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【コラム】『にじさんじ』の魅力とシェアリング・エコノミー

2018/06/02 23:49 投稿

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 『シェアリングエコノミー』について

 にじさんじ沼にハマって抜け出せずにいる者です。今回は『にじさんじ』の魅力を語りたいと思うのですが、その前に『シェアリング・エコノミー』という新しい経済体制について述べさせてもらいたいと思います。後々、関係してくるので。
 つい最近

 『哲学の最新キーワードを読む』 「私」と社会を繋ぐ知

                       著:小川仁志(講談社現代新書)

 という本を読み、公共哲学について勉強していたのですが、その中で『シェアリング・エコノミー』というものがあることを知りました。
 
 私は、これを知りそこそこの衝撃を受けました。というのも、著者である小川さんは、これを「社会主義でも資本主義でもない、新しい経済体制である」と言い切ったからです。(『シェアリング・エコノミー』の第一人者であるアルン・スンドララジャンは、これを『クラウドベース型資本主義』と称し、資本主義形態の一種と位置づけています)

 資本主義というのは、画期的な『発明』というよりは「なるべくしてなった」ところがあります。ドイツの政治哲学者マックス・ウェーバーは「運命的な力」と言いましたが、人間が合理性を求めた当然の結果なのです。マルクスやマルクス主義者は、「資本主義は通過点に過ぎず、最終的には社会主義・共産主義に必然的に転機していく」と信じていましたが、ソ連の崩壊などで、そのようなビジョンは疑わしいものとなります。アメリカの政治学者フランシス・フクヤマは、「社会主義は終わりを迎え、政治では民主主義が、経済では自由経済が未来永劫継続していくだろう」と、つまり「歴史の終わり」を予言しましたが、同じくそんな風に、いまの政治・経済の形態が変わることはないだろうと考えていた自分にとって、新たな経済体制というものが誕生しつつあるというのは、衝撃的だったわけです。

 では、『エコノミー・シェアリング』とは何なのかと言えば、『哲学最新キーワードを読む』では、二つの会社が例に挙げられています。

 Uber(ウーバー)と、Airbnb(エアビーアンドビー)です。
 
 Uberは、一般人が、自分の空き時間と自家用車を使って他人を運ぶサービスを提供している企業です。一方、Airbnbは、宿泊施設や民宿を貸し出す人向けのウェブサイトを運営している企業なのです。

 この二つに共通していることは、一般人が自分の資産を使ってサービスを提供しているところです。そして会社はマッチングシステムを提供しているに過ぎないということです。

 もちろん、サービスを提供する一般人は儲けを得ることができるし、利用客も手ごろな値段で利用することができる。そして会社も利益を受けている。そういうwinwinの関係が築けています。
 これらは、タクシー会社やホテル会社と大きく違うことがわかりますが、『シェアリング・エコノミー』の定義として、スンドララジャンは5つのポイントを挙げています。
 引用いたしますと、

 1.おおむね市場に基づく――財の交換が行われ新しいサービスが生まれる市場が形成され、より潜在力の高い経済活動が実現する

 2.資本の影響力が大きい――資産やスキル、時間、金銭など、あらゆるものが最大限活用される新しい機会が生まれる

 3.中央集権的組織や「ヒエラルキー」よりも大衆の「ネットワーク」が力を持つ――資本と労働力を供給するのは、企業や政府ではなく分散化された個人となる。ゆくゆくは取引を仲介するのも、中央集権的な第三者ではなくクラウドベースの分散型市場となる可能性がある。

 4.パーソナルとプロフェッショナルの線引きが曖昧――車での送迎や金銭の貸し借りといった、従来「私的」とされてきた個人間の行為が労働とサービスの供給源となり、しばしば商業化・大規模化する。

 5.フルタイム労働と臨時労働、自営と雇用、仕事と余暇の線引きが曖昧――伝統的にフルタイムとなっている仕事の多くは、案件ごとに拘束時間や稼働率、従属度、独自性のレベルが異なる請負仕事に取って代わられる。

 この5つが、従来の資本主義と違う点なのです。小川さんが言うには、

 一言でいうと、シェアリング・エコノミーによって、富を生み出すパイを増やすことができるわけである。しかも、それが一部の富裕な者によってのみなされるのではなく、多くの持たざる者によって実現するという点がポイントだ。ここが単なる資本主義とは異なる部分だといっていいだろう。

 たしかに従来の資本主義は、かなりの余裕を持った資本家がいて、そして労働者が働くという図でした。それがクラウドベース型だと、時間と資本にちょっとだけ余裕があれば、自分の資本を使って商売ができる。富を生み出すパイが増えれば、社会全体にもありがたいことだと思えます。

