、
女の子もまた自信満々な男に「壁ドーン」と、自分の固い甲殻を破って欲しい、って話だろうね。
〜バトー問題〜
映画攻殻機動隊のラストでは、ネットで生まれたハイスペックな「生命体?」の人形遣いに、ヒロインの素子は結婚(みたいなもの)を迫られ、2人はネット上で融合することでそのステージを上げて消えていく。
これは男女が共に人生を生きる覚悟を決める、というメタファーだろう。
かくして孤独な中年バトーは1人残され、観ている男性の多くが、彼の悲しみに感情移入してしまうだろう。
でも、そもそもバトーは素子に「融合したい(結婚したい)」とは言っていないし、残念ながらその立場にない。
立場を越える勇気も出せないまま、彼女の後を追っていただけだ。これでは全てを捧げた「人形遣い」に勝てない。
彼は素子の全てを受け入れ、素子もまた「自分が消えるリスク」を知りながら、彼を受け入れるのだ。
ここで語られているのは、勇気ある完全な献身をする覚悟のあるものが、次のステージに行けるということだ。
遠くからバズーカを打つだけみたいな行動では、彼女の心の甲殻は開けられないって話で、行き着く所、好きな女を失いたくなかったら、つまんねえ自意識なんか捨てる覚悟を決めるんだな、って話なんだよね。
〜最強の軟体動物〜
ところで、番組の中でマクガイヤーさんと「生き物の話」になって、嬉しかったんだけど、この時に話した「ウミウシの話」は実にこの件を象徴する生き物だ。
ウミウシの仲間はかつては貝の仲間で、進化の過程でその殻(シェル)を捨ててしまった恐ろしい種族だ。
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