たくにゃんのブロマガ

幸せは 歩いてこない 三歩歩いて 崖落ちる

2013/07/17 21:00 投稿

  • タグ:
  • 雑記
  • 老後
  • 京葉線
  • ネズミーランド
ごく一般のサラリーマンと違い、平日休みが主となる身としては、平日にいい歳の
オッサンがふらふらと出歩く姿は少々、いや、かなりみっともない。
この身分で朝散歩していて小学生の登校姿を懐かしんで見ているだけでロリコン扱い
されてしまいそうな勢いだ。

「自称会社員が薄着で小学生をなめまわすように見ていた事案が発生」

おい、自称とはなんだ自称とは。

逆に言うと、土日祝は働いているので、通勤で乗る電車に短パンTシャツ姿で
子供を連れてTDLに向かおうとしているお父さんを見るとなんだか複雑な心境になる。
仕事が終わり、電車に乗ると耳の大きなネズミの絵が描かれたビニール袋を手にした
子供が遊園地テンションのままぎゃあぎゃあと騒ぐ。疲れている身としては耳に、目に痛い。
お父さん方も昼間の疲れからかグッタリだ。我が子を別段注意したりもしていない。
翌日訪れる月曜日を思って憂鬱になっているのかもしれない。明日からせいぜい働け。

ところがこれが子供を連れている母親となると話は別だ。
お父さんが最初から同行を拒否したのか片親なのか、母と子、という構図だと
結構な割合で「ママ友」がいたりする。乳母車に載せた子供そっちのけで
遊園地テンションのままぎゃあぎゃあと騒ぐ。声もカン高いので不快指数がうなぎ登りだ。
オプションで子供がグズりだしたらもう大変だ。途中で電車を降りて次のを待ちたい
衝動にかられるが、なんでお前らバカ親のために帰宅を遅らせて少ないプライベート時間を
削らなければならんのだ、と自分に言い聞かせぐっと堪える。
やめて!たくにゃんのMPはもう0よ!京葉線とはなんと罪作りな乗物なのだ。
園内を回るモノレールが東京駅まで繋がっていればいいのに。

で、たまには土日に休める時もある。
そういう時に限って、どこそこへなにそれを買いに行かなきゃという事態が起きる。
やれトイレットペーパーが切れたの、炊飯器が壊れたの、炊く米がそもそもないなど。
仕方なくスーパー、ドラッグストア、ホームセンターへ行くことになる。
するとどうだろう。普段ゴーストタウンのような大型商業施設がとんでもないことに
なっている。大型スーパーには大型のスーパーでかい駐車場が用意されているのに
車の数が多すぎて入りきらず、駐車場に入る車の渋滞を避ける裏道すらビタ一動かない。

這々の体でようやく車を停め、売り場へ行くとそこはまさに地獄絵図だ。

そこはまさに人人人。年寄りから赤子まで、食料品からゲームセンターまで全て
人が動いている。やはりそこでも子供が泣く、迷子になる、親を呼ぶ。

うわあああああああん!おがあざああああああああん!!!とか。

そうすると、世のすべての母親なら一応反応するのだろうが、声の主が我が子ではないと
わかると知らないフリをする。そもそも目の前で楽しくもないのに走り回る我が子が
ぎゃあぎゃあ騒いでいるからだ。そこで子供をビターンと叩くのは本当にやめてほしい。
状況がさらに悪化する。

もうこの世の終わりが来たかのごとく泣く喚く。超音波で。
本当に来るんじゃなかったと後悔する。割と本気で。

トイレットペーパーがないならティッシュで我慢すればよかった。

炊飯器がなければ麺類でも食べていればよかった。

米がないならパンをt(ry

いくらでも我慢の仕方があったのにわざわざそんな所へ出向くドMっぷり。
平日休みの特権で、平日にそのゴーストタウンの同じ店で買物をすればよかったのに。
しかしそれは平日休みだからこそ、休みの日は何もしたくないという心情からなのだ。
土日休みが少しでもあるとそこを逃すと次に来る平日休みはいつになるやら。
それまでティッシュペーパーで尻を拭く生活が続く。
その休みは後回しにしてしまったその所帯染みた作業に終始してしまうことだってある。
コンビニで買えばいいんじゃね?とかそういういつも誰かが買っておいてくれる
恵まれたすねかじりの理屈は無視する。全力でだ。
月にかかる光熱費がいくらなのかも知らない世間知らずに貸す耳はないからだ。