 そこで、やっと『にじさんじ』アプリの話に移ることができるのですが、私は『にじさんじ』という変わったライバーたちの活動と『シェアリング・エコノミー』は、なにかしら通じるところがあると思ったのです。
 タイトルが紛らわしかったのですが、私は『にじさんじ』や、そのアプリを作った会社「いちから」がシェアリング・エコノミーのサービスを行っていると言いたいわけではありません。正直のところ、いちからが『にじさんじ』によって、どのようなビジネスビジョンを抱いているか、自分にはハッキリとわかっていないところもありますから。ただ、先ほど挙げた、シェアリング・エコノミー特有の5つのポイントに、『にじさんじ』は当てはまるところがあるのです。

 VTuberの特色と問題点

 キズナアイによって始められたバーチャルYouTuber(VTuber)は、ブームによって、短期間のうちに3000人を超えたと聞きます。
 ただその中で、どれだけの人が、技術面において、またキャラ造型などの美術面において、
納得のいくクオリティで活動できているでしょうか?
 VTuberになるには、それなりの費用と労苦が必要とされます。ましてや、納得のいくクオリティまで仕上げるとすれば、企業ならまだしも個人には難しいことだと思います。
 それどころか、デビューできるだけならまだマシで、そのあたりの知識の無い人にとっては、始める前から難題を抱えているコンテンツだと言えるでしょう。

 バーチャル四天王の一人、ミライアカリのプロジェクトは6000万円の借金をして作られたそうですが、それは彼女の作り手エイレーンが、修羅場を潜り抜けた豪傑であり、既に、いくらか成功を収めていたからこそできたのでしょう。多くの一般人は『持たざる者』なのです。
 もちろん、エイレーンの覚悟は褒め称えられるべきものでしょうが、だからと言って、他のVTuberも、彼女のように腹を括る必要はないでしょう。VTuberは、サブカルチャーですから格式が高いわけでもなく、一般人が楽な気持ちでスタートできるものでなければならないと思います。そうでなければ、一部の人間しか参入できず、廃れていってしまうでしょう。

 VTuberになるには、まずキャラクターをデザインする必要がありますね。そして出来上がったものを自分の身体のモーションと連動させる機材と技術が必要となります。それができて、やっとスタート地点なわけです。そのような機材や技術が無かった場合は外注することになるでしょうが、それにも外注費用がかかり、一般人にはハードルが高いことは否めません。

 VTuberにさえなれれば人気が出るであろう素質を持った人は、大勢いるでしょう。ただ、その大勢の中には、絵も描けなければコンピュータに疎いが故に、VTuberになることを諦めている人だっているでしょう。そんな中『にじさんじ』の登場は、希望の星だったように思えます。

 『にじさんじ』とシェアリング・エコノミーの共通点

 私は月ノ美兎委員長の配信を聴くたび、そのサブカル知識とトークスキルに「この人すげー!」と感心するのですが、それと同時に、そんな人を今まで普通の一般人として埋もれさせてきた「この世界というやつがすげー!」と思わずにはいられないのです。
 『職業に貴賎無し』ですから、工場での流れ作業員を悪く言うつもりは毛頭ないのですが、月ノ美兎は、VTuberを始める前にはライン工場で流れ作業をしていたそうです。彼女曰く「退屈であった」と。あんな濃いキャラをした月ノ美兎が、そのサブカル知識とトーク力を活かせない環境で働いていたのです。そして「いちから」が、彼女を『にじさんじ』公式ライバーに抜擢しなければ、彼女は、この先もずっと濃いキャラを活かさないままだったかもしれないのです。仮に自力でVTuberになったとしても、今とは大きく違っていたでしょう。

 他のメンバーにも同じことが言えますが、「いちから」に才能を認められた月ノ美兎は、キャラクターを与えられることによって、その才能を発揮する『機会』を得ることができたのです。 ところで、この事実は、上記に挙げた『シェアリング・エコノミー』のポイントの2番

 資本の影響力が大きい――資産やスキル、時間、金銭など、あらゆるものが最大限活用される新しい機会が生まれる

 に通じるところはないでしょうか?

