雪柳@万能葱のブロマガ

憲法九条の話がツイッターで盛り上がってたので

2014/04/12 02:06 投稿

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ブロマガの存在忘れてたついでに今回は真面目なこと書くよ。以下の文章は私自身の個人的な見解であり、私の所属する一切の団体の意見を代表するものではありません。また、思いつくままに書いているので裏付けなんてものはしてません。

憲法九条について盛り上がる時、たいてい話題の中心には韓国か中国か、あるいはマスメディアの存在がある。最近では集団的自衛権の行使容認についてのアンケートに、何故か中国人や韓国人へのアンケートが入っていたということで物議をかもした。
一番旬な話題では、九条をノーベル平和賞にしようとする人たちが居て、それについての某報道番組の画像が話題になってたりした。

さて、九条について考える際に、対立項として二つの立場がある。
1.九条を堅持すべし。
2.九条を改正、あるいは廃止すべし。
という二つである。よく言われる分け方をするならば、1が左翼で2が右翼か。さて、これらの主張には当然それぞれの論理がある。

1.平和憲法の存在は他国からの侵略を防ぐ。
2.平和憲法の存在は他国からの軍事挑発を防ぐ事が出来ず、安定した平和に寄与しない。

というのがざっと見た中での大まかな流れのように感じる。さて、1の論理に対する批判としてよく聞くものは、「強盗に入られたら九条掲げて身を守れよ」といったものである。しかしこれは批判として全く成立していない点に注意せねばならない。ここで言う侵略を防ぐという点は、相手に自衛としての侵略を行う口実を与えないということである。九条で侵略行為を行わないと言っている以上、相手国からいちゃもんをつけられることは無いのである。しかし当然のことであるが、通り魔に効果は無い。いじめっ子から身を守り、毅然とした態度で反論することは出来るが、無感動な暴力に対する耐性は無いのである。つまり九条で論理的に詰め、無感動な暴力に対抗するために自衛力を持たねばならない。九条を堅持するという主張と、自衛のための武力を持つべしという主張は相反しない。それどころかお互いがお互いを補強するまである。
ここまでの論に立つと、集団的自衛権の容認には反対ということになる。自衛権の拡大は自国の範囲でとどめねばならぬ。拡大解釈は論理の穴を生み出し、相手に口実を与えることにつながる危険性がある。

2についての話も書きたかったが、言いたいことを前項でほぼ書いてしまったため、割愛する。戦争を出来るが決して行わないというスタンスへの変革は間違ったアプローチでは無いと思う。しかしそれは今やるべきではない。相手に対して要らぬ口実を与えるだけで、自国の平和に寄与する点が無い。


というわけで今回は九条を堅持せよと主張する側の論理とそれに対する反論について勝ってに考察した。九条はそれ自体が何か力を持つものでは無いし、絶対不可侵の御題目でも無い。妙なイチャモンに対して反論する材料に過ぎぬ。ただし極めて強力な材料である。極めて強力なれども、無感動な暴力に対しては紙切れ一枚の効果すら無い。通り魔に論理は無い。通り魔に説得は効かない。故に自衛のための力を鍛える必要がある。イチャモンに対しては毅然と反論する必要がある。何度も言うが九条は材料なのだ。これをどう調理するかは国民と時の政府にかかっている。

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