踏み付けられた小天使

学歴について

2014/10/26 14:42 投稿

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 ドラッカーが「断絶の時代」で壮烈な学歴批判をしており、学歴大嫌いな僕も思わず引いてしまうくらい攻撃していた。

 学歴に関して言うならーーーというか、社会全般に対して言うなら、今は色々な事が形骸化しているように思う。仕事の上で前提とされている知識と、実際に仕事に必要な知識が全く合致していない。僕の仕事先に新入社員の女の子がいるのだが、話していると、「何時に誰が何の目的で来るのか」みたいな基本的な事がわかりずらいと感じる。彼女は優秀な人なのかもしれない。勉強ができたかもしれないしできなかったのかもしれない。(僕よりはできただろうが) しかし、実際、社会に出て必要なスキルというのはそういう地味なものだったりする。確認を怠ってミスが出る。部下の誰々のある種の感情に気づいて、先回りしてケアしてやる。そういう事ができればいい上司なのだろう。しかしそれは学校では教えてくれない。

 先日、ギャルが勉強して慶応に入ったみたいな本が書店に置いてあり、こういう本が未だに売れている事に不思議に思った。(表紙の女の子だけは眼力があっていいと思うが) 世間の人間は未だこういうわかりやすい物語を欲しているのだなと思う。わかりやすい物語と言えば、「永遠の0」とかもそうかもしれない。この社会現実というのは、僕の語彙で言うなら、物語なき社会である。過程がなく、ただ結論だけがある。誰でもどんな情報も得られる。苦労して何かを得る、というより、すでにある知識を何かに適用するという行為のみが存在する。人は社会思想に合致した行為であれば、犯罪行為ですら認可するだろう。だが、人は社会思想に合致しない独自性だけは、絶対に許しはしないだろう。今はそういう時代だと思う。

 今の十代の学生からしたら、学校の勉強なんか馬鹿馬鹿しいと思う。勉強する事の意味を考えると、馬鹿馬鹿しく思うのが普通であると思う。僕は中学の時に、ケインズの均衡理論について教えられた記憶があるが、ケインズについて学び、シュンペーターについて学ばないのは何故かと言うと、それに大した意味はないように思う。源氏物語を原文でのろのろと読む事はやらされるが、あんなものを一つ一つ調べて読んでいてもつまらないであろう。源氏物語には近代小説的な完備された要素があるので、現代人には現代訳でまずその良さを伝える事が大事だと思う。こういう事について、受験勉強は答えを与えてはくれない。だから結局は自分で学んだ方が早いという結論になってしまう。まあ、本当に良い教師に出会えた人は幸運だろうが、そんな人はそう多くはないだろう。だからそういう意味では、書物というのは最高の教師とも言える。パスカルから、ソクラテスから、夏目漱石やドラッカーからいかに僕達は多くの事を学べるか。理系の人はおそらく最新の学説というものがどうしても必要なのかもしれない。そういう人に対してはウェブで最新の論文が見られるようにしてあげればいいんじゃないかと思う。知識とは一般化する事が大切である。何故かと言うと、社会のどこに、未来のマルクス、未来のドラッカー、未来のアインシュタインが転がっているからわからないからである。


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