 シェアリング・エコノミーの会社Uberは、一般人が一般人に車で送迎するサービスを運営していました。
 Aさんは、自家用車を持っていた。そしてたまに時間に余裕があった。しかし、だからといって、タクシー会社を運営するほどの資本を持っているわけではなかった。普通のサラリーマンだった。そんなAさんも、Uberのマッチングシステムを利用することによって、ちょっとしたお金を稼ぐことができた。資本(車)と労働を提供する『機会』を得たのだ。

 このAさんは、月ノ美兎の状況に似ているのです。彼女は、人を楽しませるトークスキルを十分に持っていた。しかし芸人になるつもりはなかった。
 現在、彼女は多くの人を楽しませるエンターテイナーとなっている。「いちから」が、バーチャルのキャラクターを彼女に与えたことによって、彼女は自分の時間とスキルを活用する『機会』を得たから。

 Uberが個人を『タクシー運転手』にする会社であるならば、いちからは個人を『エンターテイナー』あるいは『芸能人』にしてしまったのでしょう。
 
 私が「いちから」や、アプリ『にじさんじ』を高く評価しているうちの一つは、このような新時代的な面があるからです。『シェアリング・エコノミー』の利点は、『富を生み出すパイを増やすことができる』というものでした。それは社会全体にとっても良いものであるのですが、『エンターテイメントを生み出すパイを増やすこと』となれば、それは大いに結構なことだと思います。いままで世界に知られることのなかった一般人が、少しの間エンターテイナーとなれば、人類全体で笑いと喜びの総量が増えるのですから。(その反面、シラける総量も、それなりに増えることとなりますが……)
 
 では、他の『シェアリング・エコノミー』の特色と『にじさんじ』は、重なる面があるでしょうか?

 わかりやすいのが、4.パーソナルとプロフェッショナルの線引きが曖昧 ですね。

 にじさんじ公式ライバーは、「いちから」から給料を貰っている点で『プロ』と言えますが、一般公募の中から選ばれた個人ですし、そのフットワークの軽さも、個人だからこそできるのだと思います。プロの技術とバックアップを得た個人。パーソナルとプロフェッショナルの『良い所取り』と言えるでしょう。
 
 従来「私的」とされてきた個人間の行為が労働とサービスの供給源となり・・・・・・

 というのも、わかります。
 月ノ美兎は、現在16歳の高校生で、だれがなんと言おうと16歳なのですが、十数年、彼女のトークスキルを享受できたのは、彼女の友人、知人の特権でした。それが最近の数ヶ月は全国、全世界の人々が彼女のトークを享受することが可能となり、彼女メインのイベントが予定されるなど、金銭が発生するまでの価値を生み出しました。

 5.フルタイム労働と臨時労働、自営と雇用、仕事と余暇の線引きが曖昧

 これもわかります。一般的な労働は、週5の一日8時間。ところがライバーは、不定期で一日数時間。思いつきで配信することもあります。
 自営と雇用についても、ライバーは「いちから」に雇用されていると言えるのかどうか意見が分かれるでしょうし、雇用されているとしても、一般的な雇用とはまた違ったものでしょう。

 仕事と余暇も曖昧です。
 2期生の鈴鹿詩子さんはリスナーからボーイズ・ラブの体験談を募集し、配信中、紹介しながら一人で萌えています。おそらく、『鈴鹿詩子』というキャラクターが造られたときや「歌のお姉さん」というコンセプトが決まったとき、将来、彼女がそんな企画を企てるなど、誰も予想だにしなかったことでしょう。
 鈴鹿詩子というキャラクターを自分の趣味(私利私欲)のために有効活用する。それでも彼女はその時間に『労働』をしていると言えるのです。仕事と余暇、個人的趣味が混合する状態。それが『にじさんじ』公式ライバーの配信なのです。


 ところで、『にじさんじSEEDs』の発表されたころ、まだまだ増え続けるということで、全員追いきれなくなると話題になっていたニコニコ大百科の掲示板にて、このような書き込みがなされていました。
 

 
 このID:CCH3UGgJWeさんが言う『ゴールドラッシュにスコップ売って儲けだそうと考え出した企業』という喩えは、良い得て妙だと思います。一つ、指摘させて頂くならば、その企業はスコップを売っているというよりは、スコップを無償で与え、それによって得られた金塊を、なんらかの形で還元してもらって利益を得ている……というほうが適切でしょうが、ともかく、いまいち「にじさんじ」のビジネス面に疎かった自分には参考になる意見でした。かくいう自分も、「さすがに増えすぎではないか?」と心配していたのです。
 確かに「いちから」は今でこそ芸能事務所のようなことをしていますが、本来ならアプリを作っている会社であり、アプリ会社であれば、このスタンスでもおかしくないのです。公式ライバーがどれだけ増えようと、また、その内の誰かが廃れようが大したことではないはずです。
 誤算があるとすれば、その下の ID: 64hQEJDj9P さんが言うように『ブランドイメージ』が付いてしまったことでしょうか。そのうえ、メンバーが結託して、強固な一枚岩になっていたのです。