さて、普通の土日しか休めない人々は休みの日にすべてをしなければならない。
子供がいる家庭なら、その買い物だけが目的ではなく、行き先が商業施設であっても
アミューズメント施設だとしても外に連れ出さねば大変だ。
嫁には子供を押し付けたと罵られ、子供からは

パパー遊びにいこうよおおおおおうわあああああああん!あとなんか買って

と、すべてお父さんに矛先が向くからだ。嫌でもサービスしてやらねばなるまい。
世のお父さんはアッシーであり、メッシーな上にエンターティナーなATMだ。
どんだけファニーな存在なんだろう。これが人としての幸せだと刷り込まれて
育ったのだから同情はしない。洗脳だろうが何だろうが女性と違って自身の責任において
気持ちいい思いをして子作りをしたのだから。リア充の成れの果てだ。ざまあみろ。

では平日休み+独身=幸せの式は成り立つのか。

人の価値観は人により違う、というのは模範解答だと思うが少し違う。
厚生労働省の調査によると、男性の平均寿命は婚姻の有無により、10年も差が出ることが
データに出たのだとか。要因として確定的なものの提示はされていないが、
同省による少子化に関する意識調査研究によると、婚姻のメリットとして、
「精神的な安定をもたらす」という回答が最も多かったのだとか。
あれだけぎゃあぎゃあ騒がれて、結局精神が安定するというのは正直理解に苦しむが、
少なくとも労働意欲や健康管理など、自身のみに頼らず配偶者や子孫によるよい影響を
もたらすのだろう。
※出典は面倒なので各自で確認してほしい。

長寿が幸せに直結するのか、という問いかけにその通りだと答えられるのか。

昨今、年金制度の破綻について報じられているが、そんなの少なくとも昭和60年代頃から
厚生省や社会保険庁はわかりきっていたことを何を今更、と思うのだが、
少なくとも当時の彼らは自身の定年後の収入が約束されていたわけで正直どうでも
よかったのだろう。若い世代がオレのために金を払え。勝手に給料から抜いてやるからな。
という乱暴な理屈についても誰も異論を唱えなかった。だって自分は安泰だもん。
自分のいない未来の為に余計な波風は立てたくなかったし、そこで世論が紛糾したら
年金制度そのものが立ちゆかなくなるからだ。
無知な個人的な解釈としては、憲法では「納税の義務」があるとされているが、
年金制度への、いわば上納金、貸す金を収める義務はないのではないだろうかと思う。
国民年金、厚生年金について加入することを決める権利があっても良かったのではないか。
デメリットとしては保険かな。10割負担はきついだろう・・
さらに当時の役人は自身の老後の更なる上積みを期待してか投資した。結果は御存知の通り、
箱物施設を建てるだけ建てておいて、経営難から現在も次々に閉鎖に閉鎖している。
AIJ投資顧問による一連の問題も記憶に新しく、破綻が見え始めてからハイリスク・
ハイリターンの金融商品に手を出した結果がこれである。

長生きしてもどのみち明るい老後は待っていない。
もしかするとベビーブーム世代の生活が困窮し、政府の救済策がとられるかもしれない。
何十年も先の話だが、その世代からの支持率の維持、ホームレス量産という惨状を見かね、
何らかの措置があるのではと期待を込めて言ってみる。さすがにこれは甘いか。
それこそ用意された市営住宅や震災で使われたような仮設住宅に安価で押し込められ、
生活保護を受け貧しい生活の末、設備投資が後回しになっていそうな未来の公立病院で
延命措置もされず誰にも看取られず、緩和ケアもなく苦しみながら死んでゆく。
まさに地獄の沙汰も金次第だ。冗談ではない。
働いている時代に当時の老人のため、あれだけ給料をピンハネされたにもかかわらず、だ。
そんな事態が未来の自身に降り掛かってくるかもしれない。これは本当に恐ろしい。。
既に40歳の世代が年金を受給しても-1000万円は損をするだろうとの試算が出ている。
最近、社畜という言葉をよく目にするが、会社の畜生ではなく、我々は人として生きつつも、
一部の政治家や官僚という階級の畜産物なのかもしれない。働いているうちは殺さないのだ。

長寿が幸せか、先ほどの問いの答えはどうなったのだろう。
先述シミュレーションした悲惨な人生が幸せと思うのならばそれは価値観を通り越して
惨めなのは間違いない。若いうちに搾取側に回れなかった自身の不甲斐なさの結果だ。

さすがにここでドMがどうのと言っても所詮プレイの話であって生命の遣り取りはしまい。
好きモノは見えない所でアヘアヘしてろ。




コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事