踏み付けられた小天使

"読書は何の役にも立たない"

2015/07/24 15:37 投稿

コメント:2

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 僕は中学生ぐらいの頃から、かっこつけて難しい本を読む(ふりをする)癖みたいなものがあった。その「癖」は年々加速して、おかげで、生きていくにはおそらく必要ないであろう知識体系を脳に詰め込んで生きるはめになっている。

 今から振り返れば、中学、高校と、僕は「本好きの変わった奴」という見方をクラスメイトにされていたと思う。しかし、何故、僕がそんな風に本の世界に逃げ込まざるを得ないのか。それについて僕にその答えを教えてくれる人は誰もいなかった。僕自身もその答えが未だによくわからないままである。

 たまに、インターネットなどで「世界のエリートはこれだけ読書している」みたいな記事を見かける。また、年収が高いとか、社会的地位があるという事と、読書を結びつける記事なんかもたまに見かける。僕はそういう記事を見かけるといつも、そういう事を書く人は本を読んだ事が全然ないのだろうと思う。本を読むという事は一種の悪徳である。しかし、それが真にその人の役に立つのは、それが悪徳である事を知っている場合に限る。

 本を読む事によって何かに役立てよう、就活に役立てよう、もてるようになろう、年収をあげよう、と「頑張っている」人達には、僕というボロ切れのような人間を見せてやりたい気持ちになる。僕は、僕自身を指さしてこう言うだろう。「こいつは他の人より、沢山難しい本を読んだ人間だ。しかし、それによってこいつは、こんなどうしようもない人間になってしまった」 実際、今の僕の境遇を羨む人間がこの人間世界に一人もいないという事は断言できる。では、読書というのは何の役に立つのだろうか。

 …無論、何の役にも立たない。しかし、ただ一つその効用を上げれば、それは世の人間が、「読書を何かの役に立たせよう」とする時の、「役に立つ」という概念自体が大した事ではないと知る事ができるという事だ。読書は読書自身にとって役に立つ。それは己にとって役に立つ、というより、むしろ、己自身の一部となっていくのである。これは、無償であるという事でもないし、自分の為、という事でもない。しかし、世間的にはこの二つの成因でしか理解できないだろう。だが、僕はその二つの理由を拒否する。本を読む事によって、僕という存在は次第に膨らんでいく。しかし、その事が僕の年収を増すわけでもなければ、僕の寿命が伸びるわけでもない。どちらでもない。しかし、僕はいい加減、この形骸化した市民社会の、勝手な測量棒にうんざりしている。全ての事を数字に置き換えたからと言って、全てが数字の結果として存在するのではない。誰がどう言おうと、世界はそのままにあるのだ。

 本を読む事によって、人は書物の世界にのめりこむかもしれない。しかし、それによって彼は人間でなくなるかもしれない。彼の内面は、彼の周囲の人物よりも豊富なものになるかもしれない。しかし、世界にはその内面の豊富さを理解できる人はごく少ない。だから、書物は(ほとんど)役に立たない。そういうわけで、書物はまた書物の世界に帰っていく。しかし、本当は、そうした個人の内面を誰かが読まなければならないのだ。僕はそう思う。誰かが、この一冊の書物を読まなければならないのだ。

 
 しかし、この世界はそれとは違う方向に走って行くであろう。この世界において役に立つとか役に立たないとかは、わかりやすい場所にあるわかりやすいものであり続けるだろう。だから、僕はやはり、次のように極言する。「読書は何の役にも立たない」 そしてこの言葉の先には余人に見えないように、密かにこう書かれている事だろう。(しかし、それは役に立つという事が役に立たない事を教える。そして、世間が役に立たないと判断した領域において、それはあまりに役に立つ) しかし、それは見えない言葉で書かれているので、誰にも読む事はできないだろう。

 …と、いうわけで、読書は何の役にも立たない。それが読書に毒された人間の答えだ。



コメント

品陀リウキ
No.1 (2015/07/25 20:47)
されど無用の用も用なり。
・・・てとこでしょうかね。

 人の社会が言葉で成り立っている以上、文学のセンスも法学とかの実学
に応用させてさせられないこともないとは思います。まあ、自分にもそんな
気は皆目ないですが。

 読書に関しては自分はもっと重症ですね。
 幼稚園・託児所の絵本を卒園前に読み尽くして「本好きの変わった奴」は
小学校低学年からやってましたからw

 中高の時に少しラノベとかファンタジア文庫とかにちょっとはまったこと
もありますけど、結局いろいろ物足りなくなり、文学書にもなにか満たされ
ず、現況はもう面白いと思える本が哲学書か古典しかない、という末期症状
だったりします。
ヤマダヒフミ (著者)
No.2 (2015/07/27 15:01)
>>1
そうですね。僕も大体同じです。受験に必要とされない知識は無意味になってしまっていますが、知識の世界は受験レベルを越えて、体制の思惑を越えて広がっていると思います。無意味な所に自由もある気がしますね。
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