 現在において、大きな権利を保有しているのは「いちから」でしょうが、この先、「いちから」がスコップ売りに専念した場合、もしくは、キャラや技術を与えフォローはするが、大半のことは個人の裁量に委ねる・・・・・・という企業が現れた際には、『シェアリング・エコノミー』のポイント3番

 中央集権的組織や「ヒエラルキー」よりも大衆の「ネットワーク」が力を持つ――資本と労働力を供給するのは、企業や政府ではなく分散化された個人となる。ゆくゆくは取引を仲介するのも、中央集権的な第三者ではなくクラウドベースの分散型市場となる可能性がある。

 が実現する可能性があります。さらに、この先、ITの発達が進み、コストの問題等が解決されるようになれば、『Vtuberをやりたいけど技術がない人』と『提供できるほどの技術があるが、Vtuberをやりたいとは思わない人』のマッチングシステムが構築される可能性もあるでしょう。
 そのようにして、バーチャル人口が増えていけば、映画『サマーウォーズ』のように、多くの人が当然のように自分のアバターを持ち、バーチャル空間で第二の生活を楽しむようになるかもしれません。
 そのような空間には、様々なサービスが誕生することになるでしょう。そして
 
 1.おおむね市場に基づく――財の交換が行われ新しいサービスが生まれる市場が形成され、より潜在力の高い経済活動が実現する

 ことになるでしょう。それはエンターテイメントの枠を超えていくでしょう。

 『にじさんじSEEDs』は、1,2期生とはまた別の、新しい何かを模索していく団体らしいのです。コンセプトが定まっていないが故に、可能性を秘めている。それは『シェアリング・エコノミー』が秘めている可能性に近いものがあると思われます。


 キャラを被るということ

 『VTuber』とは言っても明確な定義はなく、その定義を定められるとしたら、パイオニアであるキズナアイだけでしょう。仮に彼女が定義を定めたところで、除外された人たちの活動が禁止されるようなことはありません。ですから、定義とかはどうでもよく、それで面白ければ人気が出て、面白くなければ人気が出ないだけの話だと私は思います。
 ただ、動きもしない一枚の絵を貼り付けてライブ配信やゲームをやっている人がVtuberを名乗っているのを観ると、さすがの私も首を傾げたくなりますが、最終的にはそれも肯定したいと思ってます。ここでは、その理由を書いていきます。

 私は、以前ツイッターで、VTuberを名乗っている人の中には、ニコ動のゲーム実況者や生主と変わらない人がいるという趣旨のツイートをしました。これは批判意見というわけではなく、事実としてそうであると言いたかっただけなのです。
 正直なところ、ニコ生主やゲーム配信者で事足りる人は大勢います。ただ『事足りる』からと言って、Vtuberを名乗っていけないわけではないでしょう。
 「普通のYoutuberにはできなくて、VTuberだからこそできることをしなければ、バーチャルでやる意味がない」という人もいます。
 そこで考えたいのが『バーチャルであることの意義』です。

 配信者は、大きく3種類の種類に分けられると思います。

 まず、リアルの自分を曝け出し、その本人が配信を行うというもの。
既存のYoutuberや、ニコ生主。ゲーム実況者がこれに当たります。配信を行っているのは、自分たちと同じ世界に住む同じ人間というスタンスです。

 その対極にあるのがVtuberです。キズナアイはその代表で、彼女はバーチャル世界に住んでいる存在です。彼女はバーチャルの世界で生を受け、その電脳世界に、ずっと生きているような印象を受けます。このようにキャラクターとして配信しているのが2つ目。

 そして最後は、その中間に位置するVTuberです。『にじさんじ』ライバーは、ここに当てはまります。
 ここの人たちは、バーチャル世界の住人であるという体ながらもリアルを垣間見せます。キズナアイが現実世界の生活などおくびにも出さないのと対照的に、『にじさんじ』ライバーは、現実世界の出来事を赤裸々に語ります。にじさんじメンバーは「○○から配信している」たとえば、「洗濯機の上から配信している」「床に這いつくばって配信している」というような発言をしますが、バーチャル世界に生きるキャラクターになりきっているのならば、そのような発言はしないはずです。このような言い回しは、キャラクターを演じているというよりは、むしろ、キャラクターをアバターにして生放送を配信している印象を受けます。そして、そう思われることも不本意というわけではないでしょう。

 その一方で、基本的な設定は守ってはいます。例えばモイラ様は地球の誕生時から生きているという女神であり、他の神様との神話的スケールな話をすることがありますが、その一方で、天界の学校に通っていたときの体験談をすることもあり、フィクションとノンフィクションを融合させてトークをしています。このような「あやふや」な状態は、妙なおかしさを生みます。月ノ美兎が大ヒットしている理由も、16歳の清楚な委員長という役割を持ちながら、話す内容が、その設定にそぐわなすぎてギャップが注目を集めたからでしょう。

 この「生身の人間として配信する人」と「バーチャルの世界に生きる人格」の中間に位置する「キャラクターを持ちながらも、リアルな己を語る」配信者は、どう評価すべきでしょうか? 私の見解を書いてみます。

 私は上記に、いちからは個人を『エンターテイナー』あるいは『芸能人』にしてしまったと書きました。少し想像してみてほしいのですが、副業で芸能タレントをする人の生活は考えられますか?

