マル激!メールマガジン 2022年6月22日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/)
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1106回)
かかりつけ医制度の整備こそがコロナ禍の最大の教訓ではないのか
ゲスト:中島克仁氏(衆院議員(立憲民主党)・医師)
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新型コロナウイルス感染症の大流行が始まった時、われわれ国民は政府からかかりつけ医に相談するように言われたが、その時、明確に自分のかかりつけ医を持っている人がどれだけいただろうか。かかりつけ医がいない人は飛び込みで医師の診断を受けることができず、結果的にコロナ感染の疑いがある人々は保健所に相談するしかなかった。そして日本中で保健所がパンク状態に陥ったことは、誰もが記憶に新しいはずだ。
政府は6月17日、新型コロナウイルス感染症対策本部を開き、次の感染症危機に備えて新たな行政機関となる「感染症危機管理庁」の設置を含む新たな一連の施策を決定した。しかし、そこでは依然としてこの「かかりつけ医」問題は曖昧なまま据え置かれている。なぜ政府はかかりつけ医制度の導入にそこまで及び腰なのか。これでは参院選を前に、日本医師会が反対するかかりつけ医の制度化から逃げているとの疑念を持たれても仕方ないだろう。
今年1月から3月までのオミクロン株による第6波での新型コロナによる在宅死は、厚労省のデータでは555人。このなかには、必要な医療が受けられずに亡くなった人も相当数含まれているはずだが、正確なデータはまだ精査すらされていない。また、去年8月の第5波のデルタ株の際には実際、患者がかかりつけ医がいたと思っていても在宅で“放置”されて亡くなった人が多数いたことがわかっている、と国会でこの問題を訴えている医師で衆院議員の中島克仁氏は指摘する。
中島氏は地元の山梨県で在宅医療を行ううちに家庭医の必要性に気づき、日本でもきちんとした家庭医制度を創設したいと考えて10年前に国会議員になったという。実は1980年代に日本でも、当時の厚生省が家庭医制度を導入しようと動いたが、日本医師会の強い反対に遭い断念に追い込まれたという歴史がある。今も日本医師会のウェブサイトには、家庭医制度の導入を阻止した時のことが成功談として記されている。それ以来、日本で最大の政治献金を誇るなど絶大な政治力を持つ医師会の反対を前に、厚労行政の世界では家庭医制度の導入をめぐる議論は完全に封印され、「家庭医」という言葉を使うこと自体がタブーとなっていた。そこで登場した言葉が「かかりつけ医」だった。
6月7日に公表された経済財政運営と改革の基本方針である「骨太の方針」には、「かかりつけ医機能が発揮される制度整備を行う」という文言が含まれた。その発表を前に日本医師会の中川俊男会長と岸田首相の会談が行われていることなどから、おそらくこの言い回しは日本医師会も了解しているものなのだろう。しかし、「制度整備を行う」だけでは霞ヶ関文学としては、いかようにもなる表現だ。結局、岸田政権としてはかかりつけ医を登録制にするつもりがあるのかないのか、現状のまま個々の医師と患者に任せるのか、何が何でも法制化には反対なのか、「制度整備」の中身は曖昧なままだ。このままでは80年代に途中で断念せざるをえなかった家庭医制度の論議の過ちを繰り返すことになるのではないかと中島氏は危惧する。コロナ禍の教訓の上に立った、岸田総理の政治決断が待たれるところだ。
かかりつけ医制度とはどのようなものなのか。それはどのような恩恵を国民にもたらすのか。コロナ禍での経験を今後に活かすためにも、今こそ、かかりつけ医の制度化について国民的議論が必要だと語る医師で衆院議員の中島克仁氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。
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今週の論点
・明確な定義すらない「かかりつけ医」
・本来なら日本医師会がリードすべき議論だが……
・「フリーアクセス」が阻害されるという的はずれな議論
・「病気より人を診る医療」は、医師のやりがいにもなる
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■明確な定義すらない「かかりつけ医」
迫田: 今回は「かかりつけ医」について議論するということで、衆院議員で医師の中島克仁さんをゲストにお迎えしました。中島さんはもともと山梨で医師をされており、2012年にみんなの党から立候補されました。そもそも家庭医制度を導入したいと考えて政治家になられたと伺いましたが、間違いないでしょうか。
中島: その通りです。当時、みんなの党は改革政党だということで、私は医療制度改革の本丸である日本版家庭医制度の導入を実現したく、政治の道を目指しました。
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