こんにゃくはたべるものです。
こんにちは。
最近はネットで攻略を見ていて、
ゲーム週刊誌や月刊誌で攻略を見るという機会が少なくなってきた気がします。
その関連なのか、攻略情報に対する認識が
オール オア ナッシング の極端な人をちらほら見かけることが多くなってきました。
例えば、協力プレイの場合は「オール把握」を必須とし、
例えば、初見プレイの場合は「完全自力」を必須とする。
この両方を同じ人が言っているのを見かけたりします。
80年代ゲーム世代の人間からすると、こういう考えは割と異次元に感じてしまいます。
■■■■■■■
というのも、
雑誌が毎刊少しずつゲームの攻略を公開していき、
ユーザーは
・雑誌の情報よりも早くその先まで解く
・攻略が出るまで待って攻略を見ながらやる
・攻略が出てももう少しだけ見るのを我慢してみる
などの選択をしながら遊んでいたものだからです。
雑誌よりも早解きをしていた人も雑誌自体は見ていたので、
雑誌の攻略を見ていて自分のプレイで取りこぼしに気付いて、
やり直すかどうしようか悩む。というようなこともありました。
そんな感じで。
じわじわと少しずつ、
自分なりのペースで、
自分なりの技量に合わせて
補助を受けながらゲームを楽しんでいました。
また、雑誌でも紹介する内容を考えて、
ゲームが面白くなるように、ぼかしたり、示唆したり。
情報を公開するタイミングを調整したり。
全国の皆が一斉に読むことを想定した上で
実際に遊んだ時の楽しさが増すような工夫がなされていました。
(脱線コラムのようなものもあったり)
なので、
「情報ゼロ」か「情報完全把握」かの2択という考えを見ると、
かなり極端に感じてしまいます。
(そもそもそれじゃ敷居が高すぎる)
■■■■■■■
ちなみに、
当時のように雑誌と二人三脚でゲーム体験が成立するには条件がありました。
当時は、そこまで情報が複雑ではなく、
ここに何があるとか、ここの敵が強いとか、
そんなに広くないマップであるとか、
割とざっくりした攻略で充分であったというのがあります。
■■■■■■■
今みたいに、多重に絡み合う分岐条件であるとか、
装備やアビリティの組み合わせを、
一緒に遊ぶ人との相性に合わせて調整していく
などの必要は無かったので、
基本的に1パターンを想定して攻略すればよく、
毎週とか隔週で出せたところがあります。
今はもう雑誌に収めるには無理が来てしまっている。
というのが現実ですね。
(誌面の量だけでなく、作成するひとの負担が10倍以上になっていると思う)
このあたりの情報爆発は、
DCのPSOやPS2のモンハンなどの協力プレイオンラインゲームあたりから。
というイメージがあります。
(もっと前から複雑化してるような気もしますけど)
この複雑化は変化として自然な事ですね。
■■■■■■■
ただ、攻略雑誌ではサポートしきれないというのは
そういう複雑化した今のゲームならという話で。
昔のゲームに対しては違うと思うんですよね。
昔のゲームに対して(今のゲームでもですけど)
攻略情報「オール・オア・ナッシング」の態度で接するのは、
前提として何か違うかな~。と思ってしまいますね。
■■■■■■■
特に昔のゲームというのは、
ゲーム内で完全にヒントをだすための容量が確保できず、
雑誌などの外部メディアで少しずつリアルタイムで情報を流していく前提
で作られていたものですから。
あの容量に収め切ったドラクエやイースが飛抜けているだけですね。
(そういう親切なゲームは片手で足りるのではないでしょうか?)
それらも今のゲームから見たら情報不足過ぎて昔のゲームだなという印象があります。
実際、親切さを組み込むために犠牲になった要素もあったと思います。
それに親切さが面白さの全てではないというのは、
たとえば、
慣れたジャンルだと、
ユーザーが望んで不親切なものを求めていくことからわかると思います。
(後述しますが、あるジャンルになれたプレイヤーは余計な説明を嫌い、知っていることは前提としてとばし、応用によって変化が多くなったゲームを求める傾向があります。)
■■■■■■■
攻略情報と似た話で、説明書を読む読まないの話について。
説明書読まないでクリアしようとするのは一つの遊び方として自由だけど、
それができて当然みたいな考えには疑問がありますね。
なぜ、「説明書みるなんてだっせー」という考えになる人がいるかというと、
最初は入門的なゲームから始め、だんだん応用ゲームを追っていったため、
必要な条件を学習してから応用ゲームに触れるという自然な流れになって、
その結果、説明書なしでゲームをできていたのですが、
それを「なんでも説明書不要」と勘違いしてしまっている。という感じです。
けど実際はそんなわけが無くて。入門的なゲームから始めてない人間には無理。
なのです。
慣れてないゲームだと一気にだるく感じるのはこれが原因です。
(それと対称的に、すべての攻略を読んでから来い。というのが対戦や協力プレイゲームですね。手探りで楽しめるのはサービス開始の情報が出そろわず、誰もが初心者な(とても短い)期間だけで、シリーズ続編や類似ジャンルがあるものだとそんなまったりした時間は存在しません)
■■■■■■■
もちろん「自分は歴戦のゲーマーだからあえて読まない」という
まともな理由で読まない人もいます。
そっちは全然いいと思います。
■■■■■■■
そんなわけで、それぞれのゲームに合った遊び方を色々提案する人がいてもいいのになぁ。
とか、ソムリエ的なものが欲しいな~と思います。
過去に、遊び方さえわかればめちゃくちゃ面白いゲームが大量に資産として残っているわけなので。
遊び方が分からないというだけの理由で、眠ってしまうのは悲しい事だな。
と、思うのでした。
2000年代あたりって2番煎じの煽り記事や見栄剥きプレイで埋め尽くされた暗黒時代があったけど、その時期も地道にマイペースにゲームの楽しみ方を真面目に続けてきた人たちがいて。
そのおかげで今も情報が伝わっているゲームなんかも多いかと思います。
(それにしても煽りしか見せ場が無いものって、時期が過ぎたらマジで何も見る所が無いね)
■■■■■■■
自分なんかは
シミュレーションゲームを楽しむのにおすすめな手順なんかが知りたかったりします。
(参考書籍とゲームのセットなどがありがたい。絵が無い攻略サイトはたぶんきつい)
アクションゲームは技能的にスーマリで躓いてるのでノーサンキューです。
ちなみにスーマリ下手でもラムラーナはクリアできます。
こだわりはいい。
でも、そのこだわりが、どういうものでどういう意味を持っているのか
は、自分で把握した方がいいかなと思ったり。
あたまを柔らかく。
いろんな人がいろんな楽しみ方をしてくれたらいいなと思うおじさんです。
■■■■■■■
「手ぶらでスキー」みたいにすぐ手軽に始められるゲームの方が
気楽だなーとは思います。
が、結局なじみのあるジャンルだけだと倦怠期がくるのは避けられません。
そんな時は、なじみのないジャンルを始めると良いのですが、
なじみのないジャンルを一から始める場合は、
普通に説明書読んだ方が楽しいような気がします。
あと、説明書自体が楽しい事も結構あるよね。と思ったり。
攻略情報についても説明書と同様で、
最初から攻略全部読むとか、絶対読まないというのもまた極端だよね。
という。
そんな普通の話でした。
■■■■■■■
蛇足ですが、
絵における手癖と劣化の関係も、これに似た話が出ますね。
今回の記事を別の側面から表現すると
「面倒くさいを楽しいに変換してきた色々な魔法(ゲームの楽しさを支えてきた様々なもの)」の話とも言えます。
こんにちは。
最近はネットで攻略を見ていて、
ゲーム週刊誌や月刊誌で攻略を見るという機会が少なくなってきた気がします。
その関連なのか、攻略情報に対する認識が
オール オア ナッシング の極端な人をちらほら見かけることが多くなってきました。
例えば、協力プレイの場合は「オール把握」を必須とし、
例えば、初見プレイの場合は「完全自力」を必須とする。
この両方を同じ人が言っているのを見かけたりします。
80年代ゲーム世代の人間からすると、こういう考えは割と異次元に感じてしまいます。
■■■■■■■
というのも、
雑誌が毎刊少しずつゲームの攻略を公開していき、
ユーザーは
・雑誌の情報よりも早くその先まで解く
・攻略が出るまで待って攻略を見ながらやる
・攻略が出てももう少しだけ見るのを我慢してみる
などの選択をしながら遊んでいたものだからです。
雑誌よりも早解きをしていた人も雑誌自体は見ていたので、
雑誌の攻略を見ていて自分のプレイで取りこぼしに気付いて、
やり直すかどうしようか悩む。というようなこともありました。
そんな感じで。