 よくテレビに映っている人が、一般企業で事務仕事をしていたり、工場で働いている姿は、想像しづらいと思います。特殊な仕事であれば、二足のわらじを履くこともできるでしょうが、通常、両方の仕事に支障をきたすと思われます。
 VTuberは、インターネットを通じて世界に配信することができ、コラボなどの例外を除けば、基本一人の都合のよい時間に配信できます。それも1、2時間の余裕を確保できれば十分です。予定が狂って放送をキャンセルしたとしても、違約金を払う必要もありません。「今日は体調がすぐれないので休みます」の一言あれば、皆が納得します。
 そのような時間に融通が利き、共演者に忖度しなくて済む点が『副業でタレント』を可能にしているわけですが、『匿名性を保持しキャラクターを得る』ことも、理由の一つでしょう。

 世の中は、エンターテイナーになりたい人で溢れていると思います。自分の思っていることを全世界に届けたいと思っている人も多いと思います。インターネットを通じてならば、それが可能でしょうが、人気のYoutuberのように自分を曝け出すのには躊躇してしまうでしょう。顔を晒せば特定される危険がありますし、そもそも容姿に自信のない人もいるでしょう。リアルの自分にコンプレックスを持っていて、あまり触れられたくない人だっているでしょう。
だからこそ、キャラの力を借りることは必要なのです。

 世の中には、美少女になりたいおじさんだっているわけで、キャラクターを借りることは、その人の自己実現の手段なのだと思います。ですから「Vtuberを名乗るなら、ただのyoutuberと同じではいけない。バーチャルだからこそできることをしなくてはならない」という意見に対しては、「(現実からかけ離れ)自分がなりたいものになっている、その時点で意義を十分に果たしている」と答えましょう。

 私は、VTuberに大事なのは『何ができるか?』ではなく、『何になれるか?』だと思っています。一枚のイラストを貼り付けただけでVtuberを名乗っている人は、確かにゲーム実況や雑談放送ぐらいしかできません。しかし、理想としているキャラクターを、バーチャル空間の中に居座らせ己と同一化させただけでも、大きな意義があります。傍からみればオリジナリティもなく、チープで、先駆者たちの猿真似にすぎなかったとしても、その配信者が理想のキャラとなって、やりたかったことを実現したということに価値があるのです。
 その後は視聴者の問題です。それでつまらなかったら「はい、もう観ないわ」と思って、去っていけばいいだけでしょう。
 低クオリティのVtuberが溢れたことを嘆く声を聴きますが、私としては、圧力によって多くの人が、理想の姿になれる機会と、自己実現の機会を失ってしまうことのほうが悲しいことだと思います。それを可能とする場がバーチャル空間であるというのに。

 バーチャルであることに固執し、2Dキャラに対し排他的になることは、配信者の意欲や自己実現を無視しているという点において、お客様視点、つまり、自分を楽しませるか否かのみを判断基準とする、狭く一方的な評価ではないでしょうか?
 2Dでは自分の望む配信ができない。エンターテイナーとして、満足のいく結果を残せない。そう思った配信者が、3D化などを検討すればいいのであって、2Dでやりたいことをやれている人は、そのまま伸び伸びと配信を続ければいいと思います。

 それを思えば、クリエイティブ精神を重んじ、『隗より始めよ』を実践してみせたウカ様こと届木ウカや、VTuberに憧れ、すぐ行動に移した、さはなくん、この両名が業界に齎した功績は大きかったと思います。もちろん、個人でもVTuberになれることを知らしめた、のじゃロリおじさん、ねこますさんもです。

 『にじさんじ』は、『持たざる者』であっても、ライバーとしての才覚を見出されさえすれば、いやでも注目されるライバーになれることを知らしめました。(くしくもオーディションが、「お墨付き」の役割を果たしました)
 『にじさんじ』のような、表情を読み取るぐらいのアバターでも十分視聴者のニーズを満たしている事実は、新規参入に貢献したでしょう。
 キズナアイや輝夜月のような精巧なモデリングを見て、「自分もやってみよう!」と思う人はいるでしょうが、あの企業クオリティを視聴者が求めてくるのであれば、だれしも躊躇してしまうでしょう。それよりも、簡単な2Dキャラの人気ライバーのほうが、新規が参入しやすいと思います。
 それは、ヤッシャ・ハイフェッツの演奏を聞いて、「よし! 自分もヴァイオリンを始めてみよう!」と思える人間が、どれだけいるか? ということに同じです。むしろ、あまりの桁違いのクオリティに絶望してしまうでしょう。ハイフェッツの演奏を聴いた同期のヴァイオリニストは『ハイフェッツ病』に罹り、劣等感から次々と辞めてしまったそうです。ⅤTuberは、技術力を持った人間の特権ではなく、誰の前にも門が開かれているべきだと思うのです。ですから、パフォーマンスの向上を求める風潮と一緒に、低クオリティだろうと気軽にやっていける空間も必要なのだと思います。

 「ニコ生主に絵を付けただけ」「ゲーム実況者と同じ」という批判意見も見受けられます。それは正論かもしれませんが、だとしたら、なおさら「では、その焼き増しに過ぎないという彼らが、何故、こんなにも大ヒットしているのか?」が考察されなければならないはずです。
 それはキズナアイが作ったブームに乗っかっているだけの一過性の人気に過ぎないのか? それともニコ生主やゲーム実況者とは差別化されており、その部分がヒットの原因となっているのか?
 コンテンツについて、本気で考えているのであれば、思考停止の批判はできないと思います。もし、その辺りがしっかりと考察され、たとえば、ニコ生あたりが、それに基づいた改良をすれば、数年後には、VTuberが口を揃えて「VTuberにとって、もっとも配信しやすいプラットフォームはニコ生だ!」と言うかもしれないじゃないですか。


 『にじさんじ』の魅力 二次元であり、三次元であるということ

 リアルの配信者にしてはキャラクターであり、キャラクターにしてはリアルすぎる。そんな『にじさんじ』メンバーの魅力はどこにあるのか? 自分が魅力的に思っていることを書いていきたいと思います。

 1.リアルの良さとバーチャルの良さを両立させている。

 鈴谷アキくんという、とても可愛い男の娘がいます。男の娘は、とても人気のある属性ですが、3次元における男の娘はそれほど人気はありません。かくいう自分も、リアルの男の娘には興味が持てません。リアルの男の娘や男の娘ファンの方々には申し訳ないのですが、写真を見ても、骨格のせいか萌えよりも違和感を覚えます。現実の無慈悲さを思い知らされ、やはり二次元は最高だと思うのですが、二次元は二次元で、視聴者とは隔たりがあります。二次元の男の娘は、作品内にいるキャラクターであり、こちらとの交流は不可能なのです。
 ところが、鈴谷アキくんは、二次元美少年でありながらも、視聴者との交流が可能です。「アキくん好き!」と言えば「僕も好きだよ」と返してくれる。このリアルではできない美しさと、リアルだからこそできる視聴者との交流は、上記のジレンマを解消します。それは二次元の三次元の折衷ではなく、贅沢にも『良い所取り』なのです。キャラクターを持つことの重要性がわかります。

 2.フットワークの軽さ、ファンとの距離

 私はリアルのアイドル事情には詳しくないのですが、昨今のアイドルは、『身近』な存在がウリだといわれてますね。かつては『高嶺の花』というのがウリだったはずが、逆転しているようです。AKBなどは、『クラスで二番目に可愛い子を採用している』みたいな話も聞きますし、握手ができるなど、ファンとの距離を詰めた存在が今流のアイドルということでしょう。
 しかし、『ファンがイメージソングを作ったら、数日後に歌ってくれる』アイドルを知っていますか? 私は『にじさんじ』で初めて知りました。このファンとの距離の近さは、バーチャルならではでしょう。
 それと、各ライバーが各ライバーのファンであるというのも、面白いと思います。このような配信は、どうしても演者と観客の関係になってしまうのですが、「○○の配信、面白いですよね」と、一時、演者がファンの側に回る。ファンと同じ場所から同じ目線に立つようなことをします。それによって、より身近に感じられます。これも、出来上がった動画を提供するのではなく、その場の空間を共有していくライバーならではの魅力でしょう。

 3.二次創作の活性化とライバーの関係性

 VTuberの特徴として、二次創作が活発というのが挙げられます。ツイッターでは、月ノ美兎なら『みとあーと』樋口楓なら『でろあーと』のハッシュタグが付けられて、本人がファボ、リツイートしています。この風潮は、いままでには見られなかったことだと思います。顔出しをしている既存のYoutuberのイラストは見たことありません。ニコ動のゲーム実況者、生主、あるいは歌い手のファンアートはよく見るものの、二次創作、つまり漫画などの『物語』は全く見ません。一方、Vtuberは、山ほど見ます。
 その理由は、VTuberたちが、アニメキャラのような二次元らしいキャラクター設定を持っているということに尽きると思います。
 ゲーム実況者なども、そのような二次元イラストキャラを持っている場合もありますが、どちらかというと『アイコン』『シンボル』のような印象を受けます。実際に『それ』が喋っているところを見せているか否かでは、大きな違いがあるでしょう。
 ここが既存の配信者たちと差別化されている箇所だと思います。リアルの人を描くにはデフォルメ化する必要がありますし、妄想のネタにするのも忍びない。その点、アニメキャラに近いVTuberは、そこの不都合が緩和、解消されています。
 これが『にじさんじ』に限らず、全VTuberの持つ魅力だと思うのですが、『にじさんじ』は、その特徴として『横の繋がりが強い』というのがあり、それによって『関係性』が生み出されます。そして、この関係性が『物語』を生み出す……というより、ファンたちを『その気』にさせる原動力となるのでしょう。単純に他のライバーを知るきっかけを作り、芋づる式に箱推しにさせることもあるでしょうが。
 現に『にじさんじ』は、仲のいいコンビ、トリオが形成されています。それも『にじさんじ』をモティーフにしたドンジャラがあれば、たくさんの役が作れそうなほどに。個人勢によるコラボ企画は、絶対天使くるみちゃんが、あっくん大魔王を誘ったことからスタートしたようですが(ソースが曖昧なので、違っていたらご指摘ください)、これらは、好きなVTuberの新たな一面を知ったり、あるいは新しいVTuberを知るきっかけとなったでしょう。
 コラボは、ニコ動のゲーム実況者もやっていることでしたが、誰と誰がやっているのかが、視覚でわかりやすくなっているのが、VTuberとの違いだと思います。それも踏まえると、やはりキャラがあるということは、大きなメリット、大きな差別化になっているのだと思います。

 電脳少女シロを作れるほどのアップランドが、『アイドル部』という『にじさんじ』のような2Dキャラを12体もデビューさせたことや、『アマリリス組』という『にじさんじ』と同じようなグループが現れたことは、最新技術による高クオリティの動画のみならず『横の関係』が強みになると認められた証拠なのだと思います。

 これら3つが、『にじさんじ』の魅力であり、多くの人を沼に落としてきたのだと思います。
 
 キャラクターのリアル

 ここまでくると、やはり『生モノ(なまもの)』の話題に触れなければならないような気がします。
 
 『生モノ』というのは、実在する人物で二次創作するという、なんとも罪深いことを言います。個人的な意見ですがVTuberはグレーゾーンだと思います。

 実を言いますと、私は『生モノ』が嫌いです。苦手というよりは、嫌悪というほうが近いです。その理由を言いますと、単純に人権侵害だからです。現に生きている人たちを勝手にカップルにしてしまう。芸能活動をしていたら、ある界隈において同性愛者ということにされて、メンバーとイチャつく物語が作られていたというのは、当人からすれば、実に恐ろしいことだと思います。よしんば実際に恋愛関係にあったところで、外野が他人の恋路を囃し立てるのは無粋であると思うのです。そんなわけで、性別に関係なく『生モノ』が嫌いだったわけです。
 ところがバーチャルYoutuberとなると、その嫌悪感が薄れてきます。それは、上の3番にあるように『アニメキャラに近い』存在であるということが理由でしょう。
 某、人気のカップリングがあります。わかる人にはわかると思うのですが、一応、名前は伏せておきます。現在、とても人気のあるVTuber百合CPです。正直言いますと、私はこの二人の関係性の尊さに動揺しています。
 私は、百合はそれなりに嗜んでおり、アニメ『けいおん!』でその百合という概念を知ってから、最近では同監督のアニメ映画『リズと青い鳥』を見て、その最高級の百合クオリティに感動したり、それまでの間にも、たくさんの百合を見てきたわけです。ところが、この二人の関係性は、そんな自分ですら、いままで感じたことのない尊さがあり、その新鮮さに戸惑っているのです。
 わかるでしょうか? いままで嫌悪の対象だったコンテンツに、どうしようもなく惹かれてしまう戸惑いが。いままで感じたことのない、この尊さの正体とは何なのでしょうか?

 そういうものに対しては、とことん考察するのが自分のやり方なので、この『生モノ』を解き明かそうと思います。

 『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』(研究社)という本があります。この本は、昨今よく耳にする、政治、経済、文芸、あるいはサブカルチャーの言葉を、社会学などの見地から読み解いていく内容なのですが、その中の『リアル』の項に、興味ぶかいことが書かれていたので、引用してみます。

 「リアル」とはリアル・ファイトが提示するもの、リアリティとはプロレスが提示するものを指す。プロレスはファンタジーとしてのリアリティを提出しており、だから、(リアル・ファイトのように)「リアル」じゃないとしても迫真的に見える。

 この喩えは、わかりやすいと思います。百合に当てはめると、百合作品は「リアリティ」を提示し、現実に生きている人たちの関係性は「リアル」を提示しているということでしょう。『リズと青い鳥』は、とてつもない「リアリティ」を持った名作だと思いますが、二人の少女の思考や、これから辿る運命は、結局のところ監督の頭の中で統合されています。「これを彼女はどう思うのか?」「これから彼女たちの関係はどうなるのか?」は、上手いこと完成されるのです。なぜなら、パズルのピースを合わせようとする神がいるからです。
 ところが、現実の百合は、そういうわけにはいきません。両者の思考は独立していますし、これから辿る運命も、第三者が現れるかどうかも、決定付ける神がいないからです。人の運命を変更できる神がいたところで、その神はモイラ様ではないので、パズルのピースを合わせようとは考えないのです。劇的なドラマが待っている保障もなければ、ハッピーエンドも保障しない、それどころか、最初から、そのような関係性はファンによるゲスの勘ぐりの可能性だってある。だからこそ、見ている側としてはハラハラするし、動向に目が離せないのだと思います。全てが偶然で、全ての事件は台本にないハプニングです。まるで、誰も知らない未知の物質Aと未知の物質Bの化学反応を見守るような気分です。

 歴戦のプロレスマニアがいたとしましょう。その人は「リアリティ」のある試合を何百回も見てきました。そんな人だとしても、「リアル・ファイト」つまり、相手が流血していようがおかまいなしに、本気で殺すつもりで殴りあう人たちを目撃してしまったとしたら、それは「動揺」してしまうに違いありません。私が彼女たちの関係性を見て感じる「動揺」は、おそらくプロレスマニアのそれに近いのでしょう。

 結論としましては、これもまた『にじさんじ』のような「リアル」を感じさせるキャラクターだからこそ生まれる魅力の一つだということです。そうして、魅力的なものを「美しい」「尊い」と思うことは、仕方が無いことだと思います。そう思ってしまったことを罰することはできません。
 しかし、一つ苦言を申したいと思います。そのように、とてつもなく心惹かれるために語りたくなるのもわかりますが、場所を弁えることが必要だと思うのです。具体的に言うと、彼女たちが配信しているとき、コメントで煽ったりするのはいただけないということです。彼女たちは外見こそキャラクターですが、現に生きている人間であり、活動に支障をきたすような発言は慎まなければなりません。最近、そのような言動が見受けられ、本人も辟易しているように思えたので、こんな場ではありますが苦言を呈しました。
 私たちにできるのは、全てのVtuberが嫌な思いをしないように、巧みなコメントで水を向けて「そっち」方向に話を持っていくこと。話術に自信がないのであれば、自分のツイッターで作品を公開するか、優雅にカレルチャペックのさくら恋紅茶でも飲みながら、同志と萌語りをするくらいで留めておくべきでしょう。

 
 『にじさんじ』の魅力は、その名が表すように『二次元』と『三次元』の融合にあるわけですが、それは魅力であると同時に問題もはらんでいます。特定の関係性強化、横の繋がりは、他にはない利点ですが、それは『内輪ノリ』という閉じたコンテンツに染まる危険性もあります。ファンとの距離が近いことは利点ですが、ファンがライバーに迷惑をかけやすい環境であるともいえます。私は、『にじさんじ』のみならず、全VTuberの発展を願ってますが『にじさんじ』の特殊性は、その発展に吉と出るのか、凶と出るのか? それは、全ライバーと全ファンの心持ち次第であると思っています。

 最後に、自作動画の宣伝させてください。





コメント

ベルベットベルト
No.8 (2018/06/08 15:26)
よくここまで分析しましたね…
アンタすげぇよ
犬猫狐おじさん
No.9 (2018/06/11 00:17)
2DVtuberへの偏見がバッと消え去った気分だ。
すごく素晴らしい分析だと思う。
天狗野郎
No.10 (2018/06/13 15:34)
大変興味深い考察に意見感服いたしました。
昨今掲示板やSNSなどで2DVtuberへの苦言などを見て反論できるほど自分には知識も言葉もなくてもやもやしていたのですが記事を読んでスッキリしました。
改めて自分がにじさんじを好きな理由を再確認することができました、ありがとうございました。
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