じわじわと少しずつ、
自分なりのペースで、
自分なりの技量に合わせて
補助を受けながらゲームを楽しんでいました。
また、雑誌でも紹介する内容を考えて、
ゲームが面白くなるように、ぼかしたり、示唆したり。
情報を公開するタイミングを調整したり。
全国の皆が一斉に読むことを想定した上で
実際に遊んだ時の楽しさが増すような工夫がなされていました。
(脱線コラムのようなものもあったり)
なので、
「情報ゼロ」か「情報完全把握」かの2択という考えを見ると、
かなり極端に感じてしまいます。
(そもそもそれじゃ敷居が高すぎる)
■■■■■■■
ちなみに、
当時のように雑誌と二人三脚でゲーム体験が成立するには条件がありました。
当時は、そこまで情報が複雑ではなく、
ここに何があるとか、ここの敵が強いとか、
そんなに広くないマップであるとか、
割とざっくりした攻略で充分であったというのがあります。
■■■■■■■
今みたいに、多重に絡み合う分岐条件であるとか、
装備やアビリティの組み合わせを、
一緒に遊ぶ人との相性に合わせて調整していく
などの必要は無かったので、
基本的に1パターンを想定して攻略すればよく、
毎週とか隔週で出せたところがあります。
今はもう雑誌に収めるには無理が来てしまっている。
というのが現実ですね。
(誌面の量だけでなく、作成するひとの負担が10倍以上になっていると思う)
このあたりの情報爆発は、
DCのPSOやPS2のモンハンなどの協力プレイオンラインゲームあたりから。
というイメージがあります。
(もっと前から複雑化してるような気もしますけど)
この複雑化は変化として自然な事ですね。
■■■■■■■
ただ、攻略雑誌ではサポートしきれないというのは
そういう複雑化した今のゲームならという話で。
昔のゲームに対しては違うと思うんですよね。
昔のゲームに対して(今のゲームでもですけど)
攻略情報「オール・オア・ナッシング」の態度で接するのは、
前提として何か違うかな~。と思ってしまいますね。
■■■■■■■
特に昔のゲームというのは、
ゲーム内で完全にヒントをだすための容量が確保できず、
雑誌などの外部メディアで少しずつリアルタイムで情報を流していく前提
で作られていたものですから。
あの容量に収め切ったドラクエやイースが飛抜けているだけですね。
(そういう親切なゲームは片手で足りるのではないでしょうか?)
それらも今のゲームから見たら情報不足過ぎて昔のゲームだなという印象があります。
実際、親切さを組み込むために犠牲になった要素もあったと思います。
それに親切さが面白さの全てではないというのは、
たとえば、
慣れたジャンルだと、
ユーザーが望んで不親切なものを求めていくことからわかると思います。
(後述しますが、あるジャンルになれたプレイヤーは余計な説明を嫌い、知っていることは前提としてとばし、応用によって変化が多くなったゲームを求める傾向があります。)
■■■■■■■
攻略情報と似た話で、説明書を読む読まないの話について。
説明書読まないでクリアしようとするのは一つの遊び方として自由だけど、
それができて当然みたいな考えには疑問がありますね。
なぜ、「説明書みるなんてだっせー」という考えになる人がいるかというと、
最初は入門的なゲームから始め、だんだん応用ゲームを追っていったため、
必要な条件を学習してから応用ゲームに触れるという自然な流れになって、
その結果、説明書なしでゲームをできていたのですが、
それを「なんでも説明書不要」と勘違いしてしまっている。という感じです。
けど実際はそんなわけが無くて。入門的なゲームから始めてない人間には無理。
なのです。
慣れてないゲームだと一気にだるく感じるのはこれが原因です。
(それと対称的に、すべての攻略を読んでから来い。というのが対戦や協力プレイゲームですね。手探りで楽しめるのはサービス開始の情報が出そろわず、誰もが初心者な(とても短い)期間だけで、シリーズ続編や類似ジャンルがあるものだとそんなまったりした時間は存在しません)
■■■■■■■
もちろん「自分は歴戦のゲーマーだからあえて読まない」という
まともな理由で読まない人もいます。
そっちは全然いいと思います。
■■■■■■■
そんなわけで、それぞれのゲームに合った遊び方を色々提案する人がいてもいいのになぁ。
とか、ソムリエ的なものが欲しいな~と思います。
過去に、遊び方さえわかればめちゃくちゃ面白いゲームが大量に資産として残っているわけなので。
遊び方が分からないというだけの理由で、眠ってしまうのは悲しい事だな。
と、思うのでした。
2000年代あたりって2番煎じの煽り記事や見栄剥きプレイで埋め尽くされた暗黒時代があったけど、その時期も地道にマイペースにゲームの楽しみ方を真面目に続けてきた人たちがいて。
そのおかげで今も情報が伝わっているゲームなんかも多いかと思います。
(それにしても煽りしか見せ場が無いものって、時期が過ぎたらマジで何も見る所が無いね)
■■■■■■■
自分なんかは
シミュレーションゲームを楽しむのにおすすめな手順なんかが知りたかったりします。
(参考書籍とゲームのセットなどがありがたい。絵が無い攻略サイトはたぶんきつい)
アクションゲームは技能的にスーマリで躓いてるのでノーサンキューです。
ちなみにスーマリ下手でもラムラーナはクリアできます。
こだわりはいい。
でも、そのこだわりが、どういうものでどういう意味を持っているのか
は、自分で把握した方がいいかなと思ったり。
あたまを柔らかく。
いろんな人がいろんな楽しみ方をしてくれたらいいなと思うおじさんです。
■■■■■■■
「手ぶらでスキー」みたいにすぐ手軽に始められるゲームの方が
気楽だなーとは思います。
が、結局なじみのあるジャンルだけだと倦怠期がくるのは避けられません。
そんな時は、なじみのないジャンルを始めると良いのですが、
なじみのないジャンルを一から始める場合は、
普通に説明書読んだ方が楽しいような気がします。
あと、説明書自体が楽しい事も結構あるよね。と思ったり。
攻略情報についても説明書と同様で、
最初から攻略全部読むとか、絶対読まないというのもまた極端だよね。
という。
そんな普通の話でした。
■■■■■■■
蛇足ですが、
絵における手癖と劣化の関係も、これに似た話が出ますね。
今回の記事を別の側面から表現すると
「面倒くさいを楽しいに変換してきた色々な魔法(ゲームの楽しさを支えてきた様々なもの)」の話とも言えます。
コメント

No.18
(2019/02/26 05:24)
>>3
ファミコンの頃ならまだ友達同士で情報交換する程度のゲーム内容だったので、
今から見るとしょっぱい情報が多かったけどそれで充分だった感じですね~。
考えてみるとファミ通とかから「パーフェクトガイド」系が出るようになったスーファミ後期ぐらいからもうすでにゲームは複雑化してた感じがしますね。
ADV、RPG、アクション、コレクションそれぞれの良さを複合的に持つ近代のゲームに近づいた感じで。
ダクソはわりと近代なので、自分も「初見プレイは何も見ずにやったほうが楽しい」派です。
もうあの辺りの時代になると、普通に説明書読まない前提で組んでたりしますので。
ファミコンの頃ならまだ友達同士で情報交換する程度のゲーム内容だったので、
今から見るとしょっぱい情報が多かったけどそれで充分だった感じですね~。
考えてみるとファミ通とかから「パーフェクトガイド」系が出るようになったスーファミ後期ぐらいからもうすでにゲームは複雑化してた感じがしますね。
ADV、RPG、アクション、コレクションそれぞれの良さを複合的に持つ近代のゲームに近づいた感じで。
ダクソはわりと近代なので、自分も「初見プレイは何も見ずにやったほうが楽しい」派です。
もうあの辺りの時代になると、普通に説明書読まない前提で組んでたりしますので。

No.19
(2019/02/26 05:28)
最近自分が遊びなおしてるラムラーナですが、
ダクソとは違って折れた人が多すぎるので最初から公式ガイドみても良いかもしれません。
もちろん最初何も見ないのもなかなか楽しいのですが、
ある程度進んでから激しく詰まって挫折した人も多いみたいなのでw
公式攻略本(電子書籍版)はヒントは沢山あっても肝心の謎の答えは書いてなくて。
見ながらプレイしても楽しめるようになってました。
今はラムラーナ公式攻略ガイド 完全攻略編は販売一時中止の模様。勿体ない。
ラムラーナ公式攻略ガイド 初級編は無料公開中ですので、90年代のMSXの攻略本の雰囲気を味わいたい方なんかにもお勧め。
あと通りすがりの外国人が海外版のガイドブックが欲しいといっていた。
ダクソとは違って折れた人が多すぎるので最初から公式ガイドみても良いかもしれません。
もちろん最初何も見ないのもなかなか楽しいのですが、
ある程度進んでから激しく詰まって挫折した人も多いみたいなのでw
公式攻略本(電子書籍版)はヒントは沢山あっても肝心の謎の答えは書いてなくて。
見ながらプレイしても楽しめるようになってました。
今はラムラーナ公式攻略ガイド 完全攻略編は販売一時中止の模様。勿体ない。
ラムラーナ公式攻略ガイド 初級編は無料公開中ですので、90年代のMSXの攻略本の雰囲気を味わいたい方なんかにもお勧め。
あと通りすがりの外国人が海外版のガイドブックが欲しいといっていた。

No.20
(2019/02/26 05:37)
攻略サイトって、
データベースの書式が長年のユーザーの蓄積で洗練されてるものが多いので、
データベースとしては昔の攻略本より良いと思うものが多いですね~。
時系列順にヒントを補助してくれる(チラ見せで先を煽る)みたいなのは雑誌で、
サイトだと、詰まった時のヒントを順番に並べるという感じで、
近いようで違う誘導の仕方だったりしてほんとのヘルプ機能って感じですね。
データベースの書式が長年のユーザーの蓄積で洗練されてるものが多いので、
データベースとしては昔の攻略本より良いと思うものが多いですね~。
時系列順にヒントを補助してくれる(チラ見せで先を煽る)みたいなのは雑誌で、
サイトだと、詰まった時のヒントを順番に並べるという感じで、
近いようで違う誘導の仕方だったりしてほんとのヘルプ機能って感じですね